日銀は「アベノミクス」の先導役として「異次元緩和」や「マイナス金利」などを華々しくぶち上げたものの、先行きに赤信号が点灯。金融政策の政治からの中立性が問われている。かつては日銀にも、通貨価値の安定に向け奮闘したセントラルバンカーが多かった。

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世界的に通貨の番人、中央銀行の政策の多くが「政治のツール」と化し、本来あるべき「独立性」が揺らいている。安倍政権の経済政策「アベノミクス」の先導役として「バズーカ異次元緩和」や「マイナス金利」などを華々しくぶち上げたものの、先行きに赤信号が灯っている日銀金融政策も例外ではない。しかしかつては日銀にも、金融の中立性を守り、通貨価値の安定に向け奮闘したセントラルバンカーが多かった。

このほど『私の経済哲学原論』を刊行した磯部朝彦氏もその一人だ。1956年日本銀行入行。国際通貨基金(IMF)に7年間出向(ワシントン、ジュネーブ)後、日銀ロンドン駐在参事(支店長)、本店局長などを経て、日立総合計画研究所社長、金融庁金融再生委員会委員などを歴任した金融のプロである。

◆日銀・IMF時代の逸話満載

この本は磯部氏の日銀とIMFでの豊富な経験をもとに書かれた渾身の書。世界の金融市場を動き回る巨額な短期流動資金への対策も提示されている。実需の貿易取引に必要な資金決済に適用される為替相場とそれ以外の資金取引に適応される為替相場を分離するという大胆な構想である。IMF出向時代の上司であったアルトマンIMF財務局長が考案したIMF特別引き出し権(SDR)の創出に著者が大きく関与した逸話も興味深い。

IMF勤務時代に、地味な統計処理の中から、360円を境にする微妙な円安から円高への振れを発見、数年後のいわゆる“ニクソン・ショック”(1971年8月)につながる歴史的な兆候の発見だったと著者は記している。

ニクソン・ショック後、主要国は1973年12月のスミソニアン合意によってドルと各国通貨の新たな固定レートを決めた。1ドル=360円から308円への大幅な円切り上げである。ところがドル売りの勢いはさらに激しくなり、1973年3月、ほとんどの先進国が変動相場制に移行、スミソニアン体制は1年3カ月で終焉した。固定相場制から変動相場制への移行を決定した同年のパリでのIMF会議に、佐々木直日銀総裁(当時)に随行したのが磯部氏である。

電撃的な「金とドルの交換停止と輸入課徴金」を表明したニクソン・ショックの際、欧州主要国が軒並み市場を閉鎖した中で、日本だけが市場を閉めずに、1ドル=360円でドルを買い続けた。大幅減価が必至のドルを買い支え続け、総額は10日間で40億ドルにも上った。

当時の出来事について、「この流れの中で、日本は急激に進む円高を最小限に抑え、当面の利益を確保しようとして、大量の国債発行と大胆な金融緩和という愚かな行動を何度も繰り返す悪循環にはまった」と指摘した上で、「現在の安倍政権のやっていることと同じである」と断じている。評者は通信社の日銀、大蔵省(財務省)担当記者時代やデスク、部長時代も含め、長年財政金融政策を取材してきたが、まったく同感である。

著者は、安倍政権の経済政策であるアベノミクスの異次元金融緩和について、次のように一刀両断する。

「中央銀行総裁が、たとえ政府からの要望とはいえ、中央銀行にのみ与えられている信用量の調節権限を利用して、物価の2%上昇を達成させようとしている。それがあたかも国民の総意であるかのように、いや国民の心配をよそに、頑なにその実行を固持しようとすることは、自らの準公務員義務放棄とみなされても仕方ないのではなかろうか。国ないし中央銀行やその他金融当局が、なるべく自国の為替レートを自国からの輸出を有利にするため、過度に操作するようなことは、国際的に見ても、ルール違反も甚だしいのである」。

この指摘もうなずける。歴史的に見て、中央銀行には緩和的な金融政策運営を求める圧力がかかりやすい。特に日銀は、財政赤字の穴埋めに通じる国債買い入れや、株価引き上げを目的とした、事実上の上場株購入など本来「禁じ手」とされる手段に手を染めている。このままでは、経済全体が機能不全に陥ってしまう。多くの先進国で中央銀行の独立性が保障されているのは、金融政策は専門的な知識に基づいて常にマーケットと向き合い、長期的に整合的な運営をする必要があるからだ。