自らの書く「真田丸」を家族みんなで観てもらえるよう、三谷幸喜が心がけていることのひとつに「あえて説明しない」というのがある。歴史ドラマではとかく状況説明のセリフやナレーションが多くなりがちだが、あえてそれを控えているというのだ。視聴者にはその分、わからないことがあれば調べたり、小さい子なら親に訊いたりしてもらう。そこから家族の会話は生まれる、と三谷は書く(「朝日新聞」2016年1月14日付夕刊)。

家族みんなで観てもらいたいと三谷が願うのは、彼自身が毎週日曜8時には家族全員で大河ドラマを観ていたからでもある。観ているあいだは電話が鳴らないように受話器を外し、私語も物音を立てるのも禁止した。ビデオがない時代だけに、オンエアに賭ける意気込みはすごかった(前掲)。

放送が終わると、みんなで感想を語り合う。一緒に住んでいた叔父(母の弟)が大の歴史好きで、きょうの話のこの部分がフィクションだとか、あの場面は研究家のあいだではこんな説もあるとか講釈をしてくれたという(『三谷幸喜のありふれた生活3 大河な日日』朝日新聞社)。三谷が歴史好き、大河好きになったのは、この叔父の影響が大きいようだ。

三谷少年が初めて全話を通して観た大河ドラマは、小学5〜6年生だった1973年に放送された「国盗り物語」(司馬遼太郎原作、大野靖子脚本)である。あまりにハマりすぎて、自分でパロディマンガ「国盗み物語」を描いたほどだった。

「国盗り物語」は、本能寺の変で織田信長(高橋英樹)を討った明智光秀(近藤正臣)が逃走中に殺されるところで終わる。

《信長が死んで、光秀も死んで、ドラマしか知らない人が見たらすごい中途半端な終わり方。でも歴史とはそういうものなんだ、つねに終わりはなく続いていくものなんだっていう思いを当時すごく感じました》(ステラMOOK 『放送80年 それはラジオからはじまった』NHKサービスセンター)

一番大河に熱中した5年間


大河ファンとしての三谷の“黄金時代”は、1976年の「風と雲と虹と」から「花神」「黄金の日日」「草燃える」「獅子の時代」と続く5年間だった。これは彼の中学から大学時代前半の時期に重なる。

「風と雲と虹と」(海音寺潮五郎原作、福田善之脚本)の最終回が放送された晩、三谷少年は、加藤剛演じる平将門と、その敵役で露口茂の演じる田原藤太を夢遊病のような状態で演じていたと、あとで母親から聞かされたという。ちなみに「風と雲と虹と」は、現在「真田丸」で真田昌幸を演じる草刈正雄が初めて出演した大河ドラマでもある。

1977年の「花神」(司馬遼太郎原作、大野靖子脚本)では中村梅之助演じる主人公・大村益次郎(幕末の洋学者・軍政家)が、《とにかく頭が良くて、自分の計画通りに物事が進んでいくことを快感とする、職人気質の人》であることに憧れた。憧れるがあまり、初めて映画を監督するとき、とにかくスケジュールを正確にたどることを第一の目標に置いたという(前掲、『放送80年』)。

しかし何といっても三谷の人生を方向づけたのは、1978年の「黄金の日日」(城山三郎原作、市川森一脚本)だった。

《〈花神〉や〈国盗り物語〉は、その時代を俯瞰で見る面白さがあったんですけれども、〈黄金の日日〉はもっと目線を下げて、松本幸四郎(当時・市川染五郎)さんが演じた主人公・呂宋(るそん)助左衛門の立場から戦国時代を描いていた。それがすごく新鮮だったんです》(前掲、『放送80年』)

「俯瞰するのではなく目線を下げる」という視点は、後述するように三谷の大河作品に大きな影響を与えている。「黄金の日日」で脚本を担当した市川森一の存在も三谷にとって大きい。テレビドラマの生涯ベストワンにあげているのも、市川の作品「淋しいのはお前だけじゃない」(TBS、1982年)だ。

なお、三谷は後年、出世作のひとつ「王様のレストラン」(フジテレビ、1995年)に、「黄金の日日」の主演だった松本幸四郎を伝説のギャルソン役に迎えている。ついでにいえば、「王様のレストラン」の登場人物の名は、「原田禄郎」(源九郎[義経])、「三条政子」(北条政子)、「水原範朝」(源範頼・頼朝)、「梶原民生」(梶原景時)など平安末〜鎌倉初期の人名からとっている。このネーミングには、北条政子と源頼朝を主人公にこの時代を描いた1979年の大河「草燃える」(永井路子原作、中島丈博脚本)も念頭にあったはずだ。

三谷幸喜がもっとも大河ドラマに熱中した時期の5作品には、ある共通点が見出せる。まず、いずれも群像劇かその性格が強いものであること。「風と雲と虹」では平将門と藤原純友と2人の人物を主人公に立て、「花神」では大村益次郎のほか吉田松陰や高杉晋作ら長州藩の志士たちが描かれた。

