「あおぞらが、妙に、乾いて、紫陽花が、路に、あざやか なんで死んだの」

作り手の“痛み”を感じさせるこの一文は、31音で綴られる「短歌」。『クローズアップ現代』(NHK/2016年3月17日放送)にも出演したセーラー服歌人・鳥居さんの一首です。

鳥居さんは、両親の離婚や母の自殺、児童養護施設での虐待、不登校、施設を出たあとはホームレスに……という、過酷な子ども時代を歩みました。そんな彼女が救いを求めたのが短歌だったのです。鳥居さんがセーラー服を着るのは、義務教育を受けられないまま大人になってしまった人の存在を訴えるため。その活動が功を奏し、2月には歌集『キリンの子』、半生を描くノンフィクション『セーラー服の歌人 鳥居』(岩岡千景著、ともにKADOKAWA アスキー・メディアワークス発行)も刊行されました。

今回は「生きづらいなら短歌をよもう」と主張する鳥居さんに、壮絶な半生を短歌にするときの気持ち、短歌や文学の“孤独”な魅力などを伺いました。

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『キリンの子』(KADOKAWA アスキー・メディアワークス)

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母の自殺、虐待などをテーマに短歌を詠む

――「花柄の籐籠いっぱい詰められたカラフルな薬 飲みほした母」など、鳥居さんはお母さんの自殺や、その後に入所した児童養護施設での虐待を題材とした短歌を作っています。歌には事実や感情だけでなく、そのとき見たものや聞こえた音などが細やかに描かれていますが、作品作りで過去がフラッシュバックし、つらくなることはないのでしょうか。

鳥居さん(以下、鳥居):すごくつらいです。フラッシュバックが降り注いでくる中を、駆け抜けて耐えながら考える、という感じですね。パニックになってしまったら作品が作れなくなってしまうので、冷静に徹するように心がけています。戦場カメラマンが写真の構図とか、光の加減とか、ピントの当て方とかを工夫するように、言葉の配置の仕方などに気を配るんです。監視カメラのように、ただ、ぼーっとフラッシュバックしている様子を撮っただけでは作品にならないので。魅力的な作品にするには、技術と、「いい作品を作ろう」という作り手の意識が必要だと思うので、冷静さを失わないようにしながら、そのときの感情を思い出しています。

短歌は書く人・読む人の共同作業で作るもの

――初の歌集『キリンの子』の中には「目を伏せて空へのびゆくキリンの子 月の光はかあさんのいろ」という歌がありますが、どのような情景を歌ったものですか。

鳥居:「キリン」には神様の遣いである「麒麟」の神話がかったイメージと、動物園の人気者というほのぼのとしたイメージとがありますよね。首が長いのは、高い木の葉っぱを食べているからだと言われていますが、本当は天に恋しい人がいるからじゃないのか、まつ毛が長く伏し目がちなのは、黙とうしているからかもしれないと、キリンについて想像を膨らませました。キリンの子が離ればなれになってしまったお母さんを想い、おぼろげな記憶の中の、お母さんの色に似た月に向かって首を伸ばす、そんな情景を思い浮かべて作った歌です。

――「キリン」、「かあさんのいろ」など、漢字や他の書き方ができる言葉もありますが、言葉の表記について工夫された点はありますか。

鳥居:静かな歌にしたかったので、画数の多い漢字は使わないようにしました。表記については結構悩みましたね。キリンの母と子の歌だから、「かあさんのいろ」という平仮名で、やわらかさ、幼さを表現しました。短歌は書く人と読む人との共同作業で、作り上げていくものだと思っています。だから様々な解釈が可能で、私は「誤読も自由」だと思っています。

ひとりで楽しめる「孤独」という魅力

――鳥居さんは短歌の魅力として、「孤独さ」を挙げていらっしゃいます。孤独さとは、どのようなことなのでしょうか。

鳥居:本を読むときって、たいていひとりですよね。テレビとかだとワイワイみんなで見ますけど。本読むときは、ゆっくり読んだり、読み返したり、ページを戻して読み返したり、例えば小説の中にイチゴパフェが出てきたら「昨日イチゴパフェ食べたなぁ」って読むのを止めて思い出して見たり、ひとりの時間をぞんぶんに味わえる。文学はそういう性格があると思います。ひとりで楽しめる、それを「孤独さ」と表現しています。

もうひとつ、一対一で作者とつながれるという魅力があると思います。この前、子犬が出てくる小説を読んだんですけど、読んでてかわいくてたまらないんですよ。実際、目に見えているのは紙とインクですが、私には子犬が見えてる。また、「子犬がかわいくてたまらないなぁ」という私の気持ちは、作者と通じ合っている。短歌に限らずですが、言葉を通して向き合えるのは本の魅力ですよね。

性を扱っても上品な、吉川宏志さんの短歌

――短歌というと、与謝野晶子や石川啄木のように、古語で書かれているもの、教科書に載っていたものという印象が強く、なかなか手にとられないジャンルだと思います。初心者におすすめの本はありますか?

