アフター7はスカーチョ(ガウチョパンツの一種で、2016年の春夏トレンドファッション)をはいて、イタリアンかフレンチレストランに集合。そしてスパークリングワインで乾杯して、熟成牛と有機野菜を食べる女子会へ――どこかで見たようなきいたような光景ですね。
普通に考えれば、仕事が終わればまっすぐ家に帰って読書しているのが一番幸せって人もいるし、休みの日に一人で登山する時間に癒やされる人だっているわけです。服は機能的で丈夫なのが一番、という人も。
それなのに、そういう人が無理をしてイタリアン女子会をしようとすると(女子会は単なる例ですが)、そういうささいな無理が積もり積もって生きづらさにつながってしまうこともあるのです。

どうして無理をするんだろう?

理由は個人差もあるのでいちがいに決めつけることはできませんが、大きな理由に「まわりとある程度あわせて、なじんでいたい」「バカにされたくない」という心の動きがあるのではないでしょうか。
個人的な話を少し。私は地方にあるとても校則の厳しい高校で過ごしていたので、きっちりお化粧をしたこともなければ、パーマもカラーもしたことがありませんでした。そんな地味な高校生が大学進学を機に上京することに。とりあえず春休みのうちにメイク用品を一通りそろえて、美容院でパーマ&カラー。洋服も少し買いました。
でもいざ上京してみると、自分がすごくもっさりしてるのがわかります。街ですれ違う人はみんな垢ぬけて見えました。さいわい大学のクラスメートは地方出身の女の子が多くて、みんなかわいいけど派手ではなく、気おくれすることなく過ごせましたが、やっぱりキャンパスや街全体の“東京感”について行きたくて、バカにされたくなくて、メイクとファッションを熱心に研究しました。
象徴的なのは、あの頃近所での買い物以外には、必ずハイヒールで出かけていたこと。ハイヒールをはいていないと自分のダサさがばれそうで、おしゃれな女の子の輪に入れてもらえなさそうで、背伸びしていたんです。努力のかいあって、1年経つ頃には立派に派手な女子大生になっていました……。

大人になったら、自分を見極めたい

そういう若い頃の「バカにされたくない」「なじんでいたい」という思いを一時的に経験した人は、少なくないのではないと思います。重要なのはそのあとで、自分はそういう流行を追ったり大勢が“良し”とするものをとり入れたりすることが本当に好きなのか、それともそれは一時的な処世術で、本来の自分の嗜好は別のところにあるのか――。そこを見極められるかどうかが“生きづらさ”を回避できるかいなかの分岐点です。

最初の例でいえば、スカーチョをはいて女子会に行く生活を心から愛しているのか、家で本を読んでいるのが好きなのかを判断すること。
「そんなの簡単じゃん」と思うかもしれませんが、本当は読書が好きなのに気づかず女子会に行っている人、あるいは女子会なんて好きじゃないと自覚しているのに仲間はずれが怖くて行っている人って、意外と多いです。
若い頃ならまだしも、アラサーくらいになれば、もう立派な大人の女性。協調性は大切だけど、プライベートで自分をごまかしてまわりに同化する必要なんてありません。自分は自分。他人は他人。自分自身の心地よさをもっと重視して、“生きやすい”毎日を送りませんか?