中国に限らず、外国のメディアが日本を紹介する際にしばしば取り上げられるのが、日本の「武士道」だ。中国メディア・界面は6日、「日本の『武士道』とは一体どんなものなのか」とする記事を掲載した。(イメージ写真提供:123RF)

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 中国に限らず、外国のメディアが日本を紹介する際にしばしば取り上げられるのが、日本の「武士道」だ。中国メディア・界面は6日、「日本の『武士道』とは一体どんなものなのか」とする記事を掲載した。

 記事は、「武士道」は簡単に言ってしまえば「自身の統治的地位を確固たるものにするためのツールなのである」と説明。中国の儒家思想同様「統治者の利益にマッチしてこそ、消滅することがなかったのだ」と解説した。そのうえで、日本における「武士道」の変遷について紹介している。

 まず、「武士道」の起こりとして平安時代に武士階級が出現した際の状況を説明。「天皇を代表とする統治階級が武士という『鋭利な刃物』を制御するために制定した不文律の行動準則」とし、「忠」と「死」を核心として主君に使えることを強調したと解説した。

 そして、時代が進み封建時代になると、儒学思想を取り入れて武士の「国家公務員」としての在り方を論じた「士道」と、伝統的な武士道精神を「極端に強化」して、全身全霊を掛けて君主のために仕え、死をもいとわないという「葉隠」の2つの流派が出現したと伝えている。

 一方で、明治時代に入ると西洋の民主思想が入ったことで一時期「非常に低迷」したものの、明治後期には統治階級が「いわゆる民族信仰を作り上げるために、新たに武士道精神を宣揚することを決めた」と説明。日清・日露戦争を経て「忠君愛国」を旨とする武士道が再び「国民の美徳」となっていったとした。そして、対外拡張において軍部の「熱狂的な分子」が葉隠派の武士思想を持ち出して「古い酒に新しいラベルを張る」ことで、ファシズム戦争を「聖戦」として日本国民を狂騒へと向けていったと解説した。

 日本人が抱く「武士」のイメージは、主君のために命をも捧げる精神だけに留まらない。清廉、倹約を旨とし、学問を重んじるという印象も多くの人が抱いているはずだが、これは「士道」によるところが大きいだろう。一方で、中国人が抱く武士や武士道のイメージは、往々にして先の戦争と結びつき、「悪の精神」と認識されやすいのではないだろうか。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)