「〈切り裂き王子〉ですね?」と言ったら、火村に嫌がられた。
「その呼び方はやめろ。ふざけすぎだろう」
「〈アポロン〉やったらええんか?」
「まだまし──似たようなもんだ」
『菩提樹荘の殺人』所収)


「臨床犯罪学者 火村英生の推理」第8話原作は「アポロンのナイフ」だった。前話の中でシャングリラ十字軍の信者たちを手にかける連続殺人者として登場していた少年が京都に現われ、火村の大家である時絵さんと接触した。今回はその彼の影がちらつく中で、男女の高校生が死体で発見されるという内容である。2人が発見されたのは離れた場所だったが、どちらも死因はナイフによる傷だった。美少年だという噂から「アポロン」「切り裂き王子」などのあだなをたてまつられた東京の連続殺人者が、この事件にも関与しているのではないかと囁かれる。

少年Aの顔を暴きたい人々


2013年に刊行された『菩提樹荘の殺人』は〈若さ〉についての言及があるという共通点を持った4作を集めた中篇集である。その中でも「アポロンのナイフ」は、正面切って少年法の問題を採り上げており、先行する「絶叫城殺人事件」(同題短篇集所収)などと同じ、同時代への批判的な言及を含む作品だ。ドラマ化はほぼ原作通りの展開で、原作では単なる無差別殺人だったものが、シャングリラ十字軍を対象とした処刑殺人になっている点、貴島朱美が偶然ながら事件に関わっている点、など細かい部分が違うだけである。

原作では、ネットを中心とした世論の高まりにも言及される。「社会防衛のためにネットに顔写真だけはアップしてくれ」という声、アポロンと呼ばれるほどの美形であるという噂からファンを自称する者が多数現われるという無責任な現象、そうしたものがノイズとなり、男女高校生の死の真相が見えにくくなってしまうのである。2016年に入って週刊誌が報道したこともあり元「少年A」の正体暴きが一気に加熱したが、本篇原作の発表年は2010年である。ちなみに〈アポロン〉の本名は坂亦清音、サカマタキヨネとサカキバラセイトの最初の2音は共通しているが、これは偶然の所産だろう。

2010年の時点で作者は「少年A」の仮面を剥がすことを切望する人々が出てくることをある程度予想していたように思われる(公器である週刊誌がそのキャンペーンに荷担することまでは予測できなかっただろうが)。ドラマは、原作のそうした批判的な姿勢を受け継いだ上でさらに「自分の犯した殺人は美しい」と主張する殺人者も否定してみせた。次回、火村英生は直接殺人者の少年と対話をする予定である。そこで「この犯罪は美しくない」という彼の決め台詞の意味も明確になるはずだ。

探偵、青の時代


前述したように『菩提樹荘の殺人』は〈若さ〉についての作品集である。「アポロンのナイフ」の中では、火村が「人を殺したいと思ったことがある」のは20歳でアリスと出会う前、つまり未成年のときだったはずだという言及がある。また、火村英生の大学時代を描いた「探偵、青の時代」という作品も収録されている。アリスは彼と学部が違うため、火村がどんな大学生だったかは知らない部分もある。それを旧い知り合いから教えてもらうという内容である。ちょっとした出来事から大学生・火村が推理を組み立てる、〈日常の謎〉のような一篇である。
また、表題作である「菩提樹荘の殺人」には、投稿用の小説を見知らぬ男が勝手に覗き読みしてきたのが、アリスと火村の初対面だった、というエピソードが紹介されている。

──続きが読みたいかと訊くと、この男は〈もちろん〉という意味で「アブソルートリー」と答えた。帰国子女かと思ったら、ただの変わり者だった。あんまり変なので怖いもの見たさで昼飯に誘い──自作を面白がってもらって上機嫌だったせいもある──、次週の授業までに完結させて読ませてやる、と言うと学生食堂でカレーを奢ってくれた。(「菩提樹荘の殺人」)

作家アリスと学生アリス


原作のファンならとうにご存じのことだろうが、有栖川有栖にはミステリー作家・有栖川有栖を語り手にしたシリーズの他に、もう1つのアリス・シリーズがある。大学生・有栖川有栖を主人公とするデビュー作『月光ゲーム Yの悲劇'88』に始まる学生アリス・シリーズがそれで、こちらでは〈英都大学推理小説研究会(EMC)〉に属するアリスの先輩、江神二郎が探偵役を務める。火村の母校であり現在の職場である学校も英都大学なのだが、江神のいる世界と彼のいる世界が交わった形跡は今のところない。また、大学時代からこつこつ応募用の小説を書いていたというアリスと、ミス研で江神から薫陶を受けている最中のアリスが同一人物である証拠も発見されていない。まったくの平行状態であり、英都大学という場と有栖川有栖という語り手の名前(と、作者の名前)のみが共通項として挙げられるだけ、という状況なのだ。いや、両シリーズの関係を示唆する文章は原作中に見出すこともできるのだが、ここでは触れずにおく。気になる方は、ぜひ原作を。

簡単に学生アリス・シリーズの概略を書いておくと、最初の『月光ゲーム』と次の『孤島パズル』は同年内に矢継ぎ早に発表された。前作は『そして誰もいなくなった』タイプの孤立空間を扱った作品で、後者も「孤島」が舞台ではあるが、それよりもむしろ小さな証拠物件から推理を膨らませていく過程に華がある。この作品によって有栖川が、エラリイ・クイーンの影響を強く受けた作者であるという事実を周囲が認識することになったのだった(後続の作家でこの作品に衝撃を受けた人を多く知っている)。
それに続く『双頭の悪魔』『女王国の城』は、アリスと同期の有馬麻里亜が登場する作品で、前2作以上に特殊な形の孤立空間が舞台となる。違いは、最初の2作が自然の所産による空間で、この2作が人為に基づく閉鎖空間だという点か。この他に短篇集『江神二郎の洞察』がある。シリーズはまだ完結していないので、いずれ新作も世に出ることだろう。

さて、今夜放送されるのは『白い兎が逃げる』所収の「地下室の処刑」である。長谷川京子演じる諸星沙奈江が例によってニヤニヤ笑いながら下した指令により、火村とアリスの身辺にも危機が迫る。最終回に向けて、大きく事態も動くはずだ。どうぞお見逃しなく。
(杉江松恋)