イギリスのエリザベス女王2世がきょう4月21日、90歳の誕生日を迎えた。1952年に即位した女王は2007年にイギリス史上最高齢の君主となって以降、その記録を更新し続けている。なお、それ以前に最長寿だったのは1901年に81歳で亡くなったビクトリア女王(1819〜1901)で、在位年数でも長らくイギリス史上最長(1837年6月から1901年1月まで63年3カ月)であった。だが、この記録もエリザベス女王によって昨年塗り替えられ、今年2月には在位64年を超えた。


これにあわせてか、6月には若き日の女王を主人公としたイギリス映画「ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出」(ジュリアン・ジャロルド監督、2015年)が日本公開を控える。もっとも、以前よりエリザベス女王が登場する映画やテレビドラマは少なくない。父親で前王のジョージ6世(1895〜1952)の演説秘話をとりあげ、米アカデミー賞で作品賞などを受賞した「英国王のスピーチ」(トム・フーバー監督、2010年)には少女時代の女王が出てくるし、その名も「クィーン」(スティーブン・フリアーズ監督、2006年)という映画では、ヘレン・ミランが女王を本人そっくりに演じ、アカデミー賞主演女優賞を獲得している。「クィーン」は、1997年にダイアナ元皇太子妃が事故死してから1週間における女王と就任まもないトニー・ブレア首相のやりとりを描くという意欲作だった。

女王VSサッチャー


女王が登場したといえば、在位60年のメモリアルイヤーの2012年にイギリスで開催されたロンドンオリンピックも印象深い。開会式では、女王が飛行機からスカイダイビングして会場に現れ(もちろんダイブした女王はダミーだったが)、世界中の度肝を抜いた。

ロンドンオリンピックの開会式への臨席は国家元首として開会宣言を行なうためだったが、女王がこの役を担ったのはこれが最初ではない。その36年前、モントリオールオリンピックでも開会宣言をしている。なぜならエリザベス女王は、この大会の開催国だったカナダの国家元首でもあるからだ。

カナダはイギリスの植民地から自治領を経て、1931年には主権国家として承認され、イギリスとその旧植民地だった国々で構成されるイギリス連邦(コモンウェルス)に加盟している。エリザベス2世は現在53カ国からなるコモンウェルスの首長であり、そのうちイギリスやカナダを含む16カ国の女王でもあるのだ。

イギリスはかつて世界中を支配し「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれただけに、コモンウェルスの加盟国はアジア、アフリカ、中央アメリカ・カリブ海諸島、オセアニア・太平洋など広い地域におよぶ。エリザベス女王は即位以来、これら国々を精力的に訪問し、関係を深めてきた。イギリス国王としてオーストラリアやニュージーランドを訪ねたのも女王が最初である。

このコモンウェルスの国々との関係をめぐり、女王と対立した政治家がいる。1979年から90年まで11年にわたってイギリス首相を務めたマーガレット・サッチャーだ。

サッチャーが首相に就任した1979年、アフリカ南部のザンビアでコモンウェルス諸国首脳会議が開催された。当時、ザンビアに隣接する旧イギリス領の南ローデシア(現・ジンバブエ)では、白人政権による人種差別政策に黒人たちが激しく反発し、内乱が続いていた。しかし同年のコモンウェルス会議でも焦点となるはずだったこの問題に、サッチャーの前任のキャラハン政権は及び腰で、アフリカ諸国をはじめ多くの加盟国からはイギリスの制裁が足りないと批判された。新首相のサッチャーはその矢面に立つことを避けるべく、会議には外相を代理として派遣し、さらに警備の面で不安があると女王にも欠席を進言する。だが、会議出席に確固たる意志を示す女王に結局サッチャーは折れ、自身も出席を決めたのだった(君塚直隆『女王陛下の外交戦略 エリザベス二世と「三つのサークル」』講談社)。

同じく白人による黒人差別が続いていた南アフリカをめぐっても、経済的な理由から制裁に躊躇するサッチャーと女王のあいだで確執があったと伝えられる。のち1990年、長らく獄中にあった南アフリカの黒人解放運動指導者のネルソン・マンデラが釈放され、4年後には大統領にまで選ばれた。これとあわせて南アフリカは1961年に脱退したコモンウェルスに復帰している。あくまで人種間の対話と和解を望んだ女王が、こうした一連の動きに少なからず影響を与えたことは間違いない。

女性という以外に共通点のなかった二人


そもそも女王とサッチャーは性格的にあまりウマが合わなかったようだ。ちなみにサッチャーは1925年10月生まれで、翌26年4月生まれの女王と誕生日が半年しか違わない。しかし同年代の女性という以外に、両者にはほとんど共通点がなかった。経歴からしてサッチャーは雑貨商の家に生まれ、苦労しながら名門オックスフォード大学に進み、さらに落選を重ねてようやく下院議員となった叩き上げで、女王とはまるで違う。

