『さようなら、ロビンソン・クルーソー (〈八世界〉全短編2) (創元SF文庫)』ジョン・ヴァーリイ 東京創元社

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《八世界》シリーズの全短篇を集めた日本オリジナル作品集の二冊目で、六篇を収録。一冊目の『汝、コンピューターの夢』は以前に紹介した。

 いま、ヴァーリイの作品をまとめて読んでいることを、ちょっと不思議な巡りあわせのように感じる。個人的なことだけど、原作発表からそれほど間をおかずに次々と紹介されるヴァーリイ作品を、ぼくがリアルタイムで読み耽ったのは二十歳になる前だ。いまは五十代も後半にさしかかり、人生がゆるゆると停滞しつつある。日常の起伏はいつでもあるけど、むやみな激情や憧憬に駆られることは減ってきた。およそ四十年を隔てふたたびヴァーリイを読んで心に浮かぶのは、はじめて読んだ時代への郷愁などではなく、まったく新しい感慨だ。ああ、いまのぼく(老いた自分)もここにいたんだなあ。ヴァーリイのSFはみずみずしい青春小説だが、じつは年寄りの小説でもある。

 たとえば「イークイノックスはいずこに」は、土星の〈環(リングズ)〉の真空に浮かんで暮らす共生者(シンプ)と人間のペアの物語だが、その人間のほうは七十七歳でこの生きかたを選んだ。彼女はパラメーターという名----変わった名前だが地球の伝統から切り離された《八世界》では取りたてて突飛でもない----で、十二歳のときに故郷の水星から出て以来、人間の体に経験できることならすべて(ドラッグ、大がかりな外科手術、殺人、人格改造、異常な宗教、象にセックスすることまで)を経験してきた。性転換はこの世界では標準なのでわざわざ「経験」と呼ぶまでもない。行けるところは行き尽くしたが、唯一行っていないところが二カ所あった。太陽とリングズだ。太陽はいずれ華麗なる自殺に使うとして、リングズに行くとなればシンプのなかに入らなければならない。シンプは一種の植物で、人間を包みこんで外界から保護し、また体内にも侵入して光合成による栄養、酸素、水の供給をおこなう。人間からは同様に栄養、二酸化炭素、水がシンプへと戻され、宇宙空間でも長期生存できる閉鎖環境が構成される。シンプ単体で思考はできないが、ペアの人間の脳をタイムシェアリングすることで独自の意識が生じる。パラメーターと共生したシンプはイークイノックスと名づけられた。

 リングスで生きる共生ペアは「リンガー」と呼ばれ、めったに他人と関わることがない。リンガーのなかにも環境保全派と改造派のイデオロギー対立があるが徒党を組むわけではなく、争いがおこる場合はペア対ペアの対決となる。また、リンガーどうしでときたま行きずりのセックスがおこなわれるが、あくまで一期一会で、社会的にも情緒的にもつながりが継続することはない。そのかわりペアの絆はきわめて強い。人間とシンプは一心同体ならぬ、二心同体で自足している。

「イークイノックスはいずこに」は凝った構成で、ふたつの物語が平行して語られていく。第一の物語では、環境保全派であるパラメーターが改造派のリンガーから襲撃を受け、イークイノックスと産んだばかりの五つ子----老齢の彼女だがシンプとの共生によって新しい生殖機能を手に入れたのだ----を奪われ、虚無のような孤独感に苛まれる。第二の物語は時間をさかのぼり、パラメーターがリンガーになったころの追想だ。緑の塊にすぎなかったシンプが彼女と一体となり、イークイノックスとしての自我を形成していく。その過程でパラメーターの心もまた、赤ん坊から「もうひとつの人生」へ向けて成長し直すのだ。

 つまり、この作品を通じて、老いたパラメーターと若いパラメーターとがもつれるようにして併存している。たんなる時系列ではない。第一の物語には、老いの絶望から気持ちを立て直してイークイノックスと子どもたちを捜す、ある種の若さも躍動している。第二の物語にも、イークイノックスとともに成長する若い時間のなかに、手に負えない子どもをあやして導く老母のような(パラメーターは過去二回の出産経験がある)視線も垣間見られる。

 表題作「さようなら、ロビンソン・クルーソー」も、表向きは甘酸っぱいボーイ・ミーツ・ガールの青春小説にみえながら、その背後に老人の物語が隠れている。舞台は冥王星の地下につくられたバブル型リゾートで、体感としては見晴らしの良い熱帯サンゴ礁の小島だ。主人公の少年ピリは、肺呼吸だけではなく鰓呼吸ができるように改造された身体で、海の生活を気ままに満喫している。幼なじみの少女ハルラは愉快な友だちだが、最近は一緒に出かけるたびにキスしてこようとくるのがちょっと厄介。それよりピリが気になっているのは、新しく知りあったリーアンドラだ。彼女はピリより背が高い。肉体年齢は三十くらいで、女性にしては珍しいほど老けている(この世界では外見は自在に調整できるので、たいていは若く設定するということだろう)。実年齢はもっと上かもしれない。

