テレビ誕生は「とと姉ちゃん」の地元から


現在放送中のNHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」は、1930(昭和5)年の静岡県の浜松を舞台にドラマが始まった。ちょうどこの年の5月、昭和天皇が静岡県を行幸した際、浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)を視察している。その目的は、当時この学校で高柳健次郎を中心に研究開発が進められていたテレビジョンの実験を見るためだった。


高柳らのグループが初めてブラウン管受像機に画像(「イ」の字)を映し出すことに成功したのは、その4年前の1926年12月25日のこと。それは大正天皇が崩御し、昭和に改元された当日であった。

同時期には早稲田大学でもテレビの研究開発が進められていた。これについてはかつて「凛凛と」(1990年)という連続テレビ小説でとりあげられたことがある。高柳らのブラウン管を用いた電子式テレビに対して、こちらは穴の開いた円板などを用いた機械式テレビであり、画像の明るさや鮮明さで当初は電子式を上回ったという。

このほか国内外のグループと競ったり影響を受けたりしながら、高柳たちはなおも改善を重ねる。そこへ来ての天皇の視察は追い風となった。本格的にテレビの研究施設の設置が認められ、文部省とNHKからそれぞれ数千円もの研究費が出されるようになり、浜松地域で実験放送を行なえるよう放送設備も整えられた(高柳健次郎『テレビ事始』有斐閣)。

高柳はその後1936年に全電子式テレビを完成させ、翌年、NHKの技術研究所に移る。ちょうど1940年に予定されていた東京オリンピックに向け、テレビの実用化をめざすNHKから招かれてのことだった。しかし日中戦争の激化にともないオリンピックは中止となり、テレビ開発もまた太平洋戦争の勃発、さらに敗戦後の占領軍の研究禁止命令により中断を余儀なくされる。ようやく放送開始へとこぎつけたのは1953年のことだった。この年2月にNHKが東京でテレビ本放送を開始し、8月には日本テレビが開局している。

NHKはテレビ放送開始にあたり、専属の俳優を募集した。このときの応募者の一人には、やがて「テレビ女優第1号」となる黒柳徹子がいた。その黒柳のテレビ人生を描くNHKの土曜ドラマ「トットてれび」(総合、土曜よる8時15分〜)がきょう4月30日から始まる。原作は黒柳著『トットチャンネル』(新潮文庫)および『トットひとり』(新潮社)。脚本は朝ドラ「花子とアン」を手がけた中園ミホ、黒柳を演じるのは満島ひかりだ。

満島はかつて連続テレビ小説「おひさま」(2011年)でヒロイン(井上真央)の親友・育子に扮した。育子はドラマ終盤、終戦直後に出版社から放送局に転職する。そんな彼女を、最終回の現代のシーンで演じたのが誰あろう黒柳徹子だった。今回のキャスティングはおそらくそのあたりも念頭に置いてのものではないか。

おすもうさんの入る小さな箱?


黒柳徹子が初めてテレビジョンなるものの存在を知ったのは、小学生のころ(1940年代)、アメリカにはそういう箱のようなものがあると親友から教えられてだった。

「それが日本に来れば、家にいてもお相撲が見られるんだって!」とうれしそうに説明してくれたその親友は、小児麻痺で体が不自由だった。だから親友にとってそれがどんなにうれしいことか、幼い黒柳にもよくわかったという。ただし一方で、「どうやって、自分の家の小さな箱のなかにおすもうさんが入るのか」、彼女にはどうしてもわからなかったのだが(『トットチャンネル』)。

そんな黒柳とテレビの馴れ初めから語られる自伝『トットチャンネル』は、1987年には大森一樹監督・斉藤由貴主演で映画化されている。のち2006年になってDVDが出ていたので、この機会に見返してみた。もうかなり前にVHSで観たきりでほとんど内容を忘れていたが、ひとつだけ、斉藤演じるヒロイン(役名は「柴柳徹子」)が顔の左右をべつべつの色で塗り分けられるシーンは妙によく憶えていた。まあ、この話は「トットてれび」でも出てきそうだから詳しくは書かないでおこう。

DVDでは当の黒柳徹子(劇中ではナレーションを担当)によるオーディオ・コメンタリーがついていて、これが面白い。この映画は斉藤のほか、彼女とともにNHKの試験を受けて俳優の卵となった高嶋政宏(これが映画デビュー作)、渡辺典子、網浜直子、村上里佳子らによる青春群像劇でもある。斉藤と高嶋のちょっとしたロマンスも描かれるのだが、コメンタリーで黒柳が「残念ながらこういうことは実際にはなかったんですけれど」などといちいち説明するのがおかしい。

しかし、細かいところではかなり忠実にテレビ草創期を再現している。コメンタリーによれば、劇中、斉藤の手にする受験票や合格証まで実物を用いていることに黒柳も驚いたという。