鳥居:初心者の方におすすめなのは、『コレクション日本歌人選』(笠間書院)ですね。1首につき約2ページもの丁寧な解説がついているので、とてもわかりやすいですよ。

――鳥居さんご自身は、歌集『キリンの子』の解説を書かれた吉川宏志さんがお好きだそうですが、特に好きな短歌を教えてください。

鳥居:実は私、吉川宏志さんの歌集にポップを描かせてもらって、完売に少し貢献したこともあるんです。『吉川宏志集 セレクション歌人32』(邑書林)では、メガネをかけた文学青年の、大学生の頃から、就職活動、結婚し息子の父親になるまでの日常が、短歌であざやかに描かれています。真面目さや初々しさがとても魅力的で、恋愛の歌が多く、性についての描写もありますが、いやらしさは感じず上品です。特にお気に入りのものを3首紹介しますね。

「窓辺にはくちづけのとき外したる眼鏡がありて透ける夏空」

恋人と一夜を共にした翌日、太陽の光が刺す窓辺に、昨夜自分が外したメガネを見つけた。レンズの向こうには晴れわたる夏の空があった。性を描いているのに、さわやかな歌です。

「しばらくの静謐ののち裏返るミュージックテープは魚のごとしも」

とてもあざやかな歌だと思います。カセットテープのA面とB面が切り替わる時、一瞬静かになってから「ガチャッ」って音がなりますよね。その様子を、静かな水面に突然魚が跳ねて水音がするように表現しています。短歌をたくさん読んでいない頃でも、面白く読めました。

「泣きながら極論を言うくちびるが幼虫のごとつやめきて見ゆ」

吉川さんの作品には、恋人とのケンカを題材とした歌も多くあります。ケンカでキツイ言葉を投げつける彼女に、ぽかんとする男の子。涙にぬれてつやつやしている唇を、冷静に幼虫に例えています。「怒られている最中に、短歌作っていたら余計怒られるんじゃん」って気もするけど、面白いです。

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『吉川宏志集 セレクション歌人32』(邑書林)

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「戦争作品に共感する」 そのワケとは

――短歌以外の文学にも好きなものはありますか。

鳥居:はい。小説では、辻仁成さんの『ミラクル』(新潮文庫)が好きです。母親を亡くした少年に、「お母さんは雪が降ると帰ってくる」とウソをつき続ける父親。ふたりは冬になると雪の降らない南国を旅します。本当は自分も妻に会いたいゆえに、ウソをつき続けざるを得ない父親と、無邪気に母親を求める男の子に胸がしめ付けられます。そして、親を亡くした私が読んでも、登場人物の心の描き方にはリアリティを感じましたね。

それから、山中和子さんの『昭和二十一年八月の絵日記』(トランスビュー)という絵本も好きです。私は母が自殺してしまい、施設で生活していたという生い立ちのため、大型連休の帰省についてや、子どもの頃に流行ったアニメの話題など、みんなが「普通」としていることが共有できず、気まずい思いをしたり、生い立ちについて気を遣われ過ぎて息苦しさを感じたりしていた頃がありました。そんな時にふらりと立ち寄った喫茶店で読んだこの絵本に惹かれました。まず日記の中の言葉使いが、とても丁寧なんです。そして、戦争という狂気じみた世界を経た敗戦後の社会で、食べ物に感謝し、ささやかな幸せを大切にする場面が描かれています。そういうところに救いを感じました。

私は『昭和二十一年八月の絵日記』以外でも、戦争を題材とした本が好きで、それは戦争が好きだということではなく、共感できる部分が多くあるからです。「敗戦」など衝撃的な出来事が突然やってくる、ということも急に母を失ってしまった自分の経験とも重なりましたし、焼け野原で食べ物を探す描写も私のホームレス時代の体験に似ていると思います。時代や起こった出来事の規模はちがうけれど、「変わってるよね」といわれてきた私でも、共感しながら読むことができます。

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『昭和二十一年八月の絵日記』(トランスビュー)

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文学は物事の「捉え方」を変えてくれる味方

――鳥居さんにとって、芸術や文学による救いとはどのようなものなのでしょうか。

鳥居:辛いことがあっても幸せに生きていたいから、自分を慰めるもの、美しいもの、面白いもの、文学や音楽、舞台などに触れていたい。文学や芸術を味わっても、問題は解決したりしないし、そこから逃げるわけでもないのだけど、現実をいつもとは違う見方、捉え方ができると思っています。

