立ち合いでは互いにまわしを取れず、貴乃花は右の差し手を伸ばしてこれを探る。それを左手で押さえにかかる若乃花。貴の右腕には、若の懸命の守りを払いのけるほどの力感が見られない。
 両者不十分な体勢のまま若が寄って出る。いったんはこらえた貴だが、この攻防の間に左上手を取った若が再度前に出ると、貴は土俵を割る寸前、膝から力が抜けたかのように崩れ落ちた。
 若の左上手の側へ貴が倒れるという不自然な結末。決まり手の発表は、右の下手投げというやや無理のあるものだった。

 '95年11月場所。若貴ともに12勝2敗で迎えた千秋楽。次位とは2つ以上の勝ち星の差で、いかように転んでも兄弟いずれかの優勝は決定していた。さらには史上初の兄弟による相星決戦もあり得るということで、大相撲ファンならずとも並々ならぬ興味が注がれることになる。
 日曜の夕刻。両者による優勝決定戦の瞬間最高視聴率は58.2%を記録している。しかし、本割で先に土俵に上がった若乃花が敗れたことで、福岡国際センターの観客席は、「また2年前と同じか」との落胆に覆われていた。

 '93年7月の名古屋場所では、若貴兄弟と曙がそれぞれ千秋楽に13勝2敗となり、巴戦での優勝決定戦が行われた。
 最初の取組は横綱・曙vs関脇・若ノ花。横綱がこれを押し倒しで下すと、続いては曙vs大関・貴ノ花(番付、四股名ともに当時)。先に若が勝っていれば、ここで貴との対戦になっていたはずだが、それでも曙に貴が勝てば、やはり兄弟対決が実現する。
 しかし、そんな観衆の期待は、曙の圧倒的パワーの前に打ち砕かれる。曙は貴を一方的に寄り倒して横綱としての初優勝を飾り、その一方で兄弟決戦は幻に終わったのだった。

 そんな経緯もあり、若が敗れた瞬間は「また兄弟対決は見られない」と、多くの観衆が諦めかけていた。だが、結びの一番で、貴乃花が一瞬にして武蔵丸のはたき込みに敗れると、館内は大きな拍手で包まれることになった。
 共に敗戦というプロセスは、この際どうでもいい。とにかく兄弟決戦が見たい。だが、そんな観客の期待の中で行われた優勝決定戦は、冒頭のような呆気ないものに終わってしまった。
 「これを八百長という人もいます。確かに貴乃花の負けっぷりは、本割の武蔵丸戦も含めて不自然なものでした。とはいえ、それだけで八百長と断じられるものではない」(スポーツ紙記者)

 現に、相撲界の八百長を事あるごとに告発し、自らも現役時代にはその仲介役をしてきたという元小結の板井も、「若貴兄弟はガチンコ相撲だった」と断言している。
 だが一方で、当時の週刊誌では〈千秋楽の前夜、兄弟の父親でもある藤島親方が貴乃花の部屋を訪れて、「分かってるな?」と念を押した〉とも報じられている。
 すでに11度の幕内優勝を飾り、この場所まで3連覇を果たしていた貴乃花に対し、大関昇進後の若乃花は故障もあって低迷していた。そんな兄を不憫に思う気持ちが、藤島親方にあったとしても不思議ではない。

 両者は引退後、別々にこのときの取組について語っている。
 「やりにくかった」(貴乃花)
 「当たった瞬間、相手に力が入っていないな、というのは分かりました」(花田虎上=若乃花)
 あからさまな八百長ではなかったにせよ、どこか平常心では臨めない一番だったのは、事実であろう。当時、優勝の賜杯を手にした若乃花も、どこか浮かない様子で、心からの喜びを見せることはなかった。
 また、貴乃花は「この取組が、のちの兄弟断絶に至る軋轢の原点になったのでは?」と問われた際に、「間違いないです」とも答えている。

 兄弟の複雑な心境の中で行われた不可解な取組ではあったが、これ以降、若乃花は成績が上向き'98年に横綱昇進。兄弟横綱として若貴ブームを巻き起こすことになったのは、ある意味で皮肉なことであった。