2016年4月からのNHK《連続テレビ小説》は、西田征史脚本の『とと姉ちゃん』(東京局制作)だ。

高畑充希演じるヒロイン小橋(こはし)常子は、雑誌編集者・大橋鎭子(しずこ)(1920-2013)をモデルとしている。


大橋は、昭和中期のカリスマ的な編集者/文筆家/エディトリアルデザイナー/イラストレーターである花森安治(1911-1978)と組んで、ハイセンスな雑誌《暮しの手帖》を創刊した人だ。

大橋鎭子とは?


花森はその先駆的な着想と強引な編集姿勢で、生前も死後もあちこちで語り草になってきた。
今回のドラマ開始を機に、『風俗時評』『逆立ちの世の中』などの著書(どれも滅茶苦茶おもしろい!)や、津野海太郎の『花森安治伝 日本の暮しをかえた男』(新潮文庫Kindle。花森伝はいくつかあるけれど、最初に読むならこれをお勧めする)をはじめとする関連本が、続々と文庫化されている。今年新たな評伝が刊行される予定とも聞く。


いっぽう、大橋鎭子という人は、ジャーナリズムの歴史に詳しい人にとっては有名な名前だったに違いないけれど、回想記『 『「暮しの手帖」とわたし』(2010。今年、ドラマのスタートにあわせて新装版が登場)の刊行までは、必ずしも多く語られる存在ではなかった。

10歳で喪主、26歳で社主


大橋鎭子は東京に生まれ、小樽近郊や鎌倉で育った。3人姉妹の長女。満10歳で父を失ったときは、長子として喪主を務めた。
東京府立第六高等女学校時代に2.26事件に遭遇。卒業後、17歳から3年間日本興業銀行調査課に勤めた。
その後日本女子大学家政科二類に入学。同大学の創設者・広岡浅子(1849-1919)が、ひとつ前の朝ドラ『あさが来た』のヒロインのモデルとなったことは記憶に新しい。

病を得て1年で中退後、21歳で《日本読書新聞》編集部、ついで日本出版文化協会秘書室に勤務した。
このときの課長は戦後、南條範夫の筆名で直木賞を受賞する。彼の『駿河城御前試合』は漫画『シグルイ』の原作として知られる。


その後《日本読書新聞》に戻る。編集部にはのちに直木賞を受賞し《眠狂四郎》シリーズで知られることとなる柴田錬三郎がいた。
戦時中に大政翼賛会で編集者・コピーライターとして活躍していた花森安治は、戦後すぐ、同紙編集部に仕事で出入りしていた。花森は同紙編集長・田所太郎の松江高校・東大での友人だった。

大橋は一家の大黒柱として起業する決意を花森に伝えた。すると花森は、
〈もう二度とこんな恐ろしい戦争をしないような世の中にしていくためのものを作りたい〉
〈もしみんなに、あったかい家庭があったなら、戦争にならなかったと思う〉
と言ったという。

敗戦の翌年、3姉妹と花森で衣裳研究所(のちの暮しの手帖社)を立ち上げる。大橋鎭子はその月に、26歳の誕生日を迎える。

その後《スタイルブック》シリーズ(1946-1947)を経て1948年、季刊《美しい暮しの手帖》を創刊した(1953年の21号までは誌名に〈美しい〉が入る)。1968年以降隔月刊となった。
花森は企画選定や取材やじっさいの記事執筆だけでなく、ページレイアウト、見出しの書き文字レタリング、毎号の表紙絵まで自分で担当した。
この万能さは、少し遅れて登場した堀内誠一(1932-1987。マガジンハウスの《an・an》《Olive》《POPEYE》《BRUTUS》のロゴで有名)にもつうじるものだ。

入社試験も独特だった


暮しの手帖社の採用試験はユニークだった。
採用試験については、花森の最晩年に編集部をともにした唐澤平吉(1971年公募、72年新卒採用)が『花森安治の編集室「暮しの手帖」ですごした日々』で回想しているケースがある。


