『カエアンの聖衣〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)』バリントン・J・ベイリー 早川書房

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 バリントン・J・ベイリーは日本のSFファン(の一部)に熱狂的に支持される作家だ。カルトというのとはちょっと違って「濃い」かんじがウケているのだ。

 よくワイドスクリーン・バロックの代表作家のように言われたりもする。これはブライアン・W・オールディスが言いはじめたサブジャンルで「絢爛華麗な風景と、劇的場面と、可能性からの飛躍の楽しさに満ちた、自由奔放な宇宙冒険物」のことだ(SFの歴史を概観した研究書『十億年の宴』で、アルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ!』をワイドスクリーン・バロックの決定版と称揚したときの表現)。

 ワイドスクリーン・バロックの先駆けはA・E・ヴァン・ヴォクトだし、オールディスのイチ推しはチャールズ・L・ハーネスなのだけど、日本のマニアのあいだではだんぜんベイリーが人気だ。アイデアや小道具が派手でくっきりしているところが特長で、大風呂敷だけどプラスチックや軽合金みたいな感触が親しみやすい。絵に喩えるとヴァン・ヴォクトはごつごつしたドイツ表現主義っぽいし、ハーネスは激しい題材を描くときのイギリス・ロマン主義の雰囲気(あくまで印象ですが)。それに対してベイリーは日本の漫画やアニメのタッチが合う。この新訳版にアニメ脚本家の中島かずきさんが解説を寄せているのも納得だ。

 たとえば、作中にこんな場面がある。

 カラン号は数百万キロの真空を悠々と突っ切り、未確認物体とのランデブーに向かったている。目標から数百メートルまで来て、ブリッジ・クルーは船の相対速度をゼロにした。目標物体はいまや長方形の筏(いかだ)のようなその姿をはっきりとあらわした。静電インペラーのような二本のノズルからまばゆい青の光を放ち、主星からまっすぐ遠ざかっていく。
 筏にはおよそ五十人の乗客がしがみついていた。倍率を上げて、アマラは息を呑んだ。(略)以下の乗客は宇宙服など着ていなかった。それどころか、体を保護するものも、装飾するものも、いっさいの衣裳を身につけていない。
 彼らは真空に裸体をさらしていた。
 そればかりではない。宇宙旅行者たちの姿があまりに異様だったので、彼らがたしかに人類だと納得するにはしばらく時間がかかった。(略)大胆な外科手術によって根本的に身体を改造され、人工臓器を埋め込まれている。頭蓋骨には砲塔のような装置が搭載され、どうやら脳と直結されているらしい。両眼を覆う黒いゴーグルも、眼窩(がんか)に固定されている。鼻は除去されている。
(略)筏には、原始的なミサイル発射機やレーダーとおぼしき古風な設備も付属している。
 エストールが長々と嘆息した。「うわあ、こりゃまた、なんですかね」

 最後のエストールの台詞は、これを読んでいる読者の気持ちをそのまま代弁するかのようだ。「うわあ、こりゃまた、なんですかね」一目瞭然、ベイリーってヘンでしょ!

 さて、この宇宙筏乗りのなかにひとりだけ、茶色い修道服みたいなものをまとっているたくましい個体がいた。カラン号を率いる文化人類学者アマラ・コールが調べていくうちに、この個体はヤクーサ・ボンズというリーダーだと判明する。なんと、真空裸族は日本人の末裔だったのだ。アマラは「ヤクーサは本来ギャングを意味していました。坊主(ボンズ)は宗教的司祭です」と説明する。

 カラン号がこの宙域を探査しているのは、カエアン文明の起源をさぐるためだ。アマラたちが属しているのはザイオードという一大勢力圏でこれは普通の人類文明(つまり現代西欧社会の延長線上に築かれている)だが、それと拮抗するようにカエアン文明が急速に版図を拡大しつつあった。すでに百万もの星系を支配下におき、百ほどの居住惑星が交易で結ばれている。ザイオードはこれを脅威と考え、対策を講じはじめていたのだ。

