広岡浅子(1849-1919)の生涯をモデルとしたNHK連続テレビ小説「あさが来た」は、最後まで気の抜けない、忙しい展開のドラマだった。


終盤の展開は、戦後の雑誌編集者・大橋鎭子(しずこ。1920-2013)の回想記『「暮しの手帖」とわたし』を原案とする次期朝ドラ「とと姉ちゃん」への布石と見える部分があるので紹介したい。


日本女子大という「場」


「あさが来た」は大同生命の創始者のドラマ、と思いこんで観ていただけに、振り返ってみれば銀行・炭鉱・大学の話に終始していたのがちょっと意外だった。楽しみにしていたであろう大同生命社員のみなさんには、ちょっと物足りなかったのではないだろうか。

「あさが来た」をはじめとする多くの朝ドラが「近代における女の生きかたの模索」を柱としてきた。
だから終盤の日本女子大学校創設(1901)のあたりは、朝ドラの歴史の「ハブ」的な意味を持っている。なにしろ日本最初の女子大学校には有為の女子が蝟集し、そこから多くの人物を輩出することとなるのだから。

次期朝ドラの主人公のモデル・大橋鎭子も、日本女子大家政科二類で学んだ。残念ながら病を得て中退することとなったが。

朝ドラヒロインつながりでは、1986年の「はね駒〔こんま〕」(斉藤由貴主演)の主人公のモデルで新聞記者の磯村春子(1877-1918)も、ごく初期の日本女子大の聴講生だったと言われている。


1994年の朝ドラ「春よ、来い」、2000年の「オードリー」はそれぞれ脚本を担当した橋田壽賀子、大石静の自伝的な作品で、ふたりとも日本女子大出身。

なお広岡は日本女子大以外に、晩年、御殿場での私的な「勉強会」をおこなっており(本日放送の最終回の最終場面がこの勉強会だった)、そこに甲府の教師・安中〔あんなか〕はなも参加していた。
のちの翻訳家・村岡花子(1893-1968)、2014年の朝ドラ「花子とアン」の主人公のモデルだ。


平塚らいてうという新キャラ


「あさが来た」は終盤になっても新キャラ投入がやまず、ラスト2週で日本女子大のとんがった学生・平塚明(はる)が登場した。のちの日本フェミニズムの先駆者・平塚らいてう(1886-1971)である。主題歌を歌うAKB48の卒業生・大島優子が演じた。


らいてうは1906年に日本女子大を卒業後の1908年、5歳年上の森田草平(1881-1949)との心中未遂(塩原事件)を起こし、マスコミに追われるほどのスキャンダルとなった。
日本女子大は平塚明の名を卒業生名簿から削除した(1992年に再録)。中学生を2年にわたって監禁したという容疑者が、2016年3月に逮捕され、卒業したばかりの大学から卒業取消を検討されていることを思い出す。

このとき森田は、東大時代から師事していた夏目漱石の紹介で、《朝日新聞》にこの一件を題材とする『煤煙』を連載し、小説家としてデビューする。なんかひどい話。
『煤煙』は暴露本的な話題を呼び、塩原事件は以後、一名「煤煙事件」と呼ばれることになる。


いっぽうらいてうは1911年、25歳でフェミニズム雑誌《青鞜》を創刊。「あさが来た」最終週3月30日の放送では、創刊の辞として書いた「元始、女性は太陽であった」(1911)の題名が紹介されていた。
この文章は1913年、らいてう初の単著『圓窓〔まるまど〕より』に収録されるが、この本は出てすぐに発禁となった。大正の世、フェミニズムは危険思想とされたのである。
この「元始、女性は太陽であった」は現在、『平塚らいてう評論集』『『青鞜』女性解放論集』『日本近代文学評論選 明治・大正篇』(いずれも岩波文庫)で読める。


平塚らいてうと「とと姉ちゃん」


「あさが来た」終盤のこの唐突な新キャラ投入は、次期朝ドラ「とと姉ちゃん」への布石、スプリングボードとして(勝手に)解釈することができるのだ。

「とと姉ちゃん」の副主人公というべき花山伊佐次(唐沢寿明)のモデルは、昭和のカリスマ編集者であり、エディトリアルデザイナー、イラストレーターとしても活躍した花森安治(1911-1978)。雑誌《暮しの手帖》初代編集長だ。


その花森が、らいてうの「元始、女性は太陽であった」を自身の思想の出発点として認めているのだ。

花森は1962年に、《朝日新聞》「一冊の本」欄で『圓窓より』を挙げている。このコラムは長らく単行本に収録されなかったが、2012年に『花森安治集 マンガ・映画、そして自分のことなど篇』(LLPブックエンド発行、JRC発売)に収められたので、いまは容易に読むことができる。


この文章によると花森は、数えで19歳の晩春(花森は10月生まれだから満17歳のとき)、旧制高校を2度目に受験する浪人生活をはじめた。
そのとき神戸大倉山の市立図書館で、物理の勉強のかたわら『圓窓より』を借り、「元始、女性は太陽であった」を読んだ。

花森は〈べつに感動しなかった〉。
〈なにか勝手のちがった、どう気持ちを片付けていいか見当のつかないものを読んだ〉と思った。
そして図書館の食堂で15銭の〈松葉どんぶり〉用に〈カマボコを刻んでいる見なれたおばさんをぼんやりながめながら、この人はどんな暮しをしているのだろうと、そのときはじめて考えた〉。
いわば花森は、人類の残り半分をこのとき「発見」したのだ。

《青鞜》から《暮しの手帖》へ


2、3日して、もう一度『圓窓より』を借り出した。

〈「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような青白い顔の月である」という書出しを、いまでもおぼえている〉

そのあと花森は、受験生でありながら、図書館の「婦人問題」のタグがついている本を、片端から借り出し、1年の浪人生活でその分野の収蔵書をすべて読みつくした。といっても当時のこと、20冊くらいしかなかったという。

翌年、花森は松江高等学校に入学、その夏に母が亡くなった。

〈死顔をみていると、ふっと「……今、女性は月である。他に依って生き……」という文章が、頭にうかんできた。〔…〕数日後、手紙や写真をしまってあった紙箱の一ばん底に、父の写真が紙に包んでしまってあるのをみつけた。芸者らしいのが横にならんでいた。
どうやら、この本と、そのとき一しょに読んだ物理の教科書と、奇妙な取合せだが、この二冊が、それからずっと、ぼくのなかで、コンペイトウのシンみたいに、一つになっているようだ〉

近代における女性の生きかたは、朝ドラが好んで取り上げる主題である以前に、平塚らいてうの《青鞜》、そして花森安治の《暮しの手帖》の主題だったのだ。
なお、〈物理の教科書〉は、《暮しの手帖》では家電や家庭消耗品の徹底的な「商品テスト」の実験精神に結実している。

そう考えると、「あさが来た」から「とと姉ちゃん」への──つまり、広岡浅子・平塚らいてうから大橋鎭子・花森安治──へのバトンタッチが、妙にスムーズに見えてくる。両ドラマを、2部構成の1年連続ドラマとして、観たくなってしまうのだ。
(千野帽子)