――鳥居さん自身も2月に、半生を綴ったノンフィクションと歌集を刊行されました。歌集は同人誌や自費出版も多いですが、どのような経緯で出版にいたったのですか。

鳥居:「生い立ちの本出しませんか」って話は、けっこうあったんです。でも、歌人だからまずは歌集が出したいと思っていて。そんなとき、出版社のKADOKAWAさんにお声がけいただいたんです。ノンフィクションのほうでも短歌や芸術のことを丁寧に書いてくださるとのことだったので、出版を決めました。

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『セーラー服の歌人 鳥居』(岩岡千景著、株式会社KADOKAWA アスキー・メディアワークス)

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夏の歌を詠み、冬の公園で暖をとる

――鳥居さんはどのように短歌を書くのですか。

鳥居:私は基本的にひきこもりで、押し入れの中にいるのですが、書くときは家だったり、外だったり。パソコンで書くとこともありますが、リュックにノートとペンだけ持って、遠くの喫茶店やマクドナルドやファミレスで書くこともあります。「50首作るまでは帰らん」みたいな。公園で書くこともあるのですが、真冬だと寒いし、どんどん夜になってくるので「あえて夏の歌を作って暖をとろう」とすることもあります。

時間はまちまちなんですけど、昨日は15時間ぐらい書きました。本当は休みたいんだけど、休むのが下手で、ぶっ続けで頑張りすぎちゃう癖があって。仕事をしていたら、つい残業しちゃうタイプです、きっと。今回の歌集の担当の編集の方には、「今までいろんな作家さんとか、出版に携わる人を見てきたけど、鳥居さんほど真面目な人は見たことない」って言われました。常に「書かなきゃ、書かなきゃ」と思っていて、それだと疲れちゃうので意図的に「今日は休む」って決めて、でもずるずる休めなくて、いまいちリフレッシュできなかったりとか、そういう感じですね。今、調整中です。

ひきこもり、ニート…いろんな人と共感しあう歌会も実施

――鳥居さんは「生きづらいなら短歌をよもう」ということで、「虹色短歌会」「生きづら短歌会」を発足されています。これはどのような活動なのですか。

鳥居:読書会のように、好きな歌を持ち寄る会です。小説だと短編ならその場で10人全員読んで感想を言い合えるけど、長編だとなかなか言いづらい。でも短歌だと一行ですので、パッと見せて、すぐ共有できる。自分のおすすめの短歌を紹介して「いいね」「かっこいいね」「美しいね」って言い合って、「今日も短歌をより好きになれたね」って思える会です。切磋琢磨の場ではなくて、みんなに「いいね」と言ってもらえる、うれしいことしか起こらない場所。よく、短歌は難しいとか、敷居が高いとか言われますけど、ぜんぜん短歌を知らない初心者でも楽しめる会です。

――普通の歌会とはどう違うのでしょうか?

普通は自分の作ったものを持ち寄るんですよ。最初はそうしてたんですけど、あるとき参加者のひとりが「いきなり自分では短歌は作れない」とおっしゃったんです。例えば、ビートルズの歌がかっこいいと思っても、すぐに作曲はできないですよね。それと同じで、すぐに短歌が作れなくてもいいんじゃないかと思って。ただ好きで、ただ読者でもいいんじゃないか。そういうことで、好きな歌を持ち寄ることになりました。

簡単な言葉で、短歌の魅力を広めていきたい

――鳥居さん自身にはどんな発見がありましたか。

鳥居:歌人って、高学歴の、いわゆるエリートの人が多いんです。でも「虹色短歌会」や「生きづら短歌会」は、ひきこもりの人とか、ニートの人とか、不登校とか、セクシャルマイノリティとか、夜の仕事をしている人とか、いろんな人がいます。学生も社会人もいますが、上下関係はありません。例えば無職の人がいて、隣に社長がいたとしても、その場では平等で「この歌はいいよね」って楽しみあっている。

――どんな話をされるのでしょうか。

いろんな人がいるので、短歌の解釈もさまざまなんです。大学生の子で古典に詳しい子がいたらその知識を駆使して解釈しようとしたり、西洋の歴史に詳しい人はキリスト教の知識から歌を理解しようとしたり。思いもよらない解釈があるのも面白いなぁと思いますね。

――初心者の意見から得ることもありますか。

鳥居:プロ歌人からだと絶対質問しないような、素朴な質問が出ることですね。例えば、「なんで31音なの?」とか「30音だったらダメなの?」とか。5・7・5・7・7のリズムに収まらず、例えば5・7・5・7・8になってしまうことを「破調」と言うのですが、「字が減ったり増えたりするのはどこまでOKなの?」「誰が決めてるの?」「どこにルールが載ってるの?」とか。そんな素朴な質問に立ち向かうのも、勉強になるなあと思います。

あとは今、子ども向けの短歌講座を無料でやろうと思っています。簡単な言葉で短歌の魅力を広めていきたいんです。歌人が一番やるべきことはいい歌を作ることなんですけど、でも、短歌を知らない人でも一緒に遊べるようになる活動もしていけたら、と思っています。

(谷町邦子)