ブックデザインと挿し絵は、正反対の試みだった:気鋭のデザイナー・石井正信が小説に宿した「ヴィジュアル」

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昨年から今年にかけて新聞とWEBで同時連載が敢行された小説『マチネの終わりに』(作・平野啓一郎)。その新しい掲載形式と同時に注目されたのは、挿画という枠を越えて連載に添えられた圧倒的な密度のイラストだった。今回はじめて挿絵に挑戦し、4/9(日)に刊行された単行本のブックデザインも手がけたデザイナー・石井正信が、芥川賞作家の小説にヴィジュアルを宿した試みを語る。

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小説とヴィジュアルで対峙する

──そもそも、『マチネの終わりに』という作品にかかわることになった経緯を教えてください。

小説を担当している編集者の方から、新聞とウェブで同時に連載をする小説に、ヴィジュアルで何かおもしろいことをして欲しいという依頼を、(所属する)カイブツにいただいたのが最初です。

もともと仕事としてのイラストは、「進撃の巨人展」のヴィジュアルをデザインさせていただいたことがきっかけではじめました。それは、普通のアナログのイラストではなく、銅版画調のイラストをペンで起こして、デジタルで加工したデザインでした。ただ、それをみた人から「イラストもできるんだ」と思われたようで、『マチネの終わりに』の相談をいただいたときは少しずつイラストの依頼がきていたという状態でした。

だから、もともと表現の形式がイラストに限定されていたわけではなく、写真でもなんでもいいという話だったんです。ただ、これを逃したら2度と連載小説の挿し絵を描くことはないと思い、イラストでやってみることに決めました。

そのときに、1年以上続くプロジェクトなので、何か大きな試みができればと、いろいろ考えました。イラストをパラパラマンガのように、最終的に動画にするとか…。ただ、挿し絵という新しい分野に取り組むときに、動画という未体験の領域に取り組むのは怖いと思ったので、すべてをつなげて1枚の大きな絵にすることに決めました。

石井正信|MASANOBU ISHII
デザイナー。静岡県沼津市出身。日本大学芸術学部を経てカイブツに所属。SCRAPの「リアル脱出ゲーム」をはじめとするウェブや紙、モバイルなど幅広い媒体の制作を手掛け、イラストレーターとしても活動する。

──どうして、つなげたときに「螺旋」になるようにしたのですか?

連載全体が何回で終わるのかが、わからなかったことが、理由の1つです。連載が伸びても、螺旋なら長さを伸ばせば、構成を変える必要はないですから。結局200回と聞かされていた連載は307回になり、螺旋はかなり伸びました(笑)。ただ、結果的には小説の内容とも重なるところがありました。

連載の初期に、主人公の蒔野がこう言うシーンがあります。

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。」

このセリフを読んだときに、螺旋にしてよかったと思いました。例えば時系列に従って横方向に並べた大きなカンヴァスよりも、螺旋という形状の方がこの作品に寄り添っている気がしたんです。続いていく連載という形式と、未来と過去が折り重なる概念が同時に表現できているというか。1回1回のイラストだけでは完結していないようにしたかったので。

初期のイラストの試し書き。すべてのイラストは、この1本のペンから生み出された。

1年以上にわたる「連載」という体験

──イラストに描かれているモチーフは、どう選ばれたのでしょうか?

毎回原稿を読んでからイラストには取りかかる流れだったので、抽象と具体のあいだで最初から最後まで揺れつづけたという感じですね。はじめは読者の想像力を損なわないために、苦心しました。例えば、登場人物のイメージは読者が決めるべきだと思っていたので、前半では彼らの外見を描くのが怖かった。読者のイメージを壊すのが嫌だったんです。だから人物については手や目といったパーツを描くことが多かった。

ただ、後半では、そんな配慮は止めました。読者からの反応もインターネットのコメントや新聞の投書で拝見していて、途中から皆さんのなかに確固たる登場人物が存在しはじめていた。だから、イラストで具体的なヴィジュアルが登場しても、読者のなかの登場人物は揺らがないなと思いました。これは、「石井のなかの、洋子(『マチネの終わりに』のヒロイン)だな」と思ってもらえる気がしたというか。

──毎日新聞の朝刊とウェブで掲載されていた『マチネの終わりに』ですが、読者層は意識しましたか?

