3月7日にマリア・シャラポワが自ら会見で明かした「ドーピングテストで陽性反応が出た」との告白は、瞬く間に世界中を駆け、あらゆるテニス選手たちにも衝撃を与えた。

 この事件を「テレビのニュースで知った」という錦織圭も、そのひとり。同じマネージメント会社『IMG』に所属し、スタープレーヤーとしての責務を共有する彼は、自らの経験と想いをシャラポワに重ねるように、こう言った。

「これが50位、60位の選手だったら、故意にやっているかもとちょっとは思ったかもしれませんが、シャラポワレベルの選手が故意にやったとは思えないです」

 確信に満ちた発言の背景には、自身のトップ10選手としての経験が、根拠として重く横たわる。

「僕もトップ10に入ってから、ドーピング検査の量はすごく増えた。トップ10の選手が、自分からやろうなんて絶対にないと思います」

 シャラポワ同様に背負うものの多い彼の言葉は、実(じつ)を伴う説得力に満ちていた。

 世界アンチドーピング機構(WADA)が定めるトップアスリートたちへの要望や規定は、ここ10年の間にも厳しさを増している。2004年にWADAが施行した「ウェアアバウツ(Whereabouts)・システム」はその最たるもので、これはアスリートたちに抜き打ちのドーピングテストを行なうための制度。選手たちは、毎日の予定や滞在先を事前に報告し、WADAの検査官はそのスケジュールに則って自宅や滞在先を訪問し、サンプルを回収するのである。

 テニスにおける2016年のウェアアバウツ・プログラムでは、選手たちには参戦する大会予定以外に、以下の報告が義務づけられている。

・向こう3ヶ月分の、毎日の滞在先(自宅やホテルなど)の名前と住所
・トレーニング場所や職場・学校などに行っている場合は、その施設の名前と住所、そこにいる時間帯
・5時〜23時の間で、ドーピングテストを受けることが可能な時間帯

 錦織の場合は、検査官の訪問を受けるのは「年間5〜6回」。確実に家にいるであろう朝6時から7時の間を「テストを受けることが可能な時間」として指定しているので、その時間帯に自宅のチャイムが鳴ると、「来たか」と直感する。最悪なのは、検査官が訪れたタイミングがたまたま、「トイレに行った瞬間」だった場合。そのときは検査官に監視されながら、「水をがぶ飲みですね」ということになる。

 このようなドーピングテストの厳しさに関しては、他の選手たちの口からも多くの証言が語られる。ある選手などは、電車に乗るために家を出たまさにそのタイミングで検査官の訪問を受け、そのまま乗った特急電車のトイレでサンプル採取にいたったというほどだ。

 また、これら抜き打ちテスト以外に選手たちは参戦した大会でも、かなりの高確率で検査を受けている。錦織は、「ほとんどのグランドスラムとマスターズ大会」でチェックを受けたと言い、昨年ランキングを急上昇させた女子のベリンダ・ベンチッチ(スイス)は、「ほぼすべての大会」が対象になったという。検査を受ける頻度の高さと、抜き打ち検査官の厳格さを知るトップ選手たちほど、そのリスクの高さを実感し、だからこそ、選手が自発的にドーピングに走ることはないと感じるようだ。

 だがその一方で、彼女の"ケアレスミス"を厳しく糾弾する声や、テニス界に与えたダメージに対する責任を問う声も、少なからず選手間から上がっている。

 シャラポワは、今回の検査で陽性反応が出たメルドニウムが、「今年から禁止薬物となったことを知らなかった」と主張。その発言を受けラファエル・ナダル(スペイン)は、「もちろん、マリアのミスから起きた事態であり、彼女が意図的に摂取したとは思いたくない」と前置きしつつも、「それでも、彼女の過失はルールに反するものであり、その代償は払うべきだ」と断言。アンディ・マリー(イギリス)にいたっては、シャラポワが過去10年に渡ってメルドニウムを「健康不良の治療の目的で飲んでいた」件に関しても、懐疑的な目を向けた。

「今年1月1日以降、メルドニウムに対して陽性反応の出たアスリートは、さまざまな競技ですでに55人にものぼっていると何かで読んだ。これだけの数のトップアスリートが体調に問題を抱えていたというのは、僕には奇妙に思えて仕方ない」。

 さらにマリーは、ITF(国際テニス連盟)等から送られてくる禁止薬物等に関するメールや手紙は、「自分でもすべて目を通すし、医師などの専門的な知識を持った人にも必ずチェックしてもらう」と言う。対してナダルや錦織のように、「チームの信頼できるスタッフの人たちに任せている」という選手も少なくない。

 虚実混交とした情報と憶測が飛び交い、依然、多くの真相はやぶのなか。ただ確実に言えるのは、シャラポワがメルドニウムを摂取していたということだ。シャラポワが自ら故意に禁止薬物を口にする可能性はないと信じながらも、英語での質疑応答で錦織は言った。

「詳しくは知らないから多くは話せないけれど、彼女とチームのスタッフは、もっと慎重であるべきだったと思う」

 真偽の程も最終的な処分も判然としないまま、シャラポワの"暫定的"出場停止処分は執行された。

内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki