『結婚式のメンバー (新潮文庫)』カーソン マッカラーズ 新潮社

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 私が12歳のときに悩んでいたのは、なかよくしていた友だちが手のひらを返すように突然そっけなくなること。それまでの長くない人生において、何人かの友だちと同じ流れで疎遠になった(だいぶ後になって原因を指摘された。嫌われたのは、例えば友だちが「髪切ったら失敗しちゃった」と言った場合に「あっ、私も!」と言うところ。そこは「そんなことないよ! 私は失敗しちゃったけど...」が正解なのだ)。本書の主人公・フランキーも、やはり悩める12歳の女の子である。

 それほど大きな事件が起こるわけではない物語だ(フランキーがちょっとした窮地に陥ったり、親しい人との別れがあったりはするのだが)。田舎町に住む少女がひと夏を過ごし、13歳の秋を迎えるまでの様子が描かれている。兄・ジャーヴィスの結婚が決まり、フランキーと父は式に出席するため100マイルほど離れた街まで出向くことになった。フランキーは結婚式の後に、兄と義理の姉・ジャニスの行くところどこへでもついて行き、もう家には戻らないことを熱望するようになる。しかし、従弟のジョン・ヘンリーや料理人のベレニスは真剣に取り合わない。

 感受性の強いフランキーにとって、自分が戦争に行けないことも、身長がどんどん伸びていることも(すでに165cmほど)、ベレニスやジョン・ヘンリーや父が自分の気持ちを理解してくれないことも、何もかもが苛立ちの原因なのだろう。12歳といえば、身長が伸びたり体つきが女性らしくなったりという目に見える変化も、急にそれまでの振る舞いや考え方が子どもっぽく思えたり大人の言うことを素直に聞けなくなったりという目に見えない変化も、急激に進み始める時期である。自分の身に起こっていることなのに、誰よりも本人がその変化についていけない。自分がその年齢だった頃を振り返ってみて今ならわかる、でもその当時はなぜ自分が焦燥感に駆られているのかわかっていなかった。

 結局のところ、成長期の少年少女にとってはどんなささいなできごとも事件であるといえる。そういうことを描いた作品もまた、数え切れないほどこの世に存在する。にもかかわらず本書がエヴァーグリーンたり得ているのは、読者にこれは自分の物語だと思わせる力を持っているからではないだろうか。フランキーほど鋭い感性を持ち合わせていたり奇行めいた行動に走ったりしなくても、自分が自分であることへの漠然とした不満をくすぶらせたまま12歳の不穏な日々をくぐり抜けてきた彼女と私たちは同志なのだ。

 本書は新潮文庫より刊行がスタートした「村上柴田翻訳堂」の初回配本作品。「村上」春樹・「柴田」元幸両氏という、海外翻訳作品ファンには言わずと知れたお二方によって選ばれた作品がずらりと並ぶシリーズだ。『結婚式のメンバー』は、マッカラーズの愛読者でもある村上氏によって新たに訳されたもの。繊細でありつつ生き生きとした翻訳で、マッカラーズの最高傑作が読める幸せをかみしめたい。また、同時に刊行されたのはウィリアム・サローヤンの『僕の名はアラム』で、こちらも柴田氏による新訳で読むことができる。今後のラインナップは隔月で全10冊刊行。フィリップ・ロス『素晴らしいアメリカ野球』やトマス・ハーディ『呪われた腕 ハーディ傑作選』など復刊という形で出る作品もあるし、11月には再び村上・柴田両氏による新訳作品が刊行予定とのこと。こちらはまだ作品名が明らかになっていないようで、楽しみもひときわである。

(松井ゆかり)