連載がはじまってから、女性の方が多かったという情報が入ってきました。だから、途中からできるだけ美しいものを描くようにしました。新聞の幅広い年齢層の読者にも、受け入れやすいテイストを心がけました。

また、新聞という媒体はすごいなと感じました。いきなり、読者の方から、お電話を頂いたりするんです。毎回切り抜いて保管してくれている人が、Twiiter上に結構いたり。いままでの仕事では届かなかった層に、伝わっているという実感はありましたね。

芥川賞作家・平野啓一郎が3年ぶりに発表した長篇小説『マチネの終わりに』。現代を舞台に、過去と未来をつなぐラヴストーリーが紡がれる。

デザイナーとして、クリエイターとして

──307回描きためたイラストが、単行本では1枚も収録されていないのは、なぜでしょう?

まず、ブックデザインでは、イラストと正反対のことがやりたかったんです。挿絵では表現できない、真逆のアプローチで作品をヴィジュアル化してみたかった。だから、イラストは1枚も使わず、人によって捉え方が変わる抽象的な表現にしました。連載という続いていく形式とは異なり、本はそれだけで完結しているものです。愛という普遍的な存在が描かれた作品の内容も表現したかったので、できるだけ現在のはやりとは関係ないテイストにして、流れる時間ではなく、変わらない存在をかたちにしたかったのです。

SLIDE SHOW

1/5石井が1年以上イラストを描いてきた机。右脇には、大量のペンが並べられている。

2/5同じペンでも使い込みによって、インクの出る量が異なるため、石井はペンに印を付けているという。

3/5株式会社カイブツのオフィス。緑のなかにキリンがいた。

4/5石井が愛するマンガたち。大学時代からマンガに影響を受けてきたという。

5/5オフィスには、社員の趣味だという蘭が育てられているコーナーもあった。

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──イラストが合体した螺旋とは、まったく異なるテーマですね。

連載に添えられたイラストや、ブックデザインは小説が存在してはじめて読者に受け入れられるものです。いうならば、平野啓一郎さんの小説があって、はじめて成立するヴィジュアルなのです。一方で、螺旋に並んだイラストは自分の作品として制作しました。実際に連載時から完成させるときには、かなりの加筆をする前提でした。

だけど、完成したイラストを加筆するときに、他人のイラストに手を入れて構成しなおしている感覚がありました。絵について深く考えた1年だったので、自分が思っている以上に思考や思想が変化しているのだと気づかされました。

そして、初回と最終回ではイラストのテイストが大きく変わりました。最初は陰影ではなく線で表現しようとしていました。だけど、後半では様々な濃淡の線で色の層をつかいわけて、立体感のあるクロッキーのようになっていて。

振り返ってみるとそれは、連載当初に平野さんが好きだとおっしゃっていたマックス・クリンガー[編註:19世紀から20世紀にかけて活躍したドイツの画家]の様な西洋的な表現へ変化していたのだと思います。たぶん、気づかないうちに平野さんの華麗な文章に感化されていたということなのでしょう。実は平野さんとは、連載中一度もお会いしたことがなかったんです。それなのに、絵のスタイルまで変えられてしまうとは…。小説家の力を思い知りました。

※ 今回石井が完成させた作品は下記にて展示中

10人の現代美術作家 × 平野啓一郎「マチネの終わりに」作品展

開催日程
2016年4月8日(金)ー4月18日(月) 11:00〜20:00

開催場所
渋谷ヒカリエ 8/ CUBE 1、2、3(渋谷ヒカリエ8F)

料金
入場無料