中国メディア・人民網は24日、日本国内にある「筆の都」として、広島県熊野町における毛筆生産業の歴史や、その文化について紹介する記事を掲載した。(イメージ写真提供:123RF)

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 中国メディア・人民網は24日、日本国内にある「筆の都」として、広島県熊野町における毛筆生産業の歴史や、その文化について紹介する記事を掲載した。

 記事は、人口2万5000人足らずというこの小さな町で、日本国内の毛筆、画筆、化粧筆の80%が生産されていると紹介。一方で、熊野町の筆づくりは180年と歴史が浅いほか、毛筆の材料となる動物の毛はほとんどが中国をはじめとする輸入物であり、軸も岡山や島根で生産されるものであると説明した。

 そして「ではどうして熊野が筆の都として発展したのか」と問題を提起したうえで、耕地面積の狭さゆえ農業だけでは生計を立てることが困難ななか、1830年代には広島藩の奨励により若者が兵庫に筆の製造技術を学んで持ち帰ったこと、その後明治政府の教育重視政策も相まって毛筆のニーズが増加、熊野の毛筆製造業の発展を促したことを紹介した。

 また、第2次世界大戦後に一時期毛筆の練習が禁じられたことでピンチを迎えるも、画筆や化粧筆の生産に活路を見出し、新たな発展の契機をつかんだと解説した。そして、1975年には「熊野筆」が国の伝統工芸品に指定されるまでに技術が昇華され、現在2500人が筆の政策に従事していると伝えている。

 そのうえで、筆の生産はすべて手作業で行われ、70あまりの工程が存在すること、その技術は父から子、子から孫へと代々伝えられてきたと紹介。その魅力は動物の毛髪に人為的なカットを施さず、原状のまま筆に用いることで非常に柔らかい感触を実現している点にあると解説した。

 記事は一方で、その他の伝統産業同様、熊野の筆産業も継承者不足に直面していると指摘。これに対して町や組合が後継者の育成を支援する取り組みを進めているとも紹介した。そして最後に「数十年前は書写用毛筆が熊野筆の代表だったが、化粧筆が海外での知名度をますます高めており、もはや新たな代表となった。小さな化粧筆1つでさえも、長い時間に及ぶ伝承と、さらなる高みを目指そうとする匠の精神を象徴しているのである」と評した。

 熊野町の毛筆生産業が中国の製造業に与えうる啓示は、単に代々続く技術や文化の継承に対する真摯な姿勢に留まらない。窮地に追い込まれた際に、既存技術を画筆や化粧筆へと応用することで活路を見出した点も中国の製造業にとっては「大いに学ぶに値すべき点」なのだ。熊野町の事例は、近年中国国内全体で口癖のように叫ばれている「伝承と革新」にピッタリ当てはまるのである。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)