もう迷いは消えた。先日開催された7人制ラグビーの香港女子セブンズで、日本選抜が3位と健闘した。チームをまとめたのが、バレーボールから転向した29歳の竹内亜弥(アルカス熊谷)である。「スッキリしました」。香港の曇天の合間にのぞいた太陽のごとく、明るい笑顔を浮かべた。

「課題はあるんですけど、自分らしさは出せた大会だなと思います。久しぶりに、思いきりプレーすることができました」

 女子日本代表『サクラセブンズ』がワールドシリーズの米国大会に出場していたため、日本選抜は米国遠征に外れたメンバーとユースなどの将来性ある若手で編成された。いわゆるBチーム。

「悔しい気持ちがないわけじゃないですけど、正直、Aチーム(日本代表)からの離脱を言われた時、なんだか納得してしまう自分がいたんです」。

 サクラセブンズの目標はリオデジャネイロ五輪金メダル。「今のままだと、金メダルを狙っているチームに自分はいるべきじゃない」と考えた。気配りと謙虚さが葛藤を生んだのである。

 高校、大学ではバレーボールに打ち込んだ。京都大学を卒業し、社会人になってラグビーを始め、日本代表のトライアウトで飛躍のチャンスをつかんだ。ジャンプ力とフィジカルの強さ、豊富な運動量を強みとし、2013年に女子セブンズ日本代表入りを果たした。

 日本のリオ五輪キップ獲得にも貢献した。だが、ワールドシリーズ(WS)で高いレベルのチームと対戦するようになって、自信が揺らいできた。「自分の強みが分からなくなったのです」と寂しそうに振り返る。

 そんな時、日本代表の浅見敬子ヘッドコーチ(HC)に「(成長が)停滞していると思う」と指摘された。サクラセブンズからの降格を宣告された。竹内が思い出す。

「まさに自分が思っていることでした。アタックもディフェンスも細かいことを言われましたが、"とにかくプレーに迷いがある"と。なんか変にうまくやろうとしていたんです」

 だから、この大会は「初心」をテーマとした。3週間、コーチとマンツーマンでタックル練習にも取り組んだ。初めて日本代表入りしたときのように、試合では運動量を生かし、走って、走って、走りまくる。倒れたらすぐ、起き上がる。キックオフでは体を張り、ラインアウト、スクラムでは、フォワードの要になることを心掛けた。

 この大会では3トライを記録した。自分のいる位置の反対のサイドでも、懸命に走り続けて攻撃ラインの外でボールをもらってトライした。

「自分のトイメン(マークの選手)がついてこられないところまで走って、トライが獲れました。あっ、"これだ"って」

 3位決定戦の香港戦では、再三、強烈なタックルを見舞わせた。ひたむきだった。1本のタックル、1本のパスに魂を込めた。その集中力と貴い気概。つい好感を抱く。

 日本選抜の稲田仁ヘッドコーチは「いいパフォーマンスだった」と褒め、「自分が今までやっていたプレーと、世界レベルのプレーの間で悩んでいたんでしょう。プラスアルファで何を作らないといけないか。それがわかったと思います」と言う。

 五輪の舞台は夢である。バレーボールだったら、「全然です。ほんと全然ダメでした」と笑う。だが、ラグビーに転向して、夢実現の好機が生まれた。サクラセブンズが五輪出場を決めると、経歴のめずらしさもあってか、取材がどっと増えた。

「戸惑いがあったけれど、これがオリンピックかなと思って楽しんでいます」

 167cm、68kg。体重を増やすため、3時のおやつをおせんべいからおにぎりに変えた。大事にしてきた言葉が、ユーモラスで『ゴハンお代わり無料』である。

「体重を増やすため、食事はいっぱい食べた後、もう一杯食べるかどうかで、メダルの色が変わると思いながら、いつも無理に食べてきました」

 一昨年の6月から、勤務先の新潮社を休職し、熊谷に引っ越した。すべてを楕円球にかける。ラグビー一色の乙女の『青春』である。

「日本の目標として、オリンピックで金メダルが揺るぎなくあって、それに向かっています。自分がそれに値しないなら外れた方がいい。いや、値するプレーヤーになりたい」

 さて"シンデレラ・ストーリー"の結末はいかに。香港で初心に戻った29歳。社会人からラグビーを始めた「頑張り屋」がリオ五輪へ走る。ひたむきに。

松瀬 学●文 text by Matsuse Manabu