『週刊少年ジャンプ』で連載中の堀越耕平による人気マンガのアニメ化『僕のヒーローアカデミア』(以後『ヒロアカ』)。“日5”枠に抜擢ということで期待の高さは今クール随一だが、ここであらためて先週放送された第1話を振り返ってみたい。


物語の舞台は、世界の人口の8割が“個性”と呼ばれる特殊能力を持つ社会。自分の個性を持て余して悪事に走る者――敵(ヴィランと読む)が増える一方、それを取り締まる者が“ヒーロー”として国家に認められる職業になっていた。

主人公はヒーローに熱烈に憧れる14歳の少年・緑谷出久(いずく、通称デク)。出久にはある特徴があった。それは、クラスのモブキャラさえ持っている個性をまったく何も持っていない“無個性”の人間であるということだ。

凶暴かつ優れた個性を持つ幼馴染、爆豪勝己やクラスメイトたちにバカにされたり、明らかなイジメを受けたりしながら、出久はヒーローを養成するエリート校・雄英高校の受験を目指す。

ある日の学校の帰り道、出久は敵に遭遇してしまうが、そこへNo.1ヒーロー、オールマイトが現れて敵を撃退する。出久は、幼少の頃から熱烈に憧れていたオールマイトにどうしても尋ねてみたかった言葉をかける。

「個性がなくてもヒーローはできますか!? 個性のない人間でも、あなたみたいになれますか!?」

なんと第1話は原作の第1話の半分で終わり!?


くっきりした青空がまぶしい画面に、原作の描線を大切にしつつ、キッズ向けにカジュアルダウンしたキャラクターたちが駆け巡る第1話。躍動感のあるOPも含め、「これこれ、これだよ!」と歓喜した原作ファンも多いと思われる。

ところで、筆者も含めて多くの人が驚いたと思うが、この第1話は原作の第1話の約半分のところで終わっている。スピード重視、見せ場重視、数多く放送されるアニメを1話か2話で「切る」視聴者が増えている昨今、大きなアクションを見せることなく第1話を終えてしまうのは異例のチョイスと言えるだろう。

たとえば、『ヒロアカ』の監督である長崎健司とシリーズ構成・脚本を務める黒田洋介のコンビが手がけた『ガンダムビルドファイターズ』の第1話と比べるとわかりやすい。

『ガンダムビルドファイターズ』の第1話では、世界観の説明、主人公の紹介、ライバルの登場、初めての戦い(敗北)、主人公の運命を変えるキャラとの出会い、そして二度目の戦い(勝利)までを描いている。

一方、『ヒロアカ』では、世界観の説明、主人公の紹介、ライバルの登場、初めての戦い(巻き込まれるだけ)、主人公の運命を変えるキャラとの出会いまでで終わっているのだ。

その分、一つひとつのセリフまで原作に忠実でありつつ、さりげない丁寧な描写も多い。巨大ヒロイン、Mt.レディ(マウントレディ)が人間サイズに縮小するカットが挿入されたり、取材記者たちの注目を集めていちいち欲望がむき出しになった悪い顔つきになったりするのを強調するのも視聴者にとって大変わかりやすい。ヒーローは必ずしも完全な善人ばかりではないということだ。

人は、生まれながらに平等じゃない


スロースターターにも見える『ヒロアカ』の第1回でじっくり描かれていたのは、出久の“無個性”っぷりだ。個性を持つクラスメイトたちに嘲笑され、母親から泣いて謝られてしまう出久。成績は優秀だが、体つきも貧弱で、周囲に比べて本当に何もできないマイナスからのスタート。それは冒頭の出久のモノローグによく現れている。

「人は、生まれながらに平等じゃない。これが齢4歳にして知った社会の現実」

“持たざる者”である出久は、昨今のラノベ原作のアニメなどに登場する“最初から最強”の主人公とは真逆の存在だ。『ヒロアカ』と比べられることの多い『ワンパンマン』(同じくヒーローが社会的存在として認められている世界観を持つ)の主人公、サイタマももともとは持たざる者だったが、物語に登場するときはすでに鍛錬を終え、最強の存在になっていたところが出久と違う。

出久はこの後、オールマイトとの出会いを経て、ヒーローへの道を歩むことになる。オールマイトとの出会いは、いきなり社長と知り合いになって平社員が無敵状態になる『釣りバカ日誌』のような“ありえない出会い”にも見えるが、本来なら一瞬のはずの出会いを無理やりチャンスに変えてしまったのは出久の強い意志と執念によるものだ。そのあたりも『ヒロアカ』はきちんと描いている。大切なのは、「何をやれるか」ではなく「何をやるか」。たとえ弱々しい存在でも、意志と行動で世界は変わる。

ググッと溜めが効いた第1回を見れば、その分、爆発しているハズの本日放送の第2回が楽しみになるというものだ。それではご唱和ください、「Plus Ultra!(さらに向こうへ)」。
(大山くまお)