「笑顔」で最期を迎えたブンヌと夫

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 患者が自らの体内に毒薬を入れ、自死に至る。自殺幇助(ほうじょ)が合法化されているスイスで、ジャーナリストの宮下洋一氏は、スイスの自殺幇助団体ライフサークル代表のプライシック女医(58)に「色んな人を取材し、様々な考えに触れなさい」と取材協力を約束された。『SAPIO』(2016年5月号)掲載の宮下氏のルポルタージュから、あるスウェーデン人女性の死に立ち会った部分をお届けする。

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 前号(『SAPIO』2016年4月号)で紹介した英国人老婦の死から1週間を経た2月上旬、またしても、女医から取材機会を与えてもらった。今度はスウェーデン人女性、68歳。

「これだけは、はっきりと言えるわ。まさかこの年齢で死を迎えるなんて、考えたこともなかったって。それ以前に病気とは縁がなかったんですもの。けれど死が怖いんじゃないのよ。この耐えられない痛みとともにじわじわと死んでいくことが、私には恐怖なの」

 2015年9月、スペイン南部のリゾート地・マルベージャで余暇を過ごしていたヨーレル・ブンヌは突然、背中の痛みに襲われた。CT検査を受けると、膵臓(すいぞう)癌が見つかった。余命はわずか半年と宣告された。

 バーゼル郊外にある田舎町にひっそりと佇む高級ホテルの一室に、夫のアンデルス・ユーブリンク(72歳)と滞在していた。翌朝の8時半、英国人老婦と同じ場所で、プライシック女医による自殺幇助が予定されていた。

 この瞬間から、彼女に残された人生は、約16時間。この夫婦と私とで3人だけで面会することになった。とにかく、冷静に振るまい、溢れる自然の感情に身を任せよう。そう自分に言い聞かせ、部屋のドアをノックした。

「待っていました」

 夫のユーブリンクが穏やかな笑顔でドアを開け、手を差し出した。ダブルベッドの上には、痩せこけたブンヌが、ひざを曲げて体を横に倒していた。

 重たそうな右手をこちらに出し、そっと握手を求めてきた。顔には微笑みがなかった。初めての挨拶でニコリともしないヨーロッパ人を、私はほとんど見たことがない。

 まずは、どこに腰掛けたらいいのか戸惑った。ベッドの手前だと、彼女が上体を起こさなくてはならない。そんな私を見かねたのか、「好きなところに腰掛けていいわよ。私は動くと激痛が走るので、この格好を維持したいだけなの」とブンヌは気づかってくれた。

 40年前、ブンヌとユーブリンクは知り合った。2人は共に元産婦人科医で、中東の都市を転々としながら、仕事に明け暮れる日々を送った。数年前に退職し、病が見つかるまでは2人はスペイン南部のセカンドホームで、贅沢な時間を過ごしていたという。会ってから、まだ体勢を一度も変えていない彼女が力なく、口を開く。

「私たちの国は、世界的な福祉国家なのに、人間の死については、議論にもならないわ。宗教色の濃い国ではないですから、倫理的な問題でもないはず」

 モルヒネを使用していたため、取材時の痛みは「10段階に分けると3」だという。しかし、翌朝、ユーブリンクは、「あなたが帰ってから朝まで痛みがあって眠れなかった」と明かしてくれた。この時のブンヌの状態は、20mを歩行することさえやっとで、食後は吐き気と腹痛に悩まされていたのだった。彼女の病状に鈍感だった私は、用意していた問いを一つずつ訊いていった。

 明日、本当に死んでもいいんですか? 私の質問を聞き終える前に、ブンヌは躊躇(ちゅうちょ)せず、きっぱりと答えた。

「もちろんよ。私自身の死ですから。なぜ、あと2か月も耐え難い痛みを我慢して生きなければならないの。耐え抜くことによる報酬でもあるのかしら」

 ブンヌが、プライシック女医の運営するライフサークルのメンバーになったのは、2015年11月で、その3か月後には、こうして希望が実現した。

「とにかく、この痛みから早く逃れたい。痛みが私の体を侵食していくの。元医師として、どんな結末が待っているのか、良く分かっているつもりよ」

 元医師として、いや、この時は患者として、彼女は訴えたいことがあった。

「患者の痛みを和らげる緩和ケアが各国で主流になっていますが、私の意見では、まったく無意味だと思う。それは単なる嘘でしかない。この痛みを和らげることなんてできませんから。特に私の癌は、とても不愉快な痛みです」

 時刻は、午後5時半を回った頃だった。鮮明なオレンジ、赤、紫の空が窓辺に輝く。私はブンヌに訊くべきことがあった。これが多くの場合、安楽死や自殺幇助を妨げる要因に繋がることを、先週旅立った英国人老婦から学んだからだ。子供はいますか?

「ええ、43歳の長女と、40歳の長男がいます」

 このホテルに?

「いいえ」

 スウェーデンに残っている?

