全日本選抜体重別選手権(4月2、3日、以下選抜体重別)を終え、リオデジャネイロ五輪に挑む柔道日本代表は、じつに順当な名前が並んだ。

"最終選考会"と銘打たれているものの、大会前の時点で国際柔道連盟(IJF)のランキングやポイント、ここ2年間におよぶ強化選手の戦績を独自に得点化した「国内ポイントシステム」などによる厳正な選考基準を設けたことで、各階級の第1シード選手たちが代表にほぼ内定。それゆえ、選抜体重別では男女の最重量級をのぞく12階級のうち7階級で第1シードが敗れる波乱があったが、逆転選出のようなサプライズは一階級もなかった。

 有力選手の不甲斐ない戦いが続いた同大会で、しぶとく安定した柔道で6回目のVを飾り、3度目の五輪切符を手にしたのが女子52キロ級の中村美里(三井住友海上火災)だ。

「最終選考会も、今回が3度目。落ち着いて臨めました」

 3試合すべてで技によるポイントはなかったが、むしろ熟練の足技やいなしが冴え渡り、相手をリズムに乗せない巧みな組手で「指導」を誘発した。

「しっかりここ(選抜体重別)で勝って、代表を掴むぞという気持ちでした。技でのポイントがなかったのは反省点ですけど、五輪に向けていろいろ試すことはできた。内容は悪くないと思います」

 渋谷教育学園渋谷高校1年生だった05年に講道館杯女子48キロ級で優勝し、YAWARA2世と呼ばれた中村も、26歳である。すでに11年も第一線で戦い続けている。世界選手権で3つの金メダルを手にし、4年に一度のアジア大会も3度経験した。

 あれは16歳で脚光を浴びた日の翌日だった。メディアのインタビューを一度も受けたことがないという彼女に話を聞く機会があった。柔道漬けの日々を幼い頃から送り、髪の毛すらも自分で切っていた垢抜けない少女は、柔道の夢はしっかりと、独特のハスキーボイスで口にしていた。

「谷(亮子)さんには勝ちたいとは思わないですけど、オリンピックには出場して、金メダルを獲りたい」

 中村のキャリアにただひとつだけ足りないもの、それが五輪金メダルだ。減量苦により階級を52キロ級に上げて臨んだ08年の北京では準決勝で北朝鮮の安琴愛(アン・グムエ)に力で組手を封じられ、3位決定戦に回って銅メダル。表彰台に立った中村に笑顔はなく、憮然とした表情で立ち尽くしていた姿が印象に残った。12年のロンドンでも同じ安琴愛に惜敗し、今度はメダルすら持ち帰れなかった。

 ロンドン以降はケガとの戦いだった。帰国の直後、左膝前十字じん帯を手術して長期離脱を余儀なくされ、13年の復帰後も完全回復とはいかなかった。

「4年前は、リオのことは考えられなかったし、畳の上にあがっていることすら想像できなかった。ようやく膝も安定してきて、練習も積めているので、今日も勝てたんだと思います」

 男女の代表選手で、2度の五輪を経験しているのは中村だけだ。女子選手の中では前回唯一の金メダリスト・松本薫(57キロ級)に次ぐベテランである。

「経験は若い子よりあるし、少しは大人になっていると思います。代表を引っ張る? そんな意識はないです。リーダーシップはないので......(笑)」

 過去の五輪では、金メダルだけを目指した。その気持ちは今回も同じだが、過去の失敗だけは繰り返さないと誓う。

「ロンドンでは、いいことでもあるんですけど、集中しすぎて、ちょっと入り込みすぎたところがあった。リオでは、適度に緊張して、視野を広く持って臨みたいです。3度目のチャンス。絶対に金メダルを獲りたい」

 北京で銅メダルを手にしても、あるいはロンドンで惨敗を喫して茫然自失となっても、中村は一度も涙を流さなかった。

 溢れんばかりのうれし涙と、とびっきりの笑顔を、リオの地で見たい。

柳川悠二●文 text by Yanagawa Yuji