「ゴジラ」にかかわっていた徹子パパ


劇中には当時の映画ポスターや映画館なども登場し、これまた忠実に再現されている。斉藤と高嶋が世田谷の砧(きぬた)にあるNHKの技術研究所に赴くシーンでは、ゴジラの着ぐるみを積んだトラックが映る。すぐ近くに映画「ゴジラ」(1954年)が撮影された東宝のスタジオがあったがゆえの描写だ。じつは黒柳の父親でバイオリニストだった黒柳守綱は、「ゴジラ」の音楽にも参加しているという(ついでにいえば、監督の大森一樹はこのあと、平成ゴジラシリーズの第1作「ゴジラvsビオランテ」を手がけることになる)。

コメンタリーでは、一人娘に厳しかった父親と、どちらかといえば自由放任主義だった母親についても折に触れて語られている。なお、母の黒柳朝(ちょう)はこの映画と同時期にNHKで放送された連続テレビ小説「チョッちゃん」(1987年)のモデルとなった。ドラマではこの母を古村比呂、父を世良公則が演じたが、今回の「トットてれび」では安田成美と吉田栄作が両親に扮する。ちなみに実際の徹子パパは、『トットチャンネル』掲載の写真を見るかぎり若いころの久米宏似のイケメンです。

植木等の飄々とした演技にも注目


映画「トットチャンネル」には両親は出てこないものの、黒柳の育ての親ともいうべき恩師たちは登場する。とりわけ朗読の講師で、彼女の才能をいち早く見抜く役どころの植木等の演技が印象深い。

たとえば、スタジオ見学に訪れた斉藤由貴がテレビカメラのケーブルを踏んでいるのに気づくと、植木は「踏まないでください、顔がこんなふうに曲がって映ってしまいますから」と実際に顔をゆがめて諭す。もちろん冗談なのだが、飄々とこんなことを言われると思わず真に受けてしまいそうだ。

植木のモデルとなったのは大岡龍男というNHKの文芸部のプロデューサーだが、じつは俳人の高浜虚子に師事した写生文の大家だったことを黒柳はかなりあとになって知ったという。今回のドラマ「トットてれび」では大岡を武田鉄矢が演じる。植木等とはちょっとイメージが違うが、黒柳たち生徒にとって大岡は担任の先生のような立場にあったというから、ここはやはり金八っつぁんの出番ということなのでしょう。

ついでにいえば、「トットてれび」には劇中の人物として植木等が、同じくコメディグループ「クレージーキャッツ」のメンバーであるハナ肇や谷啓とともに登場する。演じるのはお笑いグループ「我が家」の三人だ。それにしてもここ最近、「とと姉ちゃん」に木曜時代劇「鼠(ねずみ)、江戸を疾(はし)る」と、NHKのドラマで我が家をよく見かける。

話を映画「トットチャンネル」に戻せば、俳優の卵としてラジオやテレビにエキストラや端役として出るようになった斉藤だが、失敗を繰り返す。そのたびに彼女を叱りつける先輩女優を久野綾希子が好演している。しかし斉藤もやられっぱなしではない。映画の後半では、先輩に斉藤が反撃する機会が巡ってくる。

映画では黒柳自身の失敗ばかりでなく、録画技術がまだなくて生放送しかできなかった時代ならではの失敗談がいくつかとりあげている。なかにはまるでコントのような話もある。これもきっと「トットてれび」で出てくるはずだ。

後年、黒柳は歌番組「ザ・ベストテン」の生放送で、さまざまなハプニングを切り抜けることになる。それを10年以上続けられたのも、やはりテレビ草創期にさまざまな失敗を経験してきたからこそなのだろう。

100歳まではテレビに出られれば


映画「トットチャンネル」では終盤、斉藤由貴がレギュラー番組を持つ一方、同期の渡辺典子が結婚して仕事をやめるなど、仲間たちはそれぞれの道を歩み始める。その結婚式のあと、ひとりになった斉藤が、自分の将来を考えながら歩いていると、公園で街頭テレビに人々が熱中しているところに出くわす。その様子は彼女とテレビのその後を示唆するかのようだ。

劇中で「電気紙芝居」と呼ばれていたように、テレビがどんなに影響力を持ちうるか、その草創期にあってほとんどの人は予想できなかったらしい。黒柳自身、テレビがここまで大きな存在になるとは思わなかったという。

テレビという箱のなかに入った黒柳だが、DVDのコメンタリーの終わりがけには「四角い箱のなかに入ってしまうのはいやだった。自分の人生は箱のなかに入っているだけじゃない」と語っていた。女優としての活動の場をテレビからやがて舞台に移したのは、そういう理由もあってだろう。

それでも一方で「100歳まではテレビに出られれば」とも語る。以前、黒柳はNHKのプロデューサーに、100歳になったら毎日、7時のニュースの時報のあとにでも出してもらい、自分が映っていたら「きょうも元気だな」、いなくなったら「ああ、ダメだったんだな」と視聴者に思っていただいたらどうでしょうと提案したことがあったという。これにプロデューサーは「いいですね!」と大ウケだったとか。

じつは今回の「トットてれび」で黒柳はその100歳になった自分の役で登場する。どんなふうにドラマにかかわるのか、気になってしかたがない。
(近藤正高)