「はい」

 ブンヌは、何も付け加えることなく、イエスかノーの返事をした。親子関係に、やや冷たい空気が流れている気がした。英国人老婦は、「子供がいたら違った決断をしていたかもしれない」と話していたが、ブンヌはどうなのか。

「私は大丈夫よ。子供たちもね」

 彼女は、あまりにも冷静だった。

「2人には、すでにスウェーデンで別れを告げてきました。この決定は、私の個人的なものだと思っているんです。死ぬ私の姿を子供たちに見てほしくはない。夫だけに、私の最期の顔を見つめてもらいたいのです」

 長男とは、長年仲違いで、顔を合わせる機会もほとんどなかったという。しかし、この死を選択したことを伝えると、長男は理解を示し、以前にはなかった母親へのサポートを始めた。長女については、口にしようとしなかった。私も敢えて訊くのをやめた。

 横で見つめる夫のユーブリンクにも、問いかけたいことがあった。彼女の病を知った時、どんな思いでしたか?

「単なる冗談だと思いましたね。私が嘘だと笑っても、彼女の表情が変わらなかった。それは、とてもショックでした。この病気はとにかく先が短い。どうしたら良いのか、分からなかった。医師だったから理解できるはずなのに、身近の人間だとそれができないんです」

 どうやって乗り越えたのですか?

「時間ですよ、ええ、時間。時間が私を苦しみから救ってくれたのです。でも、もっと長く一緒にいたかったなぁ」

 夫に背中を向けた状態のブンヌが、その瞬間、うつむき加減で囁いた。あまりにも小さなかすれた声だった。

「私もよ……」

 もう一つだけ、頼みたいことがあった。写真を撮らせてくれないか、と。一瞬の逡巡のあと、それが何かの役に立つのであれば、と承諾してくれた。

 ブンヌは正面写真を拒んだ。4か月間で体重が60kgから43kgに激減し、「痩せこけた自分」を写してほしくなかった。それでも必死に上体を起こして、夫の肩に寄り添うように横を向いた。ユーブリンクが彼女を横目に微笑んだ。死にゆく妻との最後の写真で、夫は笑っている。

 私が戸惑っていると、

「いいのよ。私たちは、40年間、苦しい時も、いつも笑って生きてきたのだから。最後まで彼の笑顔を見たいわ」

 約束した1時間だけの取材時間が過ぎていた。2人だけの最後の時間を、私が奪ってはならない。ユーブリンクとは翌朝、彼女が「深い眠り」に就いた後、朝食を一緒に取ろうと決めた。

 ブンヌには、写真や会話内容の使用を許可してもらうためのサインが必要で、これから用意すると告げると、「明日はもう死んでいるから、サインできないわよ」と返された。

 返事に困った私は非礼にも、笑ってしまった。そのすぐ後に、彼女自身も微笑んでくれた。私は、荷物をまとめ、2人に手を差し出し、別れを告げた。ブンヌは、ただ、無表情で私に告げた。

「グッバイ」

 翌朝8時半、同じアパートの中で、自殺幇助が行われた。私は前回とは異なり、アパートの中に招かれなかった。最期を看取るのは夫だけであってほしいという。午前8時半から10時まで、私は、町中の喫茶店で時間を潰した。

 ユーブリンクは、一体どんな表情で現れるか。泣き崩れるか。いや、こういうことだってあり得るのではないか。ブンヌが自殺を断念し、まだ生きているということも。携帯が鳴る。

「ハイ、ヨーイチ、終わりました」

 女医だった。いつもの淡々とした話し方だ。私が、指定された喫茶店に向かうと、赤いジャンパーを着た女医がいた。その横に、夫の姿を見つけた。

「すべてが本当にうまく行きました」

 やや疲れた表情でそう答えたユーブリンクは、手元にあったチョコレートケーキを頬張っていた。私が想像していたよりも、落ち着きがあるようだった。彼が、女医に話しかけた。

「妻があなたに知り合えてよかったと思っています。この死に方を選んだのも正解だったと、今は考えています」

 女医は、その日の夕方にもう一人のスイス人患者を幇助する予定があると言った。カプチーノを飲み干すと席を立ち、喫茶店を後にした。しばしの沈黙の後、私は彼の顔を覗き込んだ。

「私は大丈夫ですよ。こうなることは、覚悟できていましたから」

 ストッパーを開けた時、彼はブンヌの手を握り、お互いに涙を流したという。彼女が喉元に異変を感じた時、「これで最後よ」と、夫を見て囁いた。

 奥さんに最後、何と伝えましたか?

「きみはこれから長い睡眠に入るんだよ。楽しい人生をありがとう。またどこかで会おう。愛しているよ、と……」

●みやした・よういち/1976年、長野県生まれ。米ウエスト・バージニア州立大学外国語学部を卒業。スペイン・バルセロナ大学大学院で国際論とジャーナリズム修士号を取得。主な著書に『卵子探しています 世界の不妊・生殖医療現場を訪ねて』など。

※SAPIO2016年5月号