2011年のクラブワールドカップで、サントスはバルセロナに大差で敗れた【写真:Getty Images】

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バルサ入団へ加速することになった敗戦

 異なる言語間では、翻訳困難な語は無数にある。それはフットボール界においてもしかり。外国のフットボーラーが語った内容を、我々はしっかりと理解できているのだろうか。選手、監督の発した言葉を紐解き、その本質を探っていきたい。彼がバルセロナ移籍時、両足に入れたタトゥーの言葉から、“セレソン”のエースのプレー哲学に迫る。(文:竹澤哲)

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 サントスのルイス・アウヴァロ会長、そしてネイマール自身にとっても想定外となったのは、その年の12月、日本で行われたクラブワールドカップにおいて、クラブ世界一のタイトルを逃したことだった。

 2011年12月18日、横浜国際総合競技場で行われたこの試合は4対0とヨーロッパチャンピオンのバルサに大敗。しかも点差以上に、ほとんどバルサにボールを持たせてもらえず、ワンサイドゲームと言ってもよい内容で敗れただけにショックは大きかった。

 ネイマールは自身の公式自叙伝「ネイマール・父の教え、僕の生きかた」(拙訳)の中で、このように話している。

「この完敗は人生における有意義な授業でもあった。あの試合からは本当に多くのことを学んだ」

 ネイマールが間近で“バルサフットボール”を体験し、それがやがて憧れとなり、移籍へと気持ちを変えていったのは当然の成り行きだった。一方サントスはクラブ世界一になる思惑がはずれ、しかも悪いことに2013年度になるとリベルタドーレス杯への出場も逃し、サンパウロ州選手権でも優勝を逃してしまう。財政的にも、またネイマール自身の気持ちをつなぎ止めておくのも無理な状態になってしまったのだ。

 ネイマールにはこれまでヨーロッパへの移籍する機会が2度あった。13歳の時に、ロビーニョの計らいでレアル・マドリーへ試験を受けに行ったが、結局ホームシックが原因でサントスに戻っている。

 2度目がチェルシーからの好条件のオファーを受けながら、ワールドカップまでブラジルに留まると決心したときだった。しかしもはやネイマールがヨーロッパへ行くことを阻止できる理由は見つからなかった。

 かつて「イングランド行きは早すぎる」と話していたザガロも、ネイマールがブラジルの中だけでプレーを続けることに限界を感じ始めていた。

「ネイマールは現時点で我々ブラジルを代表する偉大なプレーヤーとなっている。しかし彼の周りには、代表においてもサントスにおいても、彼がお手本とするような選手がいない。経験を持った選手が一緒にプレーすることが彼には必要なのではないか」

ネイマールにとって大切なアレグリーア

 代表コーディネーターのパレイラもバルサ行きを「正しい選択」と評価した。

「彼がヨーロッパへ渡るのなら、まさに今だろう。ワールドカップ1年前のシーズンをプレシーズンから参加し、1年間しっかりと過ごすのがよい。彼は適応し、バルセロナでもレギュラーとして活躍するだろう。プロ選手としても大きく成長するにちがいない。セレソンにとっても、それはとてもよいことだ」

 2013年6月3日、バルセロナ、カンプノウ・スタジアム。ネイマール・ジュニアと背中に書かれ、背番号がついていないバルサのユニフォームを着たネイマールは、右手にボールを抱え、左手を振りながら、ピッチに現れた。平日の夕方でありながらも、6万5千人がその瞬間を待ち受けていた。すでに巨大なスタジアムの1階席と2階席はゴール裏を除けばほぼ満員となっていた。

 ネイマールの登場には、試合前の選手入場時に使われるイムノが使われた。ピッチ上に敷かれた青絨毯の上をネイマールは笑顔で進んでいく。センターサークル付近に作られたステージに上がると、ボールを左手に持ち替え、右手でもう一度手を振る。そしてイムノに合わせるように軽いタッチでリフティングを始めた。

 イムノが終わると、会場からは大きな拍手と共に「ネイマール、ネイマール」の大合唱が起きた。ネイマールはその歓声に応え、手を振ると、ボールをいくつかスタンドに蹴り上げた。

 ステージ上の女性リポーターがマイクをとった。

「ネイマールに今の気持ちを聞いてみましょう。このようなプレゼンテーションがされたことに、どのように感じていますか?」

 マイクを手渡されたネイマールは、「皆さんこんにちは」とカタルーニャ語でまず挨拶をした。そのこと自体が、観客にとって驚きでもあり、喜びでもあったのだろう。スタンドからは大きな歓声が上がった。

「バルサの選手になれて、とても幸せ。僕の夢が叶ったんだ」と全てカタルーニャ語で話した。

バルサの選手になるという夢が実現した

 女性レポーターが「ネイマールはカタルーニャ語を学んでいるようです」と言うと、ネイマールは笑いながら、親指と人差し指をくっつけて、「少しだけ」というジェスチャーをしてみせた。

