“前文略…これらの水と光りの反映の光景が、一種執念みたいになってしまったのです。ですから私がこの執念の光景から感じているものを、何とか絵に表してみたいのです。もう私の手には負えなくなっていますが、でも、何とか描いてみたいのです…”

視力の衰えを感じていた最晩年でしたから、もう光りを捉えられなくなっていたのです。ですから、執念だけで描いていたのです。見えなくなった光りであっても心の中に見えている“睡蓮の池の光り”を捉えて、最後の最期まで描き続けたモネがここにいました。そして、視力の衰えを感じていた最晩年でしたが、彼は睡蓮の池を“水と光りの反映の光景”として捉え、8枚の大壁画「睡蓮」(作品は現在パリのオランジュリー美術館の地階に展示されています)を完成させます。

そうなのです。モネは20代にブータンと出会ったあの頃から追い続けた“光の変化”をここで帰結したのです。そして、抽象絵画の先駆者として生きた巨匠は、大壁画を完成した4年後に86年の生涯をこの池の傍らに建つアトリエで終えました。

日本人を愛し、日本の文化芸能を好んだ印象派画家クロード・モネは、命を閉じるその日まで日本の文化の世界に埋もれて、そして、長年のテーマを帰結し安堵して、生涯を終えるのです。

20代からの変化する光りの追及を決してあきらめなかったモネだから、大好きな睡蓮の池の傍らで幸せに生涯を終えた。そう思います。素敵です…。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手した資料、そして、ウィキペディアなどを参考にさせて頂いています》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)

※筆者は「Gadgetwear」のコラムニストです。