「映画」は国境を超えて人の心を打つことができる素晴らしい文化の一つだ。しかし中国メディアの思客は25日付の記事でかつて中国人にとって本当に魅力的だった日本映画は、現在すでに中国の心を捉えることができなくなっていると論じた。(イメージ写真提供:123RF)

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 「映画」は国境を超えて人の心を打つことができる素晴らしい文化の一つだ。しかし中国メディアの思客は25日付の記事でかつて中国人にとって本当に魅力的だった日本映画は、現在すでに中国の心を捉えることができなくなっていると論じた。

 記事は1970年代の日本映画、例えば「君よ憤怒の河を渉れ」や「サンダカン八番娼館 望郷」などの作品が中国で大流行、異様な情熱を持って迎えられたと説明。大流行の要因には日中平和友好条約の締結や、また文化大革命が終了して間もない頃の中国には精神の慰めを得られる作品がなかった一方、当時の中国人は自分の思いや感情を日本映画をみることによって「表現できた」ことが関係していると論じている。

 これはまさに映画が持つ大きな魅力の1つと言えるだろう。映画は人々が自分を投入する世界、自分を表現する世界を与えることができる。文化大革命直後の中国にとって日本映画は大きな慰めとなったに違いない。

 しかし記事は、近年の公開される日本映画は中国では「冷めた態度」で迎えられていると紹介。日本映画が中国人の心を捉えることができなくなった要因として反日感情の存在及び中国国内の映画が十分に表現力を持つようになったことが挙げられると記事は分析する。

 記事の主張をまとめるなら日本映画の質が衰えたというよりも、むしろ1970年代の中国の独特の社会情勢及び良好な日中関係が中国人に日本映画を渇望させたということになるだろう。そして中国人は現在の中国映画を鑑賞することで、自分の思いや感情を十分に表現できるようになったため、日本映画をもはや必要としなくなった。

 では日本映画はかつてのように中国社会に大きな影響を与える存在になることを願うべきなのだろうか。日本の映画作品が中国で高く評価されるというのは確かに喜ぶべきことだが、しかしそれを「目標」にするのは意味のないことと言える。日本人の感性と中国人の感性は異なる点があって当然だ。自分が美味しいと感じる料理の繊細な味を、ほかの人の舌に合わせて変える必要はまったくないということだ。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)