これはモネが1899年から1901年にかけて、数回に分けてロンドンに滞在(各滞在は2〜3ヶ月程度)し、ロンドンとテムズ川の風景を連作的に制作した作品の中の一点で、霧に包まれるテムズ川河畔に建つ冬の国会議事堂と陽光を描いたものです。

1898年に病に臥したロンドンへ留学していた息子ミシェルを訪ねて滞在したことがきっかけとなり、その後、3年間ロンドンでの制作活動を行ったモネ。その間、「国会議事堂」を画題とした作品を約20点、ウォータールー橋など「橋」をテーマにした作品を80点近くも描きました。ただ、何れも未完成のままロンドンを去っています。

そして、その数年後、終の棲家として選んだジヴェルニーのアトリエで100点の内の37点を完成させ、1904年に画商デュラン・リュエルの画廊で「テムズ川の眺めの連作」として発表しました。

この作品はその37点の内の一点です。“光りの中の静けさ”を訴えた最初の頃の作品です。

モネはこの作品を完成させた5年後に、白内障を患います。手術で一時的に視力は回復しますが、少しずつ衰える体力を気遣い、晩年には友人にこんな手紙を書き送っています。

“仕事に没頭しています。でも、光りと影と陽光の反映が、執念のようにして私を襲ってきますから…。ですから懸命に描いていますが、でも、もう私のような老人には手に余るものとなっています…”

それまで借家だったジヴェルニーの自宅兼アトリエを1890年には買い取り、ジヴェルニーの日本庭園を愛でながら、1926年12月6日に生涯を終えます。

また、86歳という長い生涯を生きたモネは、ジヴェルニーの自宅への来客を断る事が多く、変人扱いもされていましたが、ジャポニズムに傾倒したばかりではなく、日本人の来客だけは歓迎し、会ったと伝えられます。

そうなのです。モネはジヴェルニーの自宅に来訪した日本人家族を歓待し、喜んでくれたのです。

世界にその名を轟かせた印象派の巨匠が、日本人だけを喜んでジュヴェルニーの自宅に招き入れてくれたのです。うれしいですね。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手した資料、そして、ウィキペディアなどを参考にさせて頂いています》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)

※筆者は「Gadgetwear」のコラムニストです。