首相官邸HPより小泉純一郎プロフィール

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 福島原発事故から5年目。小泉純一郎は「原発ゼロ」をまったくあきらめる気はないらしい。3月9日には、福島市公会堂の「ふくしま自然エネルギー基金」設立イベントで講演。明らかに安倍首相を想定して「原発事故から学ぼうという姿勢がなくなっている」「汚染水はアンダーコントロールされているとか日本の安全基準は世界一とデタラメなことを言っている」と、手厳しい批判を浴びせた。

「日刊ゲンダイ」によれば、小泉氏は講演後の会見でも、安倍首相に対して「どうしてこんな簡単なことがわからないのか」と苛立ちとも言える言葉まで口にしたという。

 9日の講演だけではない。2月にも、いわき市の講演で「原発ゼロの社会は夢があるが、空想でも幻想でもない。日本は原発ゼロでも2年間やってきた。事実が証明してくれる」と熱く語った。

 官邸は小泉氏のこうした反原発への激しい動きの裏にいったい何があるのか、つかみあぐね、困惑を隠しきれないでいるようだが、実は小泉氏には裏も何もなく、「原発ゼロ」実現に対して完全に「本気」らしい。

 そのことがよくわかるのが、最近、出版された『小泉純一郎、最後の闘い ただちに「原発ゼロ」へ!』(筑摩書房)だ。著者の冨名腰隆氏と関根慎一氏は朝日新聞の政治部記者で、いずれも小泉首相の"番記者"だった。昨年9月、首相退任以来、メディアの取材に応じていなかった小泉の退任後初の単独インタビューをものにしたことでも知られている。

 そんな小泉氏と近い記者が書いたこの本には、今まで語られてこなかった、小泉氏の反原発の原点が明かされている。

 小泉の「原発ゼロ」姿勢を決定づけたのはフィンランドにある使用済み核燃料の最終処分場「オンカロ」の視察だったことはよく知られている。2013年夏のことだ。3.11以降、脱原発寄りの発言を続けていた小泉をなんとか懐柔しようと、三菱重工業、東芝、日立製作所の原発担当幹部とゼネコン幹部が連れ出したのだ。ところが、その目論見はみごとにハズレる。オンカロを見た小泉は、核燃料の最終処分の難しさを痛感し、「原発ゼロ」を確信するようになったという。

 それもそのはず。フィンランドが最終処分場に選んだオンカロは地震がめったになく、地層は18億年間、ほとんど動いていない場所だという。その岩盤を400メートル掘り下げて2キロ四方のスペース(東京ドームの約85倍)をつくり、そこに高レベル放射性廃棄物を保管しようというのだ。そんな場所はまず日本にはない。しかも、保存期間は10万年だ。小泉は言う。

「水が出たら、(有害物質が)外に漏れる可能性がある。10万年も絶対に外に出してはいけない。日本にそんな地域がありますか。400メートル掘れば、水が出てこないどころじゃない。ほとんどの地域は温泉が出てくるんじゃないか」(2015年5月9日、神奈川県小田原市での講演)

 ただでさえ難しかった最終処分場の候補地選びは福島原発の事故によって絶望的になったとも言う。さらに、10万年という途方もない歳月について「言葉」の問題はどうするのかと、鋭い疑問を投げかける。例えば、現代日本人は同じ日本語であっても、たかだか1000年あまり前の古文を読むのに苦労する。古代エジプトの象形文字は専門家でなければ判読不能だ。同じように、我々がいま使っている言葉が1000年後、1万年後にどうなっているかすらわからない。そこに危険な物質が保管されているということを10万年後の人類に正しく伝えられるだろうか、と小泉は言うのである。確かにそうだ。

 原発は「トイレのないマンション」といわれ、いまだにトイレができる目処すら立っていない。いまからつくろうといっても絶対に無理だ。だったら、別のこと(自然エネルギー)を考えたほうが早い、というのが小泉の考えなのだ。

 小泉が、この使用済み燃料の最終処分について語るときによく使うたとえがある。日本では産廃業者が自分で処分場を見つけなければ都道府県知事の許可がおりない。なのに、原発業者は産廃より危ない核廃棄物の処分場を一つも見つけていないのに認められている。これはおかしくないか? 新聞はなんでこれを書かないんだ、と。実は、小泉がこうした「ゴミ問題」に食いつくのにはわけがあった。

 きっかけは、1970年代〜80年代にかけて問題が表面化した瀬戸内海に浮かぶ豊島(てしま、香川県)の産廃不法投棄事件だ。約6.9ヘクタールの土地に50万トンもの廃棄物が積み上げられ、ゴミの島と化してしまった事件だった。廃棄物から水銀やPCBなど有害物質が流れ出し、住民は恐怖の中での暮らしを余儀なくされていた。この問題に正面から取り組んだのが1996年に第2次橋本内閣で厚生相に就いた小泉だった。

 小泉は就任インタビューで、「豊島の問題はテレビで以前見たが、ひどい。住民の怒りは当然だ。十分理解できる」と発言するなど、この問題に強い関心を示していた。その言葉通り、まずは廃棄物処理法の強化に着手し、不法投棄に対する罰金額を引き上げたり、不法投棄した産廃業者が倒産した場合は排出業者に責任を取らせるようにしたりする。さらに、首相になった後の2003年6月には、過去に不法投棄された産業廃棄物の撤去費用を国が支援する「特定産業廃棄物支障除去特別措置法」を成立させ、豊島の産廃処理がその法律適用の第1号事業として認めさせた。

