日本各地の街は桜前線の北上に合わせて美しく幻想的な桜色に染まってゆくが、南の地域で桜が散っても北の地域に行けばまた美しい桜を楽しめるのは日本人にとって本当にうれしいことだ。中国メディアの驢皮網はこのほど、青森県弘前公園の桜について紹介する記事を掲載、「なぜ日本の桜は生涯忘れられないのか」と論じた。(イメージ写真提供:123RF)

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 日本各地の街は桜前線の北上に合わせて美しく幻想的な桜色に染まってゆくが、南の地域で桜が散っても北の地域に行けばまた美しい桜を楽しめるのは日本人にとって本当にうれしいことだ。中国メディアの驢皮網はこのほど、青森県弘前公園の桜について紹介する記事を掲載、「なぜ日本の桜は生涯忘れられないのか」と論じた。

 記事は弘前公園の桜の本数について紹介し、約2600本もの桜が時を同じく開花する。以前は中国で「5000本」と誤って伝えられていたそうだが、弘前公園の桜の美しさは決して半減したわけではない。記事は「桜の花びらの海が現れる」と形容してその圧倒的な量を読者に伝えている。

 さらに弘前公園を語るうえで欠かすことのできない弘前城についても記事は紹介。1611年に築城されてから1871年の明治の幕開けまで津軽藩主はこの城に住んだと記事は説明、藩主はこの城を拠点に260年間の平和な統治を実現した。

 また弘前城は本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の6ケ所に分かれており、日本の伝統的な城の特徴である天守閣、櫓、城門、三重の堀が現在に至るまで残っていると記事は説明。ある資料によれば本来の天守閣は1627年に火事で焼失したものの、1810年(文化7年)に新築された。それでも現在から200年も前に建造された天守閣は歴史と現代の人々とをつなぐ大きな価値がある。

 記事は「日本の桜が生涯忘れ難い印象を与えるのはなぜだろう?」と疑問を提起している。弘前公園の場合は、圧倒的な本数の桜の美しさと弘前城が体現する悠久の歴史が響き合い、日常生活で人びとが決して体験することのない幻想的な世界を造り出すからではないだろうか。

 また留意すべき点として、弘前公園の圧倒的な本数の桜はもともとそこに存在していたのではない。ある資料によれば1715年に弘前藩士が25本の桜を京都から取り寄せて城内に植えたのが始まりだといわれる。それが現在の2600本に増えたのはまさに桜を愛してやまない日本人の心が深く関係しており、桜を愛する日本人のこの心が日本の桜を見る中国人に忘れ難い印象を刻み込んでいるとも言えそうだ。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)