ミケランジェロ最晩年の作品 The world of artists

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画像はミケランジェロの最晩年の作品として知られるローマの共和国広場前に建つサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会Basilica di Santa Maria degli Angeliの内部です。

赤大理石を主にして緑、白の大理石をふんだんに使ったこの豪奢な教会は、1562年、教皇ピウス4世の命によりミケランジェロの設計で建てられたことと、紀元3世紀に建造された古代ローマの遺跡、ディオクレティアヌス帝の浴場跡の大浴場部分を利用して造られたものとして、世界中に知られる名刹です。

当時、教皇に芸術家としての腕を認められ寵愛されていたミケランジェロは、建築の命を受けた時は既に86歳という高齢だったにもかかわらず、不休不眠で設計図を制作したと伝えられます。そして、その2年後、88歳で生涯を終えるその時まで、不自由な身体をおしてまで現場に出かけていたとも伝えられます。もちろん、この教会の完成を見ずに生涯を終えています。

未完の教会は着工してから約200年後、1750年の聖年の準備のためにルイジヴァンヴィテッリによって、1749年に完成していますが、今なおミケランジェロの遺作の一つとして注目を集めています。

教会は1870年にイタリアの統一後、軍の兵舎として使用されたりした後、最終的にフランシスコ会に引き渡され、1920年にはローマ法王ベネディクト15世により、マイナーバシリカという名誉ある地位を与えられ、今に至っています。

バシリカとは身廊・側廊があり、一般的に東端部に祭壇を置く西洋の中世の教会堂形式で、教皇から特権を受けたカトリック教の聖堂のことを指します。また、権威があり規模の大きさも定義付けられているバシリカ。このサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会はその定義からすれば小さ過ぎましたが、法皇の特別の計らいでマイナー(小さい)バシリカという称号を授けられました。

教会は1896年、ナポリの王子の結婚式が行われたり、近年では映画監督フェデリコ・フェリーニ氏の国葬が行われたりなど、著名人の宗教的な祀りごとやイタリア政府が推進する宗教的な儀式が行われる格式のある教会として知られているのですが、映画「ローマの休日」では、アン王女(オードリー・ヘップバーン)が宿泊施設だった迎賓館からこっそり抜け出し、洗濯物を積んだトラックに紛れ込んで、この教会前に広がる共和国広場でトラックから飛び降り、トレヴィの泉やスペイン広場などローマの街歩きを始めます。そのシーンに使われたことでも知られます。

《註:ミケランジェロについて》
ギュスターブ・モローが愛したミケランジェロは、イタリアルネッサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人などマルチ芸術家でした。でも、建築家としてのミケランジェロはバチカンの『サン・ピエトロ大聖堂』の設計者でありながら未完で離れていますし、この教会も未完で終わっています。

もちろん、その理由は両者ともあまりにも壮大な建造物であり、壮大な計画でしたから時間的な理由が大きな要因を占めていると思いますが、でも、彼の生きざまを見ると彼のもっとも求めた道は“画家ミケランジェロ”でした。晩年はルネッサンス様式の手法に飽き足らず、新手法を探り始め、マニエリスムの時代へと画壇を導きました。それはミケランジェロの生涯の最後に挑んだ新しい創造の世界でした。そして、そのマニエリスムの躍動的な表現は、次世代に繋がるバロックの世界を示唆し、カラバッジョに引きつがれていったのです。

もしかしてミケランジェロはバロックの世界をマニエリスムにより準備していたのかもしれません。先にルネッサンスを隆盛させたミケランジェロであったのですが、常に斬新な世界を模索していた彼でしたから、ピカソやブラックと同じように、一か所には止まらず、次世代美術の構築に執念を燃やしていたのです。その思いは後世に引き継がれ、彼の手によりマニエリスムの世界が完成して、そして、バロックへと移行していったのです。