誰の心の中にもそれぞれの松方弘樹がいる。
「仁義なき戦い」の坂井鉄也だよ、という人がいれば、「県警対組織暴力」の広谷賢次、という人もいるだろう。いやいやなんといっても「修羅の群れ」が、というあなた。そうだよね、若山富三郎・鶴田浩二という東映二枚看板を脇に回しての主演で、松方自身が「一番思い入れの深い作品」と語るぐらいだもんね。


私の場合は子供のころ東京12チャンネル(まだテレビ東京じゃなかった)で観た「大江戸捜査網」の隠密同心・左文字右京が最初に認識した松方弘樹だった。やけに凄みのある眼をした人だ、と思ったっけ。私よりも歳下だと、もう強面俳優の松方じゃなくて「天才たけしの元気が出るテレビ」の「松方部長」だったという人もいるかもしれない。色が黒くてやたらと高い声で笑う部長。
そして、仁侠映画や時代劇が下火になった現在でも、「マグロの人」として松方弘樹は若い視聴者の心の中に住みついている。
ほら、みんなの心の中に住んでいるでしょ?

竿を握らしゃ日本一の


新刊『松方弘樹の世界を釣った日々』は、その松方が自身の釣り人生について振り返った滅法おもしろい半生記だ。松方には『松方弘樹の泣いた笑ったメチャクチャ愛した』(日之出出版。1989年)という著書があるが、ここまで釣りという趣味に特化して自身を語ったことはなかったはずだ。
何しろ自ら代表作と胸を張る「修羅の群れ」にしても本書によれば、当時カジキ釣りに凝っていたため、先輩俳優たちに頭を下げまくってクランクイン後の時期に撮影所を抜け出し、釣り大会に参加していたというのである。それもハワイ島・コナで行われるHIBT(Hawaiian International Billfish Tournament)と東京ビルフィッシュ・トーナメント(現・JIBT)の2つに。HIBTはあの矢口高雄『釣りキチ三平』でもシリーズ最長の「ハワイのブルーマーリン」編の題材になった有名な大会だが、本書によれば松方はこの第29回で優勝トロフィーを手にしている。しかも最初にカジキを釣り上げた賞と、最多のカジキを釣ったチームに贈られる賞とあわせて三冠の栄誉に輝いたのだという。
本の副題に「釣りバカ弘樹のこれぞ人生!」とあるのは何の嘘偽りもない真実なのであった。

地球の魚と戦うぞ


松方の釣り好きイメージを世間に広めたのはテレビ東京のドキュメンタリー「松方弘樹・世界を釣る!」シリーズだろう。人喰い虎の住むアムール川で幻の魚イトウ釣りに挑んだり(「誰かが虎に喰われたみたいだ」森の中に、ボロボロに切り裂かれた洋服と長靴が転がっていたのです。「きっと密猟者だよ。喰われた形跡が残っている……」)、サイパン島沖でボートが漂流しアイスボックスに残された、溶けた氷の汚い水を飲んで九死に一生を得たりというエピソードなど、世界を股にかけた人ならではのエピソードもふんだんに語られている。
また、釣り番組では長年コンビを組んでいた梅宮辰夫が釣り自体ではなくてキャンプでの料理に熱が入ってしまったために犯した失敗譚や、「元気が出るテレビ」で共演したビートたけしと一度だけ実現した釣行の話など、ゆかりの人物についての月旦も記載されているので、芸能人の噂話が好きな人も退屈することはないはずだ。
中でも抜群なのは、父・近衛十四郎のエピソードだ。松方を釣り好きの薫陶を与えたのは間違いなくこの父で、最晩年の近衛は、松方と共同出資で京都府亀岡市に釣り堀「天国」も出している。ただし近衛は、開店のわずか2ヶ月後、自らそこで釣竿を握っている最中に脳内出血し、天国へと召されてしまう。そうした形で釣り好きの人生を貫いたのである。

魚がウインクするような


多くの釣り人が「フナに始まりフナに終わる」と言うように、30代までの松方は主としてヘラブナ釣りに熱中していた。初めての映画出演は17歳だが、竿を初めて握ったのは7歳のときで、もちろんそちらのデビューのほうが早かった。忙しい役者業のさなかも、ヘラブナ釣りの研究を怠ることは決して無かったのである。ヘラブナ釣りの餌はマッシュポテトだが、もちろんその吟味にも力が入る。

──マッシュをつけた針を風呂に沈めて、シュノーケルをつけた僕が潜り、ジーッと見るんです。同時に、マッシュが溶けたときの浮きの変化も観察する。マッシュの甘い香りにむせながら、ドロドロになった風呂場でひたすらそれを繰り返す。
もう、病気です。それくらい役づくりに専念していれば、今頃はもう少しいい役者になっていましたね(笑)。

18歳でカジキに挑戦するも釣り上げることは叶わず、39歳で初めて人生初の釣果を上げた。次第に松方の心は大型魚への挑戦へと向き始め、1993年、「Boston Tuna Tournament」で350kgのマグロを釣り上げたことをきっかけに、日本近海で300kgのマグロを釣ろうと決意するに至る。「おまえが俺には最後の女」と歌ったのは「みちのくひとり旅」の山本譲二だが「マグロが俺には最後の魚」と心が定まったのだ。

明日のしあわせ釣りあげろ


ご存じのとおり松方は、病気療養の理由で2016年2月に入ってすべての芸能活動を休業している。所属事務所から発表された病名は、決して芳しからぬものであった。私の知る限り現時点での最後のテレビ出演は、1月31日に放送の「日曜ビッグバラエティ 迷っても行きたい 路地裏の名店9」だった。縁深いテレビ東京で、これまた義兄弟のような縁に結ばれた梅宮辰夫との共演で、銀座路地裏のアナゴ料理に舌鼓を打っていた。
湿っぽい空気は嫌いなので、前向きなことだけを書きたい。本書で松方は、太平洋のクロマグロのみならずさまざまな魚種が日本近海から姿を消していることを憂い、その原因が乱獲にあると指摘している。そして「マグロ基金」設立を考えていることを明かしているのだ。

──大小のマグロを築地に卸して、これまでに手にした金額はそこそこになります。それは道楽で得たお金だから、自分の懐に入れたってしかたがない。
そのお金を元手にマグロ基金を設立して、砂漠と化した海に貝類や海藻の芽などを付着させたブロックを沈めます。海底に人口の森をつくるんです。
そこが小魚の棲み処となれば、中型魚も大型魚も戻ってくるでしょう。見島の八里ヶ瀬で、再びマグロの産卵が見られるかもしれません。
いってみれば、さんざん遊ばせてもらった海への恩返しです。

私は信じている。病を克服した松方が夢を実現することを。
マグロに憑かれた男がマグロの未来を切り拓く。こんな愉快なことはないではないか。
(杉江松恋)