「五輪は自分にとって憧れであり夢。メダルを獲れたら、どんな景色が見えるんだろう」と語る水谷選手

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今年1月の全日本選手権で3年連続、史上最多タイとなる8度目の優勝を飾った“日本の絶対エース”水谷隼(26歳)

先日開催された世界選手権団体戦では中国に敗れ準優勝だったものの、39年ぶりの決勝進出にチームを牽引。いよいよ今夏に迫った、自身3度目となる五輪の舞台への思いを語った!

―まずは史上最多タイとなる8度目の全日本選手権優勝、おめでとうございます。

水谷 「今年の全日本は準備も万全でなくて自信がなかったので、(試合の)点数的には今までで一番簡単に優勝しているんですけど、気持ちとしては一番苦しかったですね。2007年から5連覇していた頃は『絶対優勝できる』という自信があったんです。でも、最近は若手も強くなっているし、自分もだんだんベテランの域に入ってきて、ケガも少しずつ増えているので、不安も大きくなってきているのかなと思います」

―すべての選手にマークされる中、8度も優勝できた要因は?

水谷 「研究されても勝てるだけの差がまだあるということ。最近は若手も世界レベルになっていますけど、経験値や技術的、戦術的なものの差はまだまだあります」

―ただ、11年に史上初の5連覇を達成した後、12年、13年と2年続けて決勝で負けています。あの時は何があった?

水谷 「どちらの試合も大量リードを奪っていての大逆転負けですね(苦笑)。12年は最終セットのマッチポイントを握ったところでフッと気が緩んだ。次の13年もゲームカウント3−1でリードしながら、絶好のチャンスボールからのスマッシュを読み切られて失点し…。それから急にオドオドして、パニックになってしまいました」

―高いレベルになると、それだけ一本が大事になる。

水谷 「心理的にもそうですけど、勝負をかけるタイミングも大事だから、どんな選手が相手でもジュースになると緊張します。本当に一本が勝負を分けるから、失敗をすると『ああすればよかった』と後悔をする。それを次のゲームでも引きずってしまうんです。だから、後悔をしないような戦術を考える必要がありますね。でも、あの(2回の)負けがあったから、それをバネにまたイチから頑張れていると思います」

04年アテネ五輪、日本の卓球男子はシングルス3回戦進出がやっとだった。そこで日本卓球協会は若返りを図る。04年1月に当時中2で全日本選手権ジュニアの部を制していた水谷は、その期待を担う一員としてドイツに長期留学。05年の世界選手権で史上最年少の15歳10ヵ月で出場を果たす。

翌06年の世界選手権団体戦、日本は史上最低の14位に終わったが、08年大会で3位となると、現在まで4大会連続でメダルを獲得している。その間、チームの中心には常に水谷がいた。

―14歳、15歳で期待されるのは重圧だったのでは?

水谷 「最初は一番年下だったので先輩に食らいついていく感じでしたけど、07年の全日本で優勝してからは年齢的には若かった自分が引っ張っていく形になりました。でも、世界で活躍したい、大きなタイトルを獲りりたいというのをモチベーションにしてやっていたので大丈夫でしたね」

―やはり、ドイツでの5年間で受けた影響は大きい?

水谷 「はい。ドイツへ行ったのが、人生の最大の転機だったと思います。向こうでは練習でいいところを見せないと試合に使ってもらえないから、練習から勝負なんです。また、ドイツではひとりひとり異なる自分専用の練習メニューが与えられる。

当時の日本ではチーム全員が同じ練習メニューをやっていたので、それぞれの選手が持つ個性を生かせない環境でした。だから、そういう日本の練習法を変えてやろうという意識もありました。日本の卓球界を変えたい、強くなりたいという気持ちがあったから、ドイツで5シーズンもやることができたと思います」

―ドイツから帰国すると、今度は中国に渡りました。

水谷 「08年からの3シーズンを中国で過ごしましたが、最初のチームには北京五輪で優勝した選手がいたし、3年目にプレーしたチームには15年の世界選手権で王者になる選手がいたので、そこでまたいろいろ学べましたね」

―日本との違いは?

