熊本からやってきた筍【根本きこの島ごはん】

写真拡大 (全2枚)

友人からのお裾分けは、熊本から送られてきた筍だった。
小ぶりながらも、頑強な皮で覆われている。その皮はまるで獣を彷彿させるような産毛がびっしりとはえていて、撫でるとビロードのようにしっとりしていた。根元には新鮮な湿り気のある土がまぶされていて、掘って間もないであることを証明している。
友人は、「友だちの知り合いが熊本の地震に遭って、いてもたってもいられなくなって、裏山で掘りまくった筍なんだって」と言いながら、「じゃ、また!」と颯爽と去っていった。
その捨て台詞の意味を考えながら、わたしは玄関先で新聞紙の包みを抱えたまま、しばらく立ち尽くしてしまった。本来ならば、沖縄に住むわたしのほうが、熊本に何か送らなければならないところなのに......。でも、それよりも、「いてもたってもいられなくなって筍を掘りまくる」という行動に、おおきな衝撃を受けた。すごく動物的というか本能というか。
わたしだったら、大地震後にそんな行動に出れるだろうか。まじまじとその筍を見つめて、あらためて「分け合う」ということについて考えた。
時代は縄文から弥生へ。これまでに縄文人の骨は4000〜5000体ほど見つかっているという。そのなかで、明らかに殺されたと見られる骨はわずか10体ほど。それが弥生になると1000体中100体が他殺らしい。
それはどういうことかというと、弥生に入り稲などの穀物の生産が大量に行われるようになると、人々は余分な量の食料を得ることが可能になる。しかし、その食料を巡って争いが起きる。所有する者とそれを奪う者という二分化が起きたことが、こうした歴史から分かる。
縄文は、狩猟採集などによって(多少は稲作も行われていたらしいけれど)みんなが等しく食べ物を分け合っていたので、こうした争いの跡はほとんど見られないという。
このエピソードで思い出すのは、キューバだ。当時アメリカから経済封鎖を受け、ソ連からの援助もストップしたキューバは、国として最大の窮地に立たされた。
自給率40%というキューバにおいて、このまま他国からの輸入がなければ国民が餓死してしまう。困窮した政府および国民はありとあらゆる空き地を農園にして、種をそこいらじゅうにまきまくる、という行動(政策)に出る。もちろん農薬や化学肥料の類もいっさい手に入らないので、野菜はおのずと無農薬の有機農法。
その結果、キューバの自給率はみるみる上昇し、一気に倍以上の数字になる。そんな過去の経緯あって、今ではキューバは世界有数の有機農業国家になっている。社会主義国だから可能だったのか? もちろんそれも大きな資質ではあるに違いない。
持っているものと持っていないもの。この「差」は資本主義においては仕方のないことなのだろうか。
食べ物に限らず、お金や学歴、そして情報すら、そういった「差」に左右される。ときに「差」は、競争を生み、そして消費され、最後には経済のブラックホールに飲み込まれていく。
「ひとつのパンを分け与えよ」、とキリストは言った。
筍は、もちろんパンでない。季節ともなれば、竹林のあちこちに生えている山の恵みだ。
この1本の熊本の筍は、メッセンジャーのようにだいじなことを教えてくれているように思う。

この筍で、筍ごはんをこしらえ、それをしっかりと噛み締めながら、家族みんなで味わうことにしよう。