 1997年4月の参院厚生委員会ではこんな発言もしている。

「廃棄物の問題は、人間社会、どうしてもこれから環境保全ということを考えますと、解決していかなきゃならない最重要課題の一つだと思います。動植物の世界は見事なリサイクルの世界ですね。食うもの、食われるもの、生まれるもの、死にゆくもの、これがまさに神の見えざる手で、見事なリサイクル社会を形成している。ところが、人間社会だけですね、火を使う、道具を使う。確かに便利になったんですけれども、自らつくり出す文明の利器で、また大きな被害を被っている......」

 つまり、この「廃棄物」問題へのこだわりが、3.11、そして、オンカロへの視察を経て、原発への危機感を生み出したということだろう。

 また、小泉氏にはもうひとつ、原発ゼロを強く打ち出すバックボーンがあった。それは2002年4月、首相になったった直後に行ったある改革が物語っている。

 小泉改革といえば、ほとんどの人は郵政民営化を想起すると思うが、実は小泉氏が改革の第一弾として5月の閣議で全閣僚に指示を出したのが「すべての公用車を低公害車に切り替えよ」という方針だった。低公害車は当時の基準では、電気自動車、天然ガス車、メタノール車、ハイブリッド車で、政府は2000年度には公用車の10%を低公害車にする目標を定めていたが、実際は6%程度に留まっていた。それを一気に100%にしろというのだ。

 当時、ハイブリッド車を生産していたのはトヨタとホンダだけだった。官邸には「大臣や幹部の移動に使うには狭すぎる」「ガソリン車と比べて割高」といった"抵抗勢力"からの声が続々と届いたという。環境省の事務次官が「政府の公用車のすべてを低公害車に切り替えるには7年かかる」と説明すると、小泉は「こんなもんじゃダメだ。生ぬるい」と突き返した。

 自動車メーカー首脳と直接会って「低公害車の開発をよろしく」と打診する場面もあった。国会の所信表明演説でも、高らかにこう宣言している。

「私は21世紀に生きる子孫へ、恵み豊かな環境を確実に引き継ぎ、自然との共生が可能となる社会を実現したいと思います。おいしい水、きれいな空気、安全な食べ物、心休まる住居、美しい自然の姿などは、我々が住む生活です。自然と共生するための努力を、新たな成長要因に転換し、質の高い経済社会を実現してまいります。このため、環境の制約を克服する科学技術を開発・普及したいと思います。環境問題への取り組みは、まず身近なことから始めるという姿勢が大事です。政府は、原則としてすべてに公用車を低公害車に切り替えてまいります」

 つまり、小泉氏はかなり前から、地球環境を守り、 自然と共生するための技術開発を新たな成長要因にするということを政治信念にもち、その実現にこだわってきたのである。

 しかし、その小泉氏もエネルギーについては、そういったスタンスをとらなかった。それどころか、首相在任時は原発の危険性を指摘する声を否定し、その安全性にお墨付きを与えている。たとえば、2004年のスマトラ沖大地震・インド洋大津波を受け、翌05年1月の参院本会議で民主党の江田五月議員から原発の津波対策について問われた小泉首相(当時)は、こんな答弁をしている

「国内の原子力発電施設について、地震や津波が発生した際に放射能漏れなどの事故を起こすことがないよう設備の耐震性の強化を図っているほか、津波により海水が引いた場合にも冷却水を提供できるような措置を講じております」

 小泉もまた、福島原発事故の戦犯のひとりなのだ。しかし、だからこそ、小泉は「あの時、自分が総理として、決断していれば、原発ゼロを実現できたし、福島原発の事故は防げた」という強い後悔の念をもっているのだろう。

 実際、小泉氏は朝日新聞(15年9月13日付朝刊)のインタビューでも、「当時は役人や専門家に騙されていた」「政府や電力会社、専門家が言う『原発は安全で、コストが一番安く、クリーンなエネルギー』。これ全部うそだ」と悔しがり、こう話している。

「かつて原発を推進してきた一人としての責任は感じている。でも、うそだと分かってほっかむりしていいのか。論語にも『過ちは改むるに憚ることなかれ』とあるじゃない。首相経験者として逃げるべきじゃない、やっていかなければと決意した」

 そして、総理として決断できなかったという後悔があるからこそ、「原発ゼロ」は総理の決断ひとつでできると、繰り返し主張しているのだろう。

 しかし、安倍首相にはまったくその気はない。それどころか、原発利権の代理人として、次々に原発再稼働政策を推し進めている。

 小泉氏は冒頭で紹介した講演の後の質疑応答で、小泉氏は記者からの「原発ゼロ」は参院選の争点になるか、の問いにこう語ったという。

「大きな公約のひとつにするべきです。与党はしたくないでしょう。私は原発ゼロの時代が来るまで粘り強く活動を続けていこうと思っています。引退したけど、あの事故を目の当たりにして、『こういうものだったのか』という悔しい思いをしている。他の問題に口を出すときりがないからこれに絞ってやっている。日本の国民の力は大きいから諦めていませんよ」

 小泉氏の次の一手に注目したい。
(野尻民夫)