さらにいえば、「風と雲と虹と」の舞台は平安中期と大河ドラマではいまのところ一番古い時代をとりあげており、史料も少ないせいもあって、フィクションの要素が強い。大河では初の原作のないオリジナル作品である1980年の「獅子の時代」(山田太一作)にいたっては、会津藩士・平沼銑次と薩摩藩士・苅谷嘉顕とまったくの架空の人物を主人公に据えた。

ひるがえって「真田丸」も、三谷幸喜の最初の大河作品「新選組!」(2004年)も、やはり群像劇だ。「新選組!」のストーリーには、かつて「草燃える」を観ていて《「頼朝を中心に、最初はどっかの地主のおっさんみたいだった関東の豪族たちが天下を取って、そのあと次第に仲間割れしていく」展開に興味を覚えた》ことが反映されている(前掲、『放送80年』)。

また「風と雲と虹と」や「獅子の時代」におけるフィクションの膨らませ方は、「新選組!」で主人公の近藤勇が坂本龍馬と一緒に黒船を見に行くというエピソードなどに生かされることになる。これについては「時代考証がメチャクチャ」などと批判もされた。しかし、それは史料にはない部分を想像をふくらませて書いたもので、それ以外のところではこれまでにないくらいきちんと時代考証をしていると三谷は反論している(松野大介との共著『三谷幸喜 創作を語る』講談社)。

ターニングポイントとなった「新選組!」



「新選組!」は自分のなかで一番のターニングポイントとなった作品だと、三谷は語っている(前掲、『三谷幸喜 創作を語る』)。時期的にはちょうど彼と同じく小劇場出身の脚本家宮藤官九郎が台頭してきたころだ。宮藤が出て来てくれたおかげで、三谷は自分のやらなきゃいけないことが見えてきたという。

《宮藤さんが出てきてくれたお陰で、僕は自分のやらなきゃいけないことが見えてきたんです。自分の世界を大事にしてマニアックに作っていくことが嫌いじゃなかったんだけど、“マニアック路線はこの人に託そう。自分はもっと大衆的なもの、間口の広いものをやっていこう”と。それが今回の大河のお話を引き受けたことにもリンクしているんです》(「アエラ」2004年5月31日号)

三谷は「新選組!」でより間口の広い方向へ転じる一方、宮藤はその後もマニアック路線を突き進み、NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」を手がけたときさえ、小ネタをこれでもかと盛りこみ、登場人物に「わかるやつだけわかればいい」とまで言わせてみせた。

まだ依頼を受けていない時点で「大河2作目」を語る


ただし、「新選組!」は大衆路線を目指しながらも、平均視聴率は17.4パーセントと爆発的なヒットにはならなかった。これについて三谷は次のように省みている。

《だいたいの大河ドラマは歴史を変えた人が主人公だけど、これはそうじゃない。だから視聴者は時代を俯瞰で見ることが出来ない。でも、それは僕が意図的にやってること。幕末を俯瞰で見るドラマはたくさんあるので、庶民の目で見たドラマを創ろうと思ってやったんだけど、それが「大河ドラマとして馴染みにくかった」と思われたみたい》(前掲、『三谷幸喜 創作を語る』)

驚くべきことに、三谷はこの“失敗”にひるまず、「真田丸」でも堺雅人演じる真田信繁の目線で戦国時代を描くという方針をとり、基本的に上述の路線を貫いている。

先の発言の引用元である『三谷幸喜 創作を語る』はいまから3年前、2013年に刊行されたものだ。じつは同書では、インタビュアーの松野大介の「大河ドラマを見ていると、無理して戦闘シーンを入れている気がする」との発言を受け、三谷は「自分がもしまた大河ドラマを書くことがあれば……」と次のように構想を語っていた。

《もしまた大河をやらせてもらえることがあったとしたらの話だけど、たとえば戦国ものだとしたら、戦のシーンを少なくして、もしどうしても必要なら、ただ戦ってるんじゃなくて、なぜ一方が勝ち、なぜ一方が負けたのかを、丁寧に描きたい。僕は理数系だから、作戦をきちんと書きたいなあ。ワーッと合戦になって、圧勝みたいな展開は観ていてつまらない》

「作戦をきちんと書きたい」との思いが、「真田丸」で存分に発揮されていることは視聴者には言うまでもないだろう。

ちなみに「戦よりも作戦が描きたい」と語る三谷が一番好きな軍師は、徳川家康についた本多正信だという(「キネマ旬報」2011年11月上旬号、キネマ旬報ムック『キネマ旬報セレクション 三谷幸喜』に再録)。「真田丸」でこれを演じるのは近藤正臣だ。近藤がかつて「国盗り物語」で演じた明智光秀に、三谷少年が強い印象を受けたことを思えば、これはなかなか味なキャスティングではないか。


(近藤正高)