◆廣瀬俊朗インタビュー@前編

「やり切った」男の、笑顔の会見だった――。

 2015年のラグビーワールドカップで3勝を挙げた「エディー・ジャパン」こと日本代表で、2012年から2年間主将を務め、試合に出場できずとも精神的支柱としてチームを支えた続けたSO(スタンドオフ)/WTB(ウイング)廣瀬俊朗(ひろせ・としあき/東芝ブレイブルーパス)。その彼が3月1日、楕円球を追い続けてきた30年間の現役生活に別れを告げた。

 5歳からラグビーを始め、中学、高校、大学、そして社会人、さらに日本代表でも主将を務め、34歳で引退を決意。各カテゴリーでチームを統率してきた廣瀬氏が考える「キャプテンシー」とは?


―― 3月1日に引退会見を行ないましたが、現在の心境は? 今シーズンのトップリーグのプレーぶりを見ると、「まだまだできるのでは?」とも感じましたが。

廣瀬俊朗(以下:廣瀬):ラグビーワールドカップで成績を残し、メディアの方々にもたくさん来ていただいて、ひと区切りという感じはしています。自分の声で引退を伝えられてよかったです。体力的に言えば、まだプレーできたと思います。シリアスなものではないのですが、脳しんとうが癖になっていることも(理由に)ありました。ただ、引退を決めた一番の要因は、人生は限られているので、次に早く向かいたいという気持ちが大きかった。だから、涙ではなく、笑顔で会見することができました。

―― 東芝ラグビー部では、同時に若手選手も3人退部しました。不正会計問題があった会社の影響はなかったのでしょうか?

廣瀬:それはなかったです。30歳を越えたあたりから、毎年、話し合ってきました。だからワールドカップが終わったときには、進退に関しては決まっていました。ターゲットにしていた大会が終わったので、次の道を考えたというわけです。もし、結果を出すことができなかったら、もう1年プレーしたいという想いも出たかもしれません。ただ、結果を出すことができましたし、トップリーグにもたくさんのお客さんが来ていただいた(過去最高の合計49万1715人)ので、これ以上のタイミングはなかったですね。

―― 廣瀬さんは中学校、高校、慶應大学、東芝でキャプテンを務め、日本代表でも2012年から2年間、チームの主将に任命されました。学生時代と社会人で「キャプテンシー」に変化はありましたか?

廣瀬:むちゃくちゃありましたね。学生時代は、「選手としても自分が一番うまい」というバックグラウンドがあって意見をしていました。しかし社会人では、チームのなかに自分よりうまい人や年上の人がいるので、学生時代とベースのところが違う。だから、「自分らしさを追求するところ」が一番大事だと思いましたし、そのなかで周りの人を尊敬し、みんなの意見を聞くところが身についたと思います。

―― 2007年、廣瀬さんは前年まで3連覇していたチームを引き継いで東芝のキャプテンになりました。そのシーズンは優勝できなかったですが、その後、東芝をトップリーグ優勝に導きました。

廣瀬:僕がキャプテンになる前年までの冨岡(鉄平/現・東芝監督)さんのリーダーシップが素晴らしかった。だから、チームのみんなもそれくらいを僕に求めていたし、僕自身も彼(の像)を追い求め過ぎたかなと思います。キャプテン1年目を終えてレビューをしたときにいろいろ言われて、2年目は「このままじゃダメだ」とチャレンジし、リーダーとして信頼を得ようと必死だったと思います。

 そうして、自分のリーダー像が確立されたと思っています。自分ひとりの力は限られているから、裏表なく自然体で接して、みんなを尊敬する。みんなが参加したほうがうまくいく。また、言葉の大事さも感じました。プレー面では、試合でも練習でも、常に自分で先頭に立つことを心がけていました。自分のスタイルが確立されてからは、過度のストレスを感じなくなりましたね。

―― そういった経験が「日本代表のキャプテン」にもつながったというわけですね。エディー・ジャパンの礎(いしずえ)を築き、2012年にはアウェーで初めて欧州勢に勝利。2013年にはキャプテンとしてウェールズ代表戦の勝利にも貢献しました。

廣瀬:東芝というチームで、キャプテンシーが醸成されたと思います。もちろん、中・高・大でキャプテンをやったからこそ、東芝、そして日本代表のキャプテンにも活きました。だから、今まで支えてきてくれた人たちに感謝しています。

―― 日本代表では2013年からFL(フランカー)リーチ マイケルがキャプテンとなりましたが、廣瀬さんはリーダーのひとりとしてチームを支え続けました。特にワールドカップでは「陰の主将」として、試合に出場できずとも3勝に貢献しました。

廣瀬:「陰の主将」という新しい言葉ができたのではないですかね(苦笑)。そうしないと、僕はチームのなかで生き残れなかった。そういう立場でワールドカップ日本代表メンバーの31人に入ったことが、面白いところだと思います。2007年も、「日本代表には廣瀬が必要」とメディアでは言われていましたが、ワールドカップには選ばれなかった。だから、メディアの言葉に耳を傾けることなく、チームのために何ができるかを考えて行動していましたね。

―― 現役生活30年で、もっとも思い出に残っている試合は?

廣瀬:やっぱり、ワールドカップじゃないですかね。勝ったからよけいに言えるのでしょうが、試合に出なくても、あれ以上の経験はない。初めてだったこともありますが、そこまでいいとは思っていなかった。(想像していたよりも)何十倍も素晴らしい大会なので、選手たちには出たいという気持ちを持って、チャレンジしてほしいですね。

―― 2019年のワールドカップに向けて、今、日本ラグビー界に必要と感じるものは?

廣瀬:一番は「ビジョン」じゃないですかね。2015年のワールドカップで結果を残した日本代表も、「憧れの存在」というビジョンを掲げて達成できました。2019年をどういう大会にするかという前に、日本ラグビーとはどういうものか――、大きなものをひとつ、みんなで持てたらうれしいですね。

 ニュージーランドでは、2011年の自国開催のワールドカップで優勝したとき、「Better people make better All Blacks(より良い人が、より良いオールブラックスを形作る)」という言葉を指針にしていました。日本でも、「日本ラグビーはこういうものだ」という理想があってこそ、2019年のワールドカップ、2020年の東京オリンピックがあり、その先もある。キーワードみたいなものを提示して、それに向かってみんなで行きたいですね。

(後編に続く)


【profile】
廣瀬俊朗(ひろせ・としあき)
1981年10月17日生まれ、大阪府出身。吹田ラグビースクールでラグビーを始め、北野高校、慶應義塾大学を経て、東芝ブレイブルーパスに入団。2007年に日本代表に初選出され、同年の香港戦で初キャップを獲得する。2012年、エディー・ジョーンズ・ヘッドコーチから主将に任命され、ウェールズとのテストマッチで金星を挙げるなど貢献。2015年のワールドカップメンバーにも選出される。173センチ・82キロ。キャップ数28。ポジションはスタンドオフ、ウイング。

斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji