ロスのジムで現役時代の自分の写真を指さすダブ。(撮影:宮田有里子)

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2004年度オスカー受賞作『ミリオンダラー・ベイビー』が5月28日から日本でも公開される。クリント・イーストウッド監督・主演のこの映画は、ボクシングの酸いも甘いも知り尽くしたトレーナー“フランキー”(イーストウッド)と、彼のもとで夢をかけた女子ボクサー“マギー”(ヒラリー・スワンク)の人間ドラマだ。

 アカデミー・アワードで作品賞、監督賞と主演女優賞(スワンク)、主人公二人を見守る老トレーナー“スクラップ”を演じたモーガン・フリーマンが助演男優賞を獲得。ボクシングに精通する人が見れば「これはありえない」と違和感をいだくであろう描写はなきにしもあらずだが…バツグンの運動神経で知られるスワンクの“ボクサー”ぶり、体当たり演技は本当に見事だし、彼女の対戦相手として、ホンモノの女子世界王者ルシア・ライカがなにげに登場していたりもする。とにかく、ボクシング映画が高い評価を得て世に知られることに、ボクシング・ライターの端くれとして喜びを感じずにはいられない。

 この映画を見るように記者に薦めてくれたのは、ボクシング・トレーナーのダブ・ハントレー。いつもニコニコしながら「オライ(all right)、オライ」とうなずいていて、周りをハッピーにさせる「好いおじさんだなあ」と思っていたら、実はミドル級元世界ランカーのスゴイ人だった。アマチュア時代、64年東京オリンピックの国内予選は「飛行機が30分遅れて出場しそびれた」そうで、翌65年のゴールデン・グローブで優勝し、そのことがカリフォルニア州黒人百科事典に載っている。65年にプロへ転向した後は、ハワイを含む全米各地、パリ、コペンハーゲン、ロンドン、ローマなど、ことごとく敵地で戦っていて、68年にはアルゼンチン・ブエノスアイレスでのちの名王者カルロス・モンソンとグローブを交えている。が、世界9位まで上がってタイトル挑戦を計画し始めた矢先、左目網膜はく離で引退。だから彼の左目は視力がない。

 そんなダブがある日、「今『ミリオンダラー・ベイビー』っていう映画、やってるの知ってるか?」と聞いてきた。「知ってるよ。まだ見てないけど。面白いの?」と聞き返すと、黒いスポーツバッグの中から一冊の本を取り出し「これはその映画の本なんだけど、ボクの友達が書いたんだ。見てみて、ここにボクの名前が入ってるだろ?」と、本の一ページ目を見せてきたのだ。
“For God, the Egternal Father, and for Dub Huntley, my daddy in boxing”

 ダブが持っていた本は2000年に発売された『ロープ・バーンズ(Rope burns 〜 Stories from the Corner〜)』というハードカバー。ボクシング・フィクションの短編集で、“ミリオンダラーベイビー”はその中のひとつのストーリーである。が、今は本のタイトル自体が『ミリオンダラー・ベイビー(Million Dollar Baby)』になって書店に並んでいる。

 この本の作者、F. X. Tooleことジェリー・ボイド氏とダブは、ボクシング・ジムで知り合った。「ジェリーは『ボクシングを教えてほしい』って言ってきたんだ。その時彼は47歳だったんだよ!信じられなかった」。

 ダブはジェリーにボクサーがやるすべてのトレーニングを課したのだそうだ。そしてジェリーはそれから20年以上ボクシングの世界に浸り、カットマンの技術も身につけたという。『ミリオンダラー・ベイビー』がヒットした後、スポーツ・イラストレイテッド誌が彼のストーリーを取り上げていたが、それによると、ジェリーは69歳になって初めて長年見てきたボクシングの世界を文章にし、70歳になってようやく最初で最後のこの本を出版したという。ダブがジェリーから聞いた話では、イーストウッド演じる“フランキー”はジェリー自身、フリーマン演じる“スクラップ”はダブがモデルになっている。

 「ジェリーは、とてもいいハートの持ち主で、ボクシングがすきだった。でも『ミリオンダラー・ベイビー』が映画になることを知らずに死んだんだよ」とダブ。2年前、ジェリーは心臓病で亡くなったのだ。

 映画を見た後、ダブと愛妻ジェシーと話をした。いい映画と思ったけれど、結末だけは理解するのが難しいと、彼らに伝えると、「実は映画のエンディングは好きじゃない」とジェシーもダブも言う。でも、本を読んでみても、映画化によって筋書きが大きく変えられたわけでもなかった。どうして、ボクシングを深く深く知っている人がこういうストーリーにしたのか、この物語にどんなメッセージをこめているのか…長いこと考え込んでいたが、今はぼんやりと分かってきたような気になっている。そもそも答えなんていうものはないのかもしれない。ジェリーは、読んだ人、見た人それぞれが“考え”始めれば、本望なのかもしれない。 そんなことを、またダブに話してみようかと考えてているところだ。【了】