また、自然を愛するカントリーウーマンの女王に対し、都会派のサッチャーは自然にまるで関心がなかった。イギリスの首相は毎週火曜に女王のもとを訪ね、内外情勢を進講するのが慣習となっている。通常はバッキンガム宮殿に出向くのだが、夏には女王の静養先のスコットランド・バルモラル城まで行かねばならない。これがサッチャーには気が進まなかったらしい。当地で首相は女王からはしばしば散歩に誘われたものの、雨の多いスコットランドのこと、泥道も多い。宮殿側はサッチャーのためにカジュアルなローヒールや長靴を用意したものの、彼女は首相就任以来、コートパンプス(エナメルの二色使いの靴)以外に靴を履かなくなっており、なかなか履き替えようとしなかったという(サラ・ブラッドフォード『エリザベス 下』尾島恵子訳、読売新聞社)。

それでも、サッチャーは女王や王室に深い尊敬の念を抱いていた。女王に謁見した女性は、片足を少し前に出してスカートを両手で持ってお辞儀をするのが礼儀だが、サッチャーは誰よりも深くお辞儀をしたと宮殿関係者が認めている(黒岩徹『危機の女王 エリザベスII世』新潮選書)。

女王もまた、首相辞任後のサッチャーには温かく接した。最近、NHKのBS1で放送されたテレビドキュメンタリー「エリザベス2世 〜イギリス女王が見た90年〜」(アメリカ・PBS制作、2015年)では、女王とサッチャーの“後日談”として、こんなエピソードが紹介されていた。

2005年、サッチャーの80歳の誕生パーティーで、女王は元首相の精神の衰えに気づく。女王はそっと元首相の手を取ると、一緒に会場内を歩いた。彼女が迷ってしまわないよう気遣ったのだ。ただし、その2日後、サッチャーは「女王は私のパーティーにいらしたのかしら」と、女王の親類に言ったという。彼女が亡くなったのはそれから7年半後、2013年4月のことだった。

英国王室は「85歳の女性CEOが経営する株式会社」?


第二次大戦後のイギリスでは、「ゆりかごから墓場まで」と謳われた手厚い福祉政策がとられた。しかしイギリス経済の衰退にともない財政はしだいに逼迫し、高福祉の存続は難しくなっていく。そこに登場したサッチャー政権は「小さな政府」を標榜し、福祉政策の見直しをはかるとともに緊縮財政、国営企業の民営化を推進した。

王室の財政もまた70年代から80年代にかけては火の車だった。そこで外部からコンサルタントを招いて「王室サッチャー革命」とも呼ばれる財政改革が進められ、経費削減とともに、できるだけ政府に頼らず自前で収入を得る道が模索される。一方でサッチャー政権は1990年より王室費を引き上げ、以後10年間その金額が固定された。こうした甲斐あって、10年後の2000年には王室の財政は黒字へと転じ、黒字額は次の10年に組みこまれることになった(前掲、『危機の女王 エリザベスII世』)。

1993年4月からは女王も所得税を払い始め、また、国から金が払われるのは女王と夫のエジンバラ公、まだ存命だったエリザベス皇太后に限定され、それ以外の王族には女王から金が渡されることになった。同時期にはバッキンガム宮殿の維持費捻出のため、宮殿の一般公開も開始される。アメリカの経済紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」は、上記のような経営術を身につけたイギリス王室を指して、「85歳の女性CEOによって経営される非上場の株式会社」と評したが、言い得て妙である(小林章夫『女王、エリザベスの治世――先進国の王政記』角川oneテーマ21)。

女王に「退位」の文字なし


国家財政の逼迫のなか、王室費が高すぎるとの議論が起こったり、チャールズ皇太子とダイアナ妃の不和(1996年に離婚)など王室スキャンダルがあいついだりと、エリザベス女王はこれまでさまざまな危機に直面してきた。前出の映画「クィーン」で描かれたように、ダイアナ元妃が事故死したあと、なかなか哀悼の意を示さない女王には国民から批判の声もあがった。それでも即位50年を迎えた2005年の調査では、82パーセントのイギリス国民が女王に満足していると答えた(前掲、『女王、エリザベスの治世』)。年を重ねるごとに女王への尊敬の念は深まりつつあるらしい。

エリザベス女王は、まだ父のジョージ6世が在位中の1947年、滞在先の南アフリカで21歳の誕生日を迎えるにあたり、「私はみなさまの前で宣言します。私の命のすべてを、長かろうと短かろうと、みなさまと帝国の家族への奉仕に捧げます」と宣言、1953年の戴冠式でもこれを確認した。生きているかぎり女王に退位はありえない、というわけである。

2013年、チャールズ皇太子の長男・ウィリアム王子とキャサリン妃のあいだに男児が誕生し、ジョージと命名された。黒岩徹『危機の女王 エリザベスII世』が書くとおり、いまやまさに《国王に続き、直系の王位継承者が三人もいるという英王室史でもまれな時代》を迎えたのだ。

64年にわたる治世にあって、政治・経済状況も国際関係もめまぐるしく変化するなか、エリザベス女王は伝統を重んじつつもきわめて柔軟に対応してきた。90歳となった女王は、これまで自分が築き上げてきたものをいかに子孫に伝えていくのだろうか。
(近藤正高)