中国メディアの新浪網は14日、「中国は対ベトナム作戦で地雷をなぜ小さくしていったのか。君を爆死させなかったから」と題する記事を掲載した。(イメージ写真提供:123RF)

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 中国メディアの新浪網は14日、「中国は対ベトナム作戦で地雷をなぜ小さくしていったのか。君を爆死させなかったから」と題する記事を掲載した。

 記事は冒頭で、中国は13世紀の宋代にすでに、地雷を防御用の武器として使っていたと紹介。ただし、地雷を成熟させたのは18世紀の欧州で、第1次世界大戦終了までに地雷は各国の軍が大規模に用いる武器になっていたと論じた。

 中国では共産軍は成立と同時に、「地雷戦」に着手したと紹介。抗日戦でもさまざまな地雷は「日本鬼子(日本将兵)の心胆を寒からしめた」と論じた。ただし、中国共産軍が用いた当時の地雷はほとんどが手製で、重量がある割には爆発力が乏しく、信頼性も低かったと認めた。

 中華人民共和国成立後は地雷の性能も向上し、対人地雷の殺傷半径も5メートル、7.5メートルと拡張されていった。

 記事は、1970年代以降は国際的に対人地雷に対する認識が変化したと指摘。軽量化、脱金属化が進み、さらに大量に設置して、敵が地雷の被害を受ける確率を増やしたと説明。さらに大きな変化として「敵を殺害することでなく、負傷により戦闘能力を奪うこと」が重視するようになったと指摘した。

 「敵の殺害を避ける」といっても、人道的配慮によるのではない。将兵が負傷すれば、後方に搬送するのに最低は2人が必要だ。さらに軍医や衛生兵も必要になる。つまり「殺さない方が、敵の戦闘力を奪える」との事実に各国が気づいたということだ。

 また、負傷して苦しむ兵を見れば、戦意が喪失しがちになるという効果も注目されたという。

 中国は1970年代に、極めて先進的な72式対人地雷を開発した。ごく一部に金属使っているだけで、基本的にはプラスチック製だ。直径7.9センチメートル、厚みは3.5センチメートルで重さは125グラム。同地雷は、撤去しにくいという特徴もあるという。

 記事は、中国はベトナム戦争時、北ベトナム軍に小型対人地雷を大量に提供したと紹介。一方、ソ連は1970年代末に液体火薬を用い、航空機から散布する重さわずか70グラムのPFM-1という名の小型対人地雷を開発したと説明。

 さらに、中国の軍関係者は1981年にアフガニスタンの戦場でPFM-1を発見し、一部の部品を入手して模倣し、新たな対人地雷の開発に結びつけたと紹介した。

 アフガニスタンの戦場とはソ連がアフガニスタンに侵攻し、1978年から89年まで続いたアフガン戦争の戦場を指すとしか考えられない。厳しい中ソ対立の時代で、中国はアフガニスタンを支援していたが、中国の関係者は現地で、ソ連製の兵器の研究もしていたことになる。

 中越の軍事衝突と言えば、1979年の中越戦争がよく知られるが、両国は1984年にも国境地帯でかなり本格的な戦闘を繰り返している。同衝突は「中越国境紛争」と呼ばれることが多い。

 新浪網は、ベトナムは中越国境紛争の当時、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構に組み込まれており、対人地雷の多くは東ドイツ製だったと説明。それ以外にもベトナムも対人地雷を生産していたという。

 記事は、ベトナム側が設置した大量の地雷は戦争終結後、両国国境地帯に大きな危険性を残すことになったと主張。中国は1990年代に、地雷の撤去法を研究したと論じた。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:123RF)