 カエアン文明の最大の特徴は服飾だ。カエアン人にとって、衣服は宇宙とのインターフェイスであり、みずからの存在を評価し秘めた能力を発揮する唯一の手段だった。彼らの社会でもっとも社会的地位の高い職業は服飾家(サートリアル)であり、精神科医、聖職者、思想家が果たす役割をすべて兼ね備えている。

 この奇妙な文明はいかに形成されたのか? 長いあいだ謎だったが、カラン号がカエアン勢力圏の近くで宇宙空間でふたつの種族を発見し、その奇妙な生態と文明が解明の糸口になる。ふたつの種族とは、ひとつは先にふれた人体をサイボーグ化した真空裸族であり、もうひとつが宇宙服のなかで一生をおくるスーツ人(こちらはロシア人の末裔)である。アマラはスーツ人のひとりアレクセイ・ヴェレドニェフを捉え、彼との数回の面談と歴史の記録の渉猟によって、サイボーグたちとスーツ人との激しい対立がどうして発生したのか、そしてそれがカエアン文明を生みだす遠因になったことを突きとめる。何世紀にもわたる謎がほぼ一瞬で解明されてしまうのはいくらなんでも都合良すぎるのだが、この急峻さ、躊躇のなさがベイリーの美点だ。もともとがムチャな設定なんだから、うろうろハナシを展開したってしょうがない。

 さて、この作品では途中までもう一筋の物語が平行して語られる。こちらもザイオード側からカエアン文化へのアプローチだが、カラン号の学術的(軍事的な匂いもするが)調査とは対照的にかなりヤバい案件だ。密輸業者リアルト・マスト率いるグループが、難破したカエアン貨物船から積荷を(不法に)回収しようと企てる。しかし、船が落ちた惑星カイアは音響攻撃生物が跋扈する剣呑な世界だった。甘言につられてこの作戦に参加した服飾家ペデル・フォーバースはさんざんな目に遭いながら、積荷のなかから一着のスーツをマストに黙って持ちだすことに成功する。カエアン文明が生んだ天才服飾家フラショナールが謎の生地プロッシム(植物由来だが極微細な繊維は肉眼では確認できない)からつくりあげた逸品。全宇宙でもたった五着しかない。

 故郷の惑星に持ち帰り自分で着てみると、とたんに自信が湧いてカリスマ的なオーラを発揮できるようになる。小悪党のマストにいいように利用された気弱なペデルはもういない。カエアンのスーツは人格や能力まで変えてしまい、彼はめきめきと成功者への道を歩みはじめる。その行く手を阻もうとするザイオード熱心党(反カエアンの急先鋒)----彼らは人間の個性を縛るあらゆる人工物を否定するという綱領を掲げ、全裸で評議会をおこなっている、これまた極端な連中----も、フラショナール・スーツの超絶パワーが撃退してくれる。しかし、この超絶パワーはペデルの身にも跳ね返ってくる。「こんなのずっと着ていて大丈夫なのか、オレ?」と一瞬思ったりするのだが、もうヤめられない。やがて心中に強い衝動が芽生えはじめる。カエアンへ行きたい。

 ここまでが全体の約半分。ペデルはまっすぐにカエアンに行けるわけではなく波瀾万丈の道程が待ちうけていて、そこに妙なかたちでマストがまた絡んできたり、フラショナール・スーツと生き別れになってタイヘンだったり、ちょっとやりすぎというくらいに局面がころころ変わる。飽きるひまなどない。いっぽう、調査船のアマラのほうも、スーツ人のアレクセイを実験素材として酷いことをしながら(アマラのマッドサイエンティストぶりはこの作品の隠れた見所である)カエアン文明の本質を考察しているところに、カエアンの宇宙船がコンタクトをしてきて大慌て。

 かくて、ペテルの物語とアマラの物語がカエアン文明の中心である惑星ベラージュで交錯する。彼らがそこで目にしたものは......。はたして「衣服は人なり」を突きつめたこの世界の実相とはいかなるものか?

 まあ、文明論的考察みたいなことをマジメに考えるのはスジちがいで----ベイリーはもっともらしく書いているけれど発想自体は独創的なものではない----これは奇妙な侵略SFなのだ。カエアン文明がザイオード文明を侵略しているのではなく、服のかたちをした異質な知性が宇宙を支配しようとしている。

(牧眞司)