いっぽうその15年前の、1956年(同誌が菊池寛賞を受賞した年)の第1回公募(翌年入社)のようすが、酒井寛の日本エッセイスト・クラブ賞受賞作『花森安治の仕事』(1988)に書いてある。
ここでは酒井の本に書いてある話がおもしろいので紹介する。


作文と書類審査で50-60人に絞った候補者を研究室に集め、花森がきょうの面接について軽く挨拶めいた雑談をする。
ついで中央の卓に焜炉と食材が出てくる。銀座の中華料理店「博雅」のシェフがやってきて、説明しながら酢豚を作ってみせる。メモ、質問OK。さあ、「酢豚の作り方」という記事を書いてください。

それが終わったら花森が、面接の最初に僕が話したことを600字にまとめてください、と第2問を出す。
第3問は、この研究室はわかりにくい場所にあるので、どうやって探してきたか、きょうここに来た道順を書くこと。翌日提出。

面接後、合否を通知せぬまま、研究室のクリスマスパーティの招待状が候補者に送られる。
このときに社主・大橋鎭子がとった行動がふるっている。この席で、男子学生の酔っ払いかたをチェックしていたというのだ。

昭和戦後の高度成長期に向かっていた日本は、酔態のひどい人に甘い文化だった。また、女に威張り腐っている男が指弾されずにいた時代でもあった。酔態チェックは大橋にとって、だいじな面接だったのだ。

花森安治を叱りとばす


この冷静さ、肝の据わり具合が、大橋鎭子という人の要なのかもしれない。

花森の死後、大橋は回想して、花森にもっとも怒鳴られたのは社長である自分だったと述べている。
しかし、その大橋も、花森を全力で怒鳴ったことがある。

花森には幼稚なところがあり、機嫌を損ねると何日も仕事をせず、こうなるとあらゆることが気に喰わないようすで、しょうもないこまごましたことに文句を言いつづける、ということがあった。
これでは雑誌の刊行日が定まらない。実売収入だけでやっている会社が潰れてしまう。

〈大橋は身を振りしぼって花森をどなった。
「花森安治! 天下の名編集長ともあろう者が、毎日毎日、つまらないことをぐじゃぐじゃ言って、一日じゅう、ひとつも仕事をしないで、みんなの仕事のじゃまをして、それでも名編集長なのか!」
花森はコロッと変わって、体で調子をとりながら、そっぽを向いて鼻歌を歌いだした。そして、さあ、仕事だ、と言った〉(酒井前掲書

その場にいなかった僕が文章をとおして読むのだから、現場の空気を知らずに言うが、花森の挿画や装幀(花森は装釘と書いた)や文章を愛する僕が読んでさえ、花森のこの対応は誠実さに欠けるように見える。

花森は天才的なアイディアマンであるとはいえ、こういうアクの強い、いい意味でも悪い意味でも幼稚さを保ち続けた人である。
大橋鎭子という人は、そんな花森と組んで、30年の長きにわたって雑誌を欠かさず出し、花森の死後も20年以上、同誌を牽引した。

68年続く〈暮しの手帖宣言〉


ドラマ『とと姉ちゃん』では、のちにヒロインと組んで雑誌《あなたの暮し》を作っていく編集者・花山伊佐次を、唐沢寿明が演じるという。
作中の雑誌《あなたの暮し》のデザイン的な部分も、ドラマの見どころとなるんじゃないかなー。

1948年の《暮しの手帖》創刊号の巻頭には、花森安治によるつぎの10行の文章が見られた。

〈これは あなたの手帖です
いろいろのことが ここには書きつけてある
この中の どれか 一つ二つは
すぐ今日 あなたの暮しに役立ち
せめて どれか もう一つ二つは
すぐには役に立たないように見えても
やがて こころの底ふかく沈んで いつか あなたの暮し方を変えてしまう
そんなふうな
これは あなたの手帖です〉

大橋はこの10行を、花森の〈暮しの手帖宣言〉と呼んだ。
『とと姉ちゃん』の記事も載っている目下の最新号、4世紀81号にいたるまで、この10行の宣言は掲載され続けている。


(千野帽子)

参考/「とと姉ちゃん」唐沢寿明演じる編集長創刊の「暮しの手帖」全巻展示中、手にとって読めます