日本では桜が散り、瑞々しい新緑の季節が始まるそのころ、世界のトップテニス選手たちは欧州の陽光に映える「赤いコート」を駆けまわる。テニス界における春から初夏とは、クレーコート(赤土)の季節である。

 世界1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)や2位のアンディ・マリー(イギリス)、さらにはひざの手術から復帰したばかりのロジャー・フェデラー(スイス)に、"赤土の王"の称号を持つラファエル・ナダル(スペイン)......。彼らは4月9日に開幕したモンテカルロ大会を、クレーコートシーズンの始まりの地に選んでいる。つまりは、ほぼすべてのトッププレーヤーがモナコ公国最大の街に集っているのだが、そのなかに錦織圭の姿はない。来る過酷な季節に備え、彼はフロリダ半島の高温多湿な気候のなか、激しいフィジカル強化トレーニングに挑んでいるはずである。

 モンテカルロ大会は、先月まで北米で開催されていたBNPパリバオープンやマイアミオープンと並び、年間9大会ある『ATPマスターズ1000』のひとつである。ただ、モンテカルロが他のマスターズと異なるのは、トップ選手たちに課される"出場義務"の対象外である点。とはいえ、優勝者にランキングポイント1000点が与えられることなどは、他のマスターズと変わりない。多くのトップ選手が出場するのもそのためであり、今年もトップ10選手で欠場したのは錦織のみである。

 ではなぜ、錦織はモンテカルロに出ないのか......?

 それは、今年に限ったことではなく、この4年間続けているルーティン。その理由は、シーズン全体を見通しての戦略と、フィジカル強化のプランニングにこそある。

 トレーナーの中尾公一氏が『チーム圭』に加わった2013年以降、錦織は、「ピリオダイゼーション(期分け)」と呼ばれるトレーニングメソッドを取り入れている。これは、シーズン中にも複数回のトレーニング時期を設け、段階的なトレーニングを体系的に組み合わせることで、最大の効果を発揮することを目指すものだ。

 錦織の場合は、2〜4週間のトレーニング期を、年間4〜6回設定している。昨年では、全豪オープン後の2週間(2月)、マイアミ大会後の2週間(4月上旬)、ウインブルドン後の3週間(7月)、そして楽天ジャパンオープン前の2週間(9月)――。これらの各数週間こそが、あらかじめ設けられたトレーニング用の期間だ。

 このピリオダイゼーションは、錦織に限らず、多くのトップ選手が取り入れている手法である。たとえば昨年82勝6敗・11大会優勝という驚異的な試合数をこなしたジョコビッチだが、彼も全豪オープン後に3週間、4月末から5月上旬にかけて3週間、全仏オープンとウインブルドン間の3週間、ウインブルドン後にも4週間、そして全米後に3週間と、理想的な間隔で3〜4週間の"大会不出場期間"を設けていた。

 なお、ジョコビッチが5月上旬のマドリードマスターズを欠場できたのは、キャリア通算600勝などの「マスターズ出場規定緩和条件」を満たしているため。優れた戦績を残してきた上位選手ほど、スケジュールの見通しが立てやすくなる傾向にある。

 では、最初の疑問に立ち帰り、なぜ錦織はモンテカルロマスターズを犠牲にしてまで、この時期にトレーニング期を設けるのか?

 その解答は、欧州遠征の長さにある。

 錦織は毎年、この時期の欧州遠征を終えると、「心身ともに疲れ果てる」のだと言った。5月下旬開催の全仏オープン、そして6月下旬から7月上旬にかけてロンドンで行なわれるウインブルドンの2大会を中心に、春から初夏にかけて"テニスの中心地"はヨーロッパとなる。錦織も例年、4月中旬から7月上旬までの約2ヶ月半の長丁場をヨーロッパで過ごしてきた。

 昨年は、全仏とウインブルドンの間が従来の2週間から3週間に伸びたため、一時アメリカに戻りはしたが、それでも、クレーシーズンの7週間は欧州滞在。母国日本はもちろん、現在の拠点であるアメリカからも遠く離れたヨーロッパは、錦織にとって完全なるアウェーだ。言葉も通じにくいなかでのホテル暮らしの毎日は、いかに"ツアー慣れ"した錦織といえども不便は多く、やはり心休まらない。

 ちなみに、モンテカルロに参戦している56選手のうち、欧州外の国籍の選手はわずかに6名。そのなかには、ダニエル太郎のようにスペインが拠点の選手もいるので、その意味では出場選手の9割以上を欧州勢が占めることになる。逆に言えば、錦織のように別大陸に拠点を持つ選手は、長く過酷な遠征を乗り切るためにも、旅立ちの前のリカバリーとトレーニングは必要不可欠ということだ。

 その貴重な2週間を有効活用している成果だろう。ここ数年の錦織は、かつてはやや苦手としたクレーで好結果を残している。4月中旬開催のバルセロナオープンは2連覇中。マドリードマスターズも2年前に準優勝、昨年はベスト4に勝ち上がっている。マスターズ優勝を今季のひとつの目標として掲げる錦織本人も、マドリードを「相性が良いので、気合いを入れたい大会」として挙げたほどだ。

 錦織にとってのクレーシーズンは、今年も、良き思い出が宿るバルセロナで幕を開ける。目に痛いほどの赤が青空に映える、赤土の季節が、またやってくる。

内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki