なでしこジャパンを率いた佐々木監督(左)とU-23日本代表を率いた手倉森監督。明暗を分けたふたつのチームから得られる教訓とは?(C) SOCCER DIGEST

写真拡大 (全3枚)

 五輪予選は男女が対照的な立場で臨み、完全に明暗を分けた。
 
 世界の舞台で3大会連続して決勝進出を果たしていた女子は、少なくともアジア大陸内では本命視されていた。ただしランキングや実績は最上位でも、黄金時代には陰りが見えていた。2008年北京五輪でベスト4に進出したなでしこジャパンは、3年後に完全なダークホースの立場からドイツ女子ワールドカップで優勝を飾った。ただしアメリカを初めとする強豪国との力の差は、むしろ翌12年のロンドン五輪(準優勝)のほうが縮まっており、ここまでは上げ潮だった。
 
 だがここから成長は止まった。もちろん佐々木則夫監督は意識的に代謝を図ろうとしたが、予想以上に次の世代を取り込むのが難しかった。もともとなでしこが実践して来たのは、圧倒的な身体能力のハンディを、競技の特殊性に焦点を絞り組織力に昇華することで補うスタイルだった。
 
 ただし組織の精度を追求するわけだから、当然新しいコマを組み込むには時間を要し、結果が出ていればメンバーも動かし難い。その間にライバル国からはターゲットとして研究され、戦術的な長所も盗まれた。最終ラインからのつなぎを相手が前がかりで潰しに来ると、ロングボールで裏を狙う戦略に切り替えたわけだが、それでは逆にロングフィードや走力という不得意な部分で勝負をしなければならなくなった。
 
 結局あまり伸びしろが望めないメンバー構成で、リスク回避的な戦略に逃げた。つまり大筋のスタンスとして、守りに回ったことが悲劇につながり、それは黄金時代を築いたチームの宿命とも言える。世界と欧州を制し、無敵に近い印象を与えた男子のフランスやスペインも、最後はワールドカップでグループリーグ敗退の憂き目にあっているのだ。
 
 逆に男子はダークホースにもなれない厳しい状況に置かれていた。U-19でもアジア大会でもベスト8の壁を破れていない。そのままの流れで臨めば、1996年アトランタ大会から続く連続出場も途切れる危険性が高かった。
 
 なでしこと異なり、男子には失うものがなかった。だからこそ挑戦者として、手倉森誠監督も誰にも指定席を与えず、最後の最後まで競争を促すことで潜在能力を最大限に引き出した。なでしこはリードされると精神的にも追い込まれたが、もともと劣勢が予想されていた男子は、その分だけ常に攻撃的な姿勢を貫けた。
 
 2点のビハインドを跳ね返したライバル韓国との決勝戦などは象徴的で、J1王者広島の切り札的な存在なのにベンチに置かれた浅野拓磨が、ゴールという結果への渇望を剥き出しにして勝利へと導いている。
 
 こうした姿勢はメンバー選考の段階から貫かれており、あくまで指揮官は実績を度外視して代表でのチームへの貢献度を優先した。同じ浦和に所属しながら、関根貴大はレギュラーとして活躍し、矢島慎也は出場機会を確保できずに岡山にレンタル移籍している。
 
 しかし手倉森監督は、浦和でのプレーや評価ではなく、U-23代表でのパフォーマンスを比較して矢島のほうを選んだ。そして矢島も期待に応えて予選突破に貢献。しかし手倉森監督は、再度関根を招集してリオ五輪本番まで競争が続くというメッセージを発しているのだ。
 
 そして今、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督が率いるフル代表の置かれた立場を考えれば、明らかに男子のU-23代表同様に挑戦者である。
 
 アルベルト・ザッケローニ体制で2011年にアジアを制し、その後は着実に世界との距離を縮めたかに見えたが、同監督の任期後半に失速。2年前のブラジル・ワールドカップでは惨敗した。メンバーにも戦術にも進化が見られなければ、次のロシア・ワールドカップでも前回以上の成績は望めない。