羽生結弦 王者のメソッド 2008-2016 (Sports graphic Number books)

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羽生結弦氏の進化は止まらない!

今日は少し時間が掛かってしまいましたが、読書感想です。読みましたのは先日発売された『羽生結弦 王者のメソッド 2008-2016』。Numberと週刊文春を抱える文芸春秋社が送り出した、羽生氏の評論本です。本人が自分を表現するタイプのものではなく、あくまでも取材を重ねてきたライターの蓄積と、撮りためてきた写真によって、羽生氏を語ろうという類のものです。

筆致は若干の情感を込めつつも、いたって冷静。目の前の偉業に興奮するでも讃えるでもなく、苦境において悩み戸惑うものでもありません。「どうしたのかな?」と第三者的に見つめ、「こう思ったのだろう」という推定を加えていく。第三者が本人の心情を思い測っているのですから、すべてが正解ではないのでしょうが、冷静な筆致で本人の言葉をベースとして描くぶん、勝手な思い込みを感じるようなものではありません。

むしろ、スタンスとしては語録本に近いかもしれません。著者が書きためた取材ノートを基に、そのときそのときの羽生氏の言葉を抽出していく。羽生氏が一言一句を熟考したうえで高速で吐き出すタイプであることを踏まえ、フレーズをかいつまむのではなく、前後を含めてなるべくその多くを記録することを是とする姿勢は、取材対象への誠実さをうかがわせるものでした。

本書は時系列に沿って2008年から2016年の現在までの羽生氏の言葉の変遷を綴っていきます。言葉は言霊であり、自身への宣言であり、戒めであり、自分の本心を探るためのカギである。まるで対話を重ねるように、自分が漏らした言葉から自分の在り様を掴みとっていくような作業の繰り返しです。

例えば、ショートプログラムでの好演技を「忘れよう」と繰り返した自身の言葉から、逆にショートの成功に「捕らわれていた」と気づくような具合。「こうしよう」「こうしたい」「こうしなきゃ」という想いが言葉となって発露したとき、その想いは自分の演技にとってプラスだったのか、マイナスだったのかを後日改めて分析を加えていく。

その作業は一般的には「自己分析」であるとか「セルフコントロール」と呼ばれるものでしょうが、本書はそれを「王者のメソッド」と表現します。好演技を「忘れよう」とするのではなく、心の在り様に従って、「一旦喜ぶ」ことで流していく。ひとつひとつの現象に対して…「結果を欲しがったとき」「弱気になったとき」「世間に注目されたとき」などにどうやって自分をコントロールしていくか、その試行錯誤と方法論を描き出すことが本書の主題となります。

その意味では、いわゆる自己啓発であるとか成功ノウハウ本としてとらえることも可能でしょう。羽生氏自身には興味がないけれど、成功者としての羽生結弦には興味がある向きには、本書のあとがきが非常に参考になるはずです。あとがきでは「メソッド」が列挙され、コンパクトにまとめられています。

送り出した側の意図としては、そうした方に触れてもらいたい一冊となるのではないでしょうか。羽生氏が「天才」「絶対王者」「最強」のアイコンに見えている人にこそ、「メソッド」という響きは魅力的であり、また本書に描かれる「弱さ」や「試行錯誤の繰り返し」が意外性を持って本人の実像を伝えることになるでしょうから。



僕は本書をめくりながら、羽生氏のフィギュアスケートへの取り組み方、生き方のようなものに改めて思いを馳せました。言葉でのコントロールという面もそうですし、トロントへ拠点を移すことを決めたときもそうですし、ジャンプの成功のコツをつかむために少しずつアプローチを変えたり練習法を変えていくときもそう。

そこには偶然や才能に頼るところはまったくありません。ゲームでも攻略するように、最適解を求めつづけている。クリアできたらいいのではなく、より完璧なプレイを求めて、改善をつづけていく。その探究心は、広くイメージされているであろう「修行僧」「求道者」とは異なり、「研究者」に近いものだと。世界でもっとも羽生結弦を研究している研究者こそが、羽生結弦であると改めて思います。

その研究が指し示す方向はひとつ。

羽生結弦は羽生結弦であるということ。

とかく世間は飾りをつけたがるもの。もちろん本人自身も世間の一部としてそうでしょう。「成功者」「天才」「絶対王者」「最強」そういった肩書きもそうですし、あるいは「被災者代表」であったり「日本代表」であったり、「日本人」というところも含めてそうかもしれない。「●●の誰々」というものから解放されて生きるのは極めて難しいものです。

そんな中、羽生氏は「自分が何者であるか」を探り、どこに本当の自分がいるのか実像を掘り出していきます。あるときは「結果を欲しがる欲」をそぎ落とし、あるときは「冷静であろうと努めるあまりに自分を抑制する」動きを止め、世間の声と離れたところにある、「本当の自分」を見つけ出して行きます。本書で言う「王者のメソッド」は、突き詰めれば「本当の自分」に出会う旅のように思われるのです。流行り言葉でいうなら「冷静と情熱の間」。まぁ言ってみれば「普通」ということなのですが、その普通がどこにあるのかを探す旅のような一冊と感じました。

「喜びを忘れて明日に備えなきゃ」と抑制しすぎた心を、「一旦喜ぼう」と解き放つ。

「被災地に元気をあげなきゃ」という意識を、「元気をもらってもいいんだ」と逆転させる。

「勝ちたい」という情熱を大切にしつつも、「メダルが欲しい」という欲は捨てる。

中庸という概念があります。辞書を引けば「かたよることなく、常に変わらないこと」「過不足がなく調和がとれていること」「両極端を悪徳とし、正しい中間を発見して選ぶこと」とあります。儒教やアリストテレスの倫理学において、徳とされた概念だそうです。まさに、この中庸を見つけていくことが、羽生氏の旅であったのかもしれません。