「カンプノウをどう思いますか? 気に入りましたか?」

 再び、女性レポーターがマイクを向けると、ネイマールはスタジアムにいる観客を見つめながら話した。

「とても感動している。とても幸せなんだ。どうもありがとう」とこれもまた全てカタルーニャ語で話した。

「このチームでどのような活躍を見せてくれるのでしょうか?」と女性レポーターが続けると、ネイマールは少し考えるような仕草をして、さすがにカタルーニャ語では言葉が出てこなかったのだろう。「ポルトガル語で」と言って笑った。

 しかし真剣な表情になり、一語一語、感動をかみしめるようにゆっくりと話した。

「僕の夢が叶った。クラブ以上の存在であるバルサに貢献できるといい。それだけでなく、メッシがこれからも世界最高のプレーヤーであり続けられるように、協力したいんだ」

 それを女性レポーターはカタルーニャ語に訳したが、もはやその必要もなかった。ネイマールが言い終わると同時に観客は大声援で応えたからだ。

「とても幸せだし、感動しているよ。バルサの選手になるという夢が実現したんだ。どうもありがとう。みんなにも神のご加護がありますように。ビスカ・バルサ(バルサ万歳)」

 正午過ぎからメディカルチェックや撮影、契約書のサインと矢継ぎ早に予定をこなしてきたネイマールにとって、バルサファンとの初めての面会となったセレモニーは彼の言葉通り感動的なものであった。

 その後に行われた記者会見で、最初に挨拶したネイマールの言葉はまさにその気持ちを正直に表していた。

「みなさん、こんにちは。僕はとても幸せなんだ。僕の夢がまた一つ叶い、とても感動している。偉大な一日となったんだ。僕の家族にとってもね。神に感謝している。

 これまで多くのクラッキがプレーしてきたバルセロナに、僕は小さいときから憧れていた。メッシ、イニエスタ、シャビ、たくさんのクラッキがプレーしている。今日から僕にとって新しいステージが始まる。もし神がお許しになるのなら、大きな成功と喜びを得ることだろう」

13歳のときに受けたレアルからのオファー

 記者会見にはスペインのみならず、世界中から多数のメディアが出席して行われた。

 ネイマールはバルセロナ行きを決めた経緯を次のように説明した。

「いつも重要な決定をするときは父と母とよく話し合ってきた。もちろん最終的に決めるのは僕自身だよ。これまで一度もお金で動いたことはないんだ。小さいときからそうだったし、父からそのように教わって来た。小さいときにもオファーを受け、その条件はとてもいいものだった。お金はとても大切だけど、それが全てではない。そして今回もそれと同じ事をしたんだ。

 大切なのは幸せでいること。幸せであるかどうかが、最も重要なことなんだ。父は試合が終わったときに、いつも僕に幸せかと聞く。そして僕が幸せだよと答えると、それならいいと言ってくれるんだ。今回の決定を下したことで僕は幸せに感じた。それでバルセロナの選手になることを決めたんだ」

 ネイマールが、小さいときにオファーを受けたと話すのは、彼が13歳の時にレアル・マドリーから受けたオファーのことをさしている。実際に父親と共にスペインまで来てテストを受けている。父親に対しても職を斡旋するという好条件でもあった。

 しかしネイマールは滞在するにつれ、寂しそうな表情を見せるようになった。ブラジルに対するホームシックが起きていたのだ。そこで父親は「幸せに感じていないのか」と尋ねると、ネイマールは頷き、そしてブラジルに帰国することになったというものだ。

バルサでプレーするという“アレグリーア”(喜び)

 会場に集まったブラジル人記者からも多くの質問がされた。ワールドカップ1年前ということもあり、それに関する質問も多かった。

「セレソン(ブラジル代表)のためにもヨーロッパのフットボールを経験した方がよいという意見もブラジル国内には多くありましたね」

 これに対するネイマールの答えはこうだった。

「一番ふさわしい時期に国外に出たと思っている。それはジャーナリストが、あるいはファンがそういったからとか、そういうものではないんだ。父や母と相談して決めたし、今、僕は幸せに感じている。ここでもサントスの時のように、成長できるはずだ。バルセロナに貢献したい、そしてまたセレソンにも貢献したいんだ」

 ネイマールのバルサ加入の理由、それは彼の口から繰り返される「幸福に感じている」、その一語に尽きるようだった。事実、彼の表情は笑顔に満ちており、幸せそのもののようだった。

 ネイマールの父によれば、選手が歓びを感じてプレーをしなければ、見ている観客に歓びを与えることは無理だ。だからプレーヤーが歓びを感じることが大切だということを父は繰り返しネイマールに教えてきた。それが自らの信条となる、アレグリーア(歓び)ということになる。それがバルサ行きを前にタトゥーした言葉の一つ、アレグリーアだったのだ。

(文:竹澤哲)

【次回に続く】

text by 竹澤哲