水谷 「中国では日本のように練習時間を自分と練習相手で半分ずつ分け合うのではなく、トップ選手の練習相手はパートナー役に徹しているんです。そういう僕もパートナー役という感じでしたが、相手のレベルが高いとそれだけで十分強くなる」

―中国選手の一番スゴいところは?

水谷 「とにかくボールの回転数が多い。前回転がかかっているとスゴく重くてラケットを押し返されたり、はじき飛ばされちゃうほどで。だから、最初はブロックするだけで精いっぱいだったんですけど、慣れてくると少しずつカウンターで返せたり、アタックもできるようになる」

―そうやって練習を重ねる中で弱点も見えてくる?

水谷 「サーブにはスゴく慣れました。あとは、弱点というよりも『ここへ返したら絶対にポイントを取られるな』ということがわかるようになりましたね。卓球は相手のいいところをいかに殺すかという競技ですから、それも重要なんです。だから、トップ選手全員にいえるのは本当に頭が切れる。みんな相手の裏を突こうと一球一球考えているから、そのへんの読み合いが大事になってくるんです」

現在、男子の世界ランキングは中国選手が1位から4位までを占め、水谷は7位。各国上位ふたりまでの五輪ランキングとなると、中国のふたりとドイツ、台湾の選手に次いで5位となる。

―今夏のリオデジャネイロ五輪でメダルを獲るためには、上位選手に勝たなければいけないですね。

水谷 「世界ランク4位までの中国選手は誰もが認めるくらいに別格ですね。でも、他の選手には今まで何度も勝っているので、自分がしっかりいいパフォーマンスをできれば勝てると思います。とにかく戦術を間違えないこと。相手も強いけど、メダルのチャンスはあるので、そこを狙っていきたいです」

―ただ、中国勢にも勝たないと、メダルも確実にはなりません。

水谷 「そうですね。今まで彼らには何十回も負けているので(苦笑)、初勝利が五輪だったら嬉しいですね。ただ、その選手たち相手に日本の他の選手たちは勝ったことがあるんです。僕も最初の頃にはあと一本で勝てるという試合が何回もあったんですけど…。最後の一本が取れなかったんです」

―リオでそれを覆(くつがえ)すための試みは何かしていますか?

水谷 「今まで守備的なプレーが多かったのが勝てない原因だと考えて、昨年の秋から用具を変え、少し前陣で戦う攻撃性を意識しています。ミスをするリスクもありますけど、得点を取れる可能性が高くなるので。じっくり取り組んでいます」

―そのスタイル変更は以前から考えていた?

水谷 「世界で勝つにはこのままじゃダメだというのはずっと感じていたんですけど、日本でも勝たなければいけないという気持ちもあって…。でも、昨年の世界選手権で中国選手に負けて開き直れた部分はあります」

―リオ五輪だけでなく、4年後の東京五輪も意識しての取り組みでもありますか?

水谷 「それはありますね。それまではリオがひとつの区切りかなと思っていましたけど、自分が万全な状態でエースとして引っ張っていける状況だったら東京も出たいですね。

ただ、今はリオだけを考えています。団体のメダルもそうだけど、シングルスだと日本初になりますから。五輪は自分にとって憧れであり夢。メダルを獲れたらスゴいというか、どんな景色が見えるんだろうかなと思いますね」

―では最後に、読者に卓球を見る際の注目ポイントを教えてください。

水谷 「サーブの配球と、それに対する返球の戦術ですね。どこにどういう回転で出すか、それを相手がどういう場所にどういう球で返すかで勝負が決まる。その読み合いが醍醐味(だいごみ)。そこに注目すると卓球を楽しめると思います」

■水谷 隼(MIZUTANI JUN)

1989年生まれ、静岡県出身。5歳から卓球を始め、中学2年から5年間のドイツ留学を経験するなど日本卓球協会の英才教育で育った。2005年には史上最年少(当時)の15歳10ヵ月で世界選手権代表に選出。09年、13年の世界選手権ではダブルスで銅メダル獲得。今年1月の全日本選手権では史上最多タイとなる8度目の優勝。世界ランキング7位、五輪ランキング5位(16年2月時点)。左シェークハンド。身長172cm、体重66kg。既婚、1児の父。ビーコン・ラボ所属

(取材・文/折山淑美 撮影/ヤナガワゴーッ!)