4回転サルコウのコツを僚友のハビエル・フェルナンデスから学ぶくだりでは、自分なりのコツ+フェルナンデスのコツをミックスして、よりよい理想像を探ろうとします。和を意識した「SEIMEI」のプログラムを構築する段では、和のルーツをもたないシェイ=リーン・ボーンに振り付けを依頼し、あえて外国の振付師に頼むことで、和に寄りすぎない、世界から見た日本を表現しようとします。

精神的なものだけでなく、リアルな実生活においても「中庸」を目指す旅はつづいている。細やかに散りばめられたエピソードにもそのことを感じます。だからこそ、日々の生活や発言における、いい子すぎるんじゃないかと思うほどの理想的な姿も生まれるのでしょう。何にも依りすぎることなく、中庸たる理想的な状態を追いかけることは、羽生氏にとって日常規範なのですから。

僕が本書を読みながら立てていった付箋、序盤には「自制する王者」「ハビエルとかいう好漢」「冷静と情熱の間」「ハビエルは何でも受け入れてくれる」「試行錯誤の回数」「ハビエル、サンキューな」などメソッドをなぞるようなものがつづきました。しかし、読み進めるううちにメソッド論からは解き放たれていきました。最後から2枚目に綴ったのは「羽生結弦は一面ではない」という言葉。ちょうどSEIMEIの振り付けの下りです。

ほとばしる情熱・闘争心と、それをコントロールする強い自制心があるがゆえに、大きな振り幅を持つ羽生氏。見る人によっては「鬼神」のようでもあるでしょうし、くしゃくしゃの笑顔をした「天使」でもあるでしょう。ただ、いずれもが羽生結弦で、ただし羽生結弦のすべてではなくて、大きく揺れ動く振り子の頂点がそれらの鬼神や天使なのだろうと。そして、理想の羽生結弦はそのスイングの中央、一瞬にあるのだろうと。

その瞬間を追いかけ、必要なときにその位置に留まれるようにしていくこと。調和させていくこと。そのために、目の前のひとつひとつだけに集中して取り組んでいくこと。メソッドすら表面的なもので、その一瞬の調和を自力で追い求める姿勢こそが、本書が描く羽生結弦なのだろうと思い直します。世間ではその一瞬にたどり着くために「無」を追いかける人が多いでしょう。何も考えず、心を無にする。ですが、それは振り子が自然に止まるのを待っているだけです。羽生氏はそうではなく、自分で止めに行く。「ルーティン」で心を別のものに逸らすのではなく、目の前のひとつひとつの作業に集中=没頭することで心を一瞬に研ぎ澄ませていく。

あぁ、書きながら今思いましたが、だから「絶対王者」なのでしょう。偶然や外部的なモノに頼るのではなく、自分でその状態に至ることができるからこそ、「偶然王者」ではなく「絶対王者」なのでしょう。日本のキング・オブ・アスリート内村航平さんが言っていた「着地は止まるのではなく、止める」の精神。自分で「止める」ことができるからこそ、彼らは強いのだ。きっとこの本は「王者」の話ではなく、「絶対王者」の話です。絶対王者を追いかけるものだけが踏み出す、険しい旅の話です。うむ、改めてスゴイ男だ、そう思います。

本を閉じ、表紙に戻る。

表紙の写真はまさに本書の言う「王者のメソッド」を、僕が受け取った「中庸」の心持ちを、そしてブライアン・オーサーコーチが語る「本物の自分」を表現するためのカットのように思われます。怒るでも笑うでもない、無表情。あれだけの笑顔と、あれだけの雄々しさを持つ人から、あえてこのカットを選んだ意味、それは一周まわってから感じられるものでしょう。

もちろん、途中にサービス的に挟まれた天使側の頂点である「お花畑のゆづ」もグハァッとなる眼福ですが、本書はきっとソコを描くものじゃない。お花畑のゆづも、鬼神・羽生も、どれをも飲み込んで理想に突き進んでいく「羽生結弦のド真ん中」を追いかけているのです。だからこその無表情なのかなと思います。

最後の付箋は、この表紙に貼りました。

「この本は過去」

理想を追いかける羽生氏の旅は終わるものではありません。「連覇をなした」とき、「恋に乱れた」とき、「年老いた」とき、まだ未体験の事象はいくつもあり、そのたびに振り子はスイングするでしょう。いかにそれを止めるか、いかに理想の状態に戻すか。きっとそのたびに新しい手法が必要になり、これまでのやり方は再構築されていくでしょう。研究はこれからもつづきます。羽生結弦が羽生結弦でありつづけるために。だから、この本はすぐに過去になります。時間が流れ、世界が動き、羽生結弦もまた変わっていくものだから。



以上この感想は、「これでめっちゃ本が売れてアマゾンから小銭が入ってこないかのぉ」という欲を捨て、「SNSでウケるレビューを書きたい!」と結果を気にすることをやめ、「お花畑じゃぁぁぁぁ満開じゃぁぁぁぁ」と一旦喜んだうえで、冷静と萌えのバランスを意識しつつ、ハビエル・アンドウ・フェルナンデスの包容力に感謝して、目の前の本だけに集中するという、王者のメソッドによって書かれたことをお知らせして、本稿のシメといたします。ありがとうございました。

売ろうとするな、本の感想に徹しろ!と、絶対王者は教えてくれました!