スタート時の気温は10℃、レース中も9〜12℃で、風も弱い好条件に恵まれた3月13日の名古屋ウィメンズマラソン。

「30kmまでのペースは昨年より遅かったが、優勝できたことには満足している。昨年はペースメーカーがコンスタントなペースで走ってくれたが、今年は1kmごとにペースが速かったり遅かったりしたことも影響したのでコースレコードを出せなかった」と言うユニスジェプキルイ・キルワ(バーレーン)が、2時間22分40秒で連覇を果たした。

 そのレースをよりスリリングなものにしたのは、田中智美(第一生命)と小原怜(天満屋)の、熾烈なリオデジャネイロ五輪代表争いだった。

 田中は14年横浜国際女子マラソンで優勝しながらも、レース内容とタイムが評価されずに15年世界選手権代表には選ばれなかった。そして小原は初マラソンだった昨年のこの大会で、15km過ぎの給水付近で転倒して124位と惨敗した過去を持ち、その悔しさを晴らすためのレースでもあった。

 リオ五輪代表争いは、昨年11月の埼玉国際マラソンで2位の吉田香織(ランナーズパルス)が出した2時間28分43秒と、今年1月の大阪国際女子マラソン2位・堀江美里(ノーリツ)の2時間28分20秒を上回っての日本人1位なら当選の可能性はあった。だが、ふたりはタイム的にそんな凡レースをする気はなかったという。

 ペースメーカーの設定は、5km16分55秒から17分00秒の予定だったが、最初の5kmを17分03秒、下りが多い10kmまでは17分04秒と遅めに始まった。その後、上り坂になる15kmまでは16分56秒と、安定しないペースで中間点通過を通過した。04年アテネ五輪優勝の野口みずき(シスメックス)は5km過ぎで完全に集団から脱落したが、先頭集団は中間点で10人。30kmまで9人と緊迫感のある展開となった。

 そんな中で小原は集団の前めに立ち、田中は日本人トップ争いのライバルになるだろうと目する木崎良子(ダイハツ)を視野に捉らえる位置で冷静に走っていた。

 そのふたりが意識していたのは、ペースメーカーが外れる30km過ぎからのキルワのスパートだった。予想通り、30kmを過ぎると、キルワは31kmまでを10秒以上も上げて3分13秒にする仕掛けをした。それに最初についたのは小原。田中もしっかり反応し、小原をかわすと31〜32kmを3分15秒で走ってキルワを追いかけた。

「もしあそこでキルワ選手に追いつけていたらもう少しいけたかもしれないけど、真後ろにはつけなかった」と田中は振り返る。

 キルワもまた田中が追ってきていることに気づき、さらにペースを上げて引き離そうとしたからだ。その間の5kmをキルワは16分24秒で走り、16分37秒で走った田中を振り切った。

 その走りを見ていた第一生命の山下佐知子監督は、「3分15〜20秒くらいなら押していけるだろうなと思っていたけれど、15秒を切ったら持たないかなと思っていました。その範囲内で推移したし、3分13秒に上がっても一瞬だったら大丈夫なので突っ込み過ぎだとは思いませんでした。でも、そのまま押していけばどこかで落ちる。その落ち方がひどいと後ろに抜かれるという考えはありました」と分析する。

 山下監督の懸念通り、35kmまでを16分48秒で走る粘りを見せた小原は、一時、田中に16秒差をつけられながらも37km手前で追いついてきた。

「追いついて並走になったときに、田中さんはまだバネのある走りをしていたので怖いなと。離そうと思っても離れないので、ラスト勝負になると感じました」と小原は言う。

 その言葉の通りに田中の走りはキルワのスパートに対応した時も、小原と並走になった時も崩れていなかった。さらに「キルワさんがスパートした時も、勝ちたいという思いしかなかったので対応できた」と、勝利に対する強い気持ちで走っていたという。

 その戦いに決着がついたのはゴール前130m、最後のカーブの手前。内側のコースを取って前に出た田中が、小原に1秒差の2時間23分19秒でゴール。後半を前半より13秒速いタイムで走りきってみせた。

「ゴールした時には横浜で優勝した時のように山下監督が駆け寄ってくれるだろうから飛びつこうと思っていたけど、監督を見たらウルウルしていたので私も泣いてしまった」と笑う田中。

 山下監督は「レース勘と度胸だけは持っていたけど、スピードやスタミナなどすべてが弱い子だったので......。これまでの自己ベストが2時間26分05秒だったから、そこから縮めた3分分が、すべての面で万遍なく培ってきた結果だと思う」と評価した。

 座右の銘は"疾風に勁草を知る"だという田中。自分がその勁草になれたと思えたのは、2015年の世界選手権代表になれなかったときと、夏の練習で足底を痛めたときだったと言う。

 リオを狙う戦いのきっかけは、その世界選手権落選だった。山下監督が言う。

「まだ完成していないというのは何度も話しているけど、彼女の人生もあると思うので私がそこを『東京五輪まで』と引っ張るものでもないですし。だから壊れてしまうのも覚悟でキャパシティを広げようと思ったんです。今回は紙一重でいい方に転がったけれど、ダメだったら申し訳ないという責任はずっと背負っていました」

 リオ五輪に向けて、本格的に取り組み始めたのは昨年の夏から。その影響で足底に痛みがある中でも、田中を9月のベルリンマラソンに出場させた。

「痛みを我慢する姿は本当にかわいそうで替わってあげたいくらいだったけど、何があってもやり抜かなければいけないという姿勢は崩したくなかった。致命傷にならなければいいから、とにかく苦しませるしかないみたいな気持ちだった」と山下監督は振り返る。

 陸連の設定記録である2時間22分30秒は意識しなければいけない記録だった。山下監督は「そのタイムへの取り組みはしなければいけないけれど、本人の体を無視してはできないので、どんなに悪くても2時間24〜25分を出させるようにしようと考えていた」と言い、その余裕ある考えもまた、今回の結果につながったといえる。好材料としては、後半のペースを前半より上げられたこと。リオ五輪本番でひとつの武器になってくるだろう。

「スタミナが埋まったというのは大きいと思いますね。ただ世界と勝負するためには、35kmから17分16秒に落ちたところを、キルワが16分46秒で行ったように、16分台を維持してほしいですね。コンディションさえうまく仕上げれば、勝たなくても後半の仕掛けにうまく対応できるというか、遅れを大きくとらないところまではきていると思います」

 小原との熾烈な争いを制して、近づいたリオ五輪代表の座。それを本番でどう生かすかは、これからの山下監督との取り組みや、戦術の立て方にかかっている。

折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi