『中曽根康弘 - 「大統領的首相」の軌跡 (中公新書)』服部 龍二 中央公論新社

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 4月も中旬、早くもゴールデンウィーク(GW)が待ち遠しい今日このごろです。GWのスタートとなるのは4月29日「昭和の日」ですが、この日、重要な国家行事があるのを、ご存知でしょうか?

 それは、「春の叙勲」の発表。政財界や行政、地域社会に貢献した人に対し、春・秋の年2回、定期的に勲章が贈られています。春の場合は4月29日に受章者を発表するのが慣例です。

 そして今から19年前の1997年4月29日、「大勲位菊花大綬章」受章が発表され話題となった人物が、元首相の中曽根康弘氏。なぜ当時、これが大きく取り上げられたのかといえば、皇族・諸外国の要人以外の人物に大勲位が授けられる場合は「没後叙勲」が通例で、存命中の日本国民への叙勲は史上初であったためです。

 そんな中曽根氏をテーマとした本が、昨年末に発表た『中曽根康弘』。服部龍二中央大教授が中曽根氏本人への取材と数多の文献を基に著した一冊です。

 同書には、次のような一節があります。

「河野は鳩山を引退させようと考え、『ハワイまで迎えに行って鳩山さんを説得しろ』と中曽根に命じた。(中略)中曽根は機会をうかがったものの、『引退を』とは言い出せないでいた。かろうじて朝食時、『鳩山先生は、大事業をされたのですから、もうこれからは身体を大事にされて......』と口にするのがやっとである。それでも鳩山はぴんと来た。中曽根によると鳩山は無言を貫き、『ほんとうに不愉快だという顔をした』という」(本書より)

 文中の「河野」「鳩山」とは、それぞれ河野一郎氏、鳩山一郎氏のこと。1956年、鳩山氏は日ソ共同宣言調印の帰途でハワイに立ち寄っていました。一方、河野氏は「ポスト鳩山」に岸信介氏を推しており、引退工作を中曽根氏に指示したというわけです。

 奇しくも、中曽根氏自身も2003年に、小泉純一郎首相、安倍晋三自民党幹事長(ともに当時)から「引退勧告」を言い渡されています。まさに「歴史は繰り返す」といえるでしょう。

 同書では、2003年の公認取り消しに中曽根氏が激怒、無所属からの出馬も検討したものの後援会の説得により断念した経緯が記され、そして2年前の誕生会「九回目の年男を祝う会」を描く場面で締められます。

 中曽根氏は、今年の5月27日に98歳の誕生日を迎えます。現在の日本をどのように見ているのか、本人の言葉も聞いてみたいところです。