旅立ちの前日、診察に臨むドリス

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 医療の進歩により長く生きるのがあたり前となりつつある現代。一方で、終末期の患者からは、延命で苦しむよりも早く逝きたい、といった声も聞かれるようになった。日本では法的に認められていない「安楽死」は、人間の「生」にとってどのような意味を持つのか。『SAPIO』(2016年4月号)に全6ページ掲載された、安楽死の「瞬間」に立ち会ったジャーナリスト・ 宮下洋一氏による真実の記録から、冒頭の部分をお届けする。

 * * *
「ドリス、用意はできていますか」

「ええ……」

 突如、英国人の老婦の青い瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。右手に握っていたくしゃくしゃになったティッシュで目元を拭い、震えながらも振り絞った声で、次にはこう囁いた。

「うう、ごめんなさい。こうなることは前々から分かっていたというのに」

 仰向けになった老婦に、プライシック女医が、「大丈夫よ」と微笑み、質問を始めた。

「名前と生年月日を教えてください」

「ドリス・ハーツ(仮名)、1934年4月12日」

「あなたはなぜ、ここにやって来たのですか」

「昨年、がんが見つかりました。私は、この先、検査と薬漬けの生活を望んでいないからです」

「検査を望まないのは、あなたがこれまで人生を精一杯謳歌してきたからですか」

「ええ、私の人生は最高でした。望み通りの人生を過ごしてきたわ。思い通りに生きられなくなったら、その時が私にとっての節目だって考えてきたの」

「私はあなたに点滴の針を入れ、ストッパーのロールを付けました。あなたがそのロールを開くことで、何が起こるか分かっていますか」

「はい、私は死ぬのです」

「ドリス、心の用意ができたら、いつ開けても構いませんよ」

 この瞬間、老婦は何を思い浮かべたのだろうか。わずかな呼吸と共に、自らの手でロールを開き、そっと目を閉じた。女医は、老婦の横に立ち、「もう大丈夫よ、もう少しで楽になるわ」とつぶやいた。

 15、16、17秒……、そして20秒が経過した時、老婦の口が半開きになり、頭部が右の枕元にコクリと垂れた。まるで、テレビの前でうたた寝を始めたようだった。

 2016年1月28日午前9時26分。スイス北西部・バーゼルのとある小さなアパートで、プライシック女医による自殺幇助(ほうじょ)が終了した。

 私は、老婦から3mほど離れたソファに腰掛け、一部始終を見届けた。筆を止め、ノートを閉じ、最後にボイスレコーダーの電源を切った。妙に重く感じた腰を上げ、息を引き取った老婦のほうへ数歩、近寄ってみる。

 ほんの数分前まで、笑顔でスペイン旅行の思い出を語っていた彼女の顔を覗き込んでみる。確かに死んでいる。苦しみながら、死を遂げたのではない。今、ここで、彼女は自らの血液に毒を流し込み、「他人に見守られながら自殺」したのだ。もちろん、何が起きるかは事前に説明を受けていた。でも、現実に頭がついていかない。

●みやした よういち/1976年、長野県生まれ。米ウエスト・バージニア州立大学外国語学部を卒業。スペイン・バルセロナ大学大学院で国際論とジャーナリズム修士号を取得。主な著書に『卵子探しています 世界の不妊・生殖医療現場を訪ねて』など。

※SAPIO2016年4月号