中国では、安徽省鞍山市当涂県内で着手された、現在から1700年ほど前に築かれた大規模な陵墓の発掘作業に注目が集まっている。三国志(三国志演義)で有名な呉の皇帝、孫権の息子で同国第3代皇帝を名乗った孫休(235−269年)の墓である可能性があるという。(イメージ写真提供:(C)neftali77/123RF.COM。中国で発行された孫権と諸葛亮を描いた絵葉書と切手)

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 中国では、安徽省鞍山市当涂県内で着手された、現在から1700年ほど前に築かれた大規模な陵墓の発掘作業に注目が集まっている。三国志(三国志演義)で有名な呉の皇帝、孫権の息子で同国第3代皇帝を名乗った孫休(235-269年)の墓である可能性があるという。

 孫休の墓ではないかとの見方が高まっているのは、現地で同陵墓を「天子墳」と呼んでいるのと、呉の極めて重要な武将の朱然のものと確認されている陵墓よりも、規模がはるかに大きいことによる。

 墓の内部は南北に通じる通路のに前室、後室があり、東西には別に「耳室」と呼ばれる部屋がある。南北は44メートル、東西は30メートルほどの大きさという。前室内はすでに発掘されたが、盗掘されていた。後室についても地上から直接掘った盗掘穴の痕跡があるという。耳室については不明だ。

 孫休の在位期間は西暦258-264年。在位中に蜀漢が魏に滅ぼされるなど、三国鼎立が崩れた時代の呉の指導者だった。孫休は学問を好み、諸子百家の書物を読破するほどだったが、次第に政治に飽きて部下任せにして国が乱れたなど、後世の評価は高くない。

 しかし、三国志演義の「準主役級」人物である孫権の息子の墓の可能性があるだけで、人々の関心は高まっているという。

 もちろん専門家は葬られていた主の同定について慎重で、「まだ疑わしい点もある。具体的な実物の証拠が必要だ」と述べている。発掘は6月まで続くという。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:(C)neftali77/123RF.COM。中国で発行された孫権と諸葛亮を描いた絵葉書と切手)