 物語だけを追って読むなら焦点は恋のなりゆき、つまりピリがリーアンドラとハルラのどちらを選ぶかだ。しかし、背景まで視野に含めたとき、読者が気になるのはおそらくピリの境遇だろう。男の子が家族もなくリゾートでひとり暮らし? どうやって生活が成りたっているのか? この豊かな時間はいつまでつづくのか? 謎を解くカギはピリが見る悪夢だ。結末は「若さ」に沿って読めば爽やかで、「老い」に沿って読めばやるせない。パラメーターと同様、ピリも「もうひとつの人生」を生きている。

 ヴァーリイが「もうひとつの人生」を扱う方法は、「若さ」/「老い」という明確な年齢差だけではない。「びっくりハウス効果」では、主人公のクエスターが太陽の近傍まで行く観光宇宙船----彗星をまるごと改造してつくられた〈地獄の雪玉(ヘルズ・スノウボール)〉----のなかで「もうひとつの人生」を経験する。物語の開幕からクエスターはこの船になんらかの異変が生じている気配を察知していた。客室乗務員にそれを告げようとするが、「いま上映している古い2D映画はご覧になりましたか? 『SOSタイタニック』と『ポセイドン・アドベンチャー』ですよ」と話を逸らされてしまう。よりによって船内上映でその二本立てかよとツッコミたくなるが、案の定〈地獄の雪玉〉は危機的状況にみまわれる。しかも、その渦中で知りあった女性サーラスとのあいだの恋愛というおまけつきだ。クエスターは彼女に言う。「ぼくらはきっと〈鏡の国のアリス〉の世界へ落ちてしまったんだ」。ご存知のとおり『鏡の国』でアリスは夢を見ている(あるいは夢に見られている)のだが、クエスターはどうなのだろう?

 興味深いのは、クエスターが漏らすひとことだ。彼はSF作家だ(作中では「サイエンス・フィクション」ではなく「サイエンティフィクション」と呼ばれている。未来だからか?)。彼はサーラスにこう話す。「サイエンティフィクション作家はみんなそうだが、わたしも元々は保守的な人間だ。星々に生きる未来よりも、地球での過去をなつかしんでいたい」。

 じつはヴァーリイにおける「もうひとつの人生」の主題は、個々の作品で登場人物がたどる物語だけではない。《八世界》そのもののが人類全体にとっての「もうひとつの人生」なのだ。本書巻末に付された大野万紀さんの「解説」の年表----この年表と用語集は素晴らしい労作! 本国アメリカでもつくられていない日本版だけのボーナスだ----を見ればわかるとおり、《八世界》の歴史は西暦2050年の侵略者(インベーダー)による地球占領にはじまる。地球上で築いてきた時間がリセットされ、人類はまったく別な時間を生きることを余儀なくされた。それは新生や再起といった前向きなものではなく、太陽系内の限られたリソースをやりくりし、太陽系外縁をかすめる謎のレーザービームから拾った情報(人類に解読できたのはわずか1パーセント程度にすぎないが)に基づいたテクノロジーにすがって、命をつなぐだけのモラトリアムだ。大野さんは〔こうして年表にしてみると、〈八世界〉は六百年あまりの間、最初の百年ほどを除けば文化的にも技術的にも停滞し、ほとんど変化がなかったことがわかる〕と指摘する。

 つまり、人類全体としてみれば未来への展望も燃えたつような希望もない老齢なのだ。地球ですごした盛りの時代はもはや取り戻せない。そのかわり、地球ではついに達成されなかった平穏がここにはある。カジュアルに性転換ができる世界で性差別などナンセンスだし、肉体が簡単に変えられるうえに遺伝子レベルでも交配が進んでいるので人種差別もない。イデオロギーや宗教の違いはあっても、国家間の武力紛争などは起きない。いちばん大きいのは、どう逆立ちしても侵略者には敵わないことが歴然としていることで、それが無意識に作用してか、特定の正義や理想で世をなびかせたいとか、思想や立場の違う他人を従わせたいとか考える人間が払拭された。ヴァーリイの主人公たちはたいてい自分のこと、あるいはごく近しい存在のことしか興味がない。もしかすると、それはがむしゃらな「若さ」と、ほどよく熟れた「老い」に共通することかも。

(牧眞司)