「クイック・ジャパン」(太田出版)vol.124

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 リニューアルした「クイック・ジャパン」(太田出版)が話題になっている。新装刊第一弾となったvol.124の「ニュージェネレーション2016」と銘打たれた特集に、昨夏の安保法反対運動で一躍脚光を浴びたSEALDs・奥田愛基氏がフィーチャーされていたからだ。表紙には奥田氏の顔が大きく掲載され、ページをめくると、写真家・荒木経惟が撮り下ろしたグラビア、若手アーティスト・コムアイとの対談、さらには濃密な1万字のロングインタビュー......。

 しかし、筆者が注目したのはやはり、なんといっても、奥田氏と古市憲寿氏との対談だった。古市氏といえば、2010年代の「冷めた若者」の代表選手のような物言いで、メディアから引っ張りダコになっている若手社会学者。最近は自民党の稲田朋美政調会長はじめ安倍政権からも重用されており、いわば奥田氏とは真逆のような存在だ。

 しかも、この古市氏、議論のやり口がなかなかに狡猾。高みに立った冷笑的な態度で挑発したかと思うと、相手の意見にはまともに答えず、話をずらし、煙に巻いてしまう。

 今回の対談でも、古市氏はいきなり、奥田氏の印象について、こんな小馬鹿にしたような言葉を投げかけていた。

「なんか、会いにいけるアイドルみたいな感じなのかな」
「確かにおじいちゃんおばあちゃんは(奥田氏のことを)大好きだろうなと。若い子がデモしてくれて、しかもそれが自分たちの頃と同じような、安倍政権打倒とか、安保反対みたいな主張をしている」

 しかし、このタチの悪い若手論客のペースに奥田氏はまったく巻き込まれなかった。奥田氏らしくど直球で対抗し、逆に"古市的なるもの"の問題点を鋭く指摘して見せたのだ。

 まず、奥田氏は冒頭から、古市氏に対してこんな疑問をぶつける。

「『誰も戦争を教えてくれなかった』(2013年)にしても、若者は右傾化しているわけでもなければ、左傾化しているわけでもないっていう見方は本当にそうだなと。でも、そういったふうに、古市さんは自分の意見をあえて言わないスタンスを取りますよね。だから、本当のところはどう思ってるんだろうなというのは著作を読ませていただくたびに思うところで」

「自分の意見をあえて言わない」というのは古市氏の最大の特徴であり、もっとも狡猾な部分だが、奥田氏はいきなりそこを崩しにかかったのだ。

 すると、古市氏は答えに窮したのか、「集団的自衛権に関しては、僕自身の意見はないというか、正直、よくわかんない」と学者とは思えない開き直りのセリフをはいたうえで、こんな理屈にならない理屈を語り始めた。

「ただ、実際に戦争が起こったときに、『国際協力はしたいんだけど、いま日本ではデモを超やってて、すっごい反対の声がある中で自衛隊を出しちゃったら政権潰れるんで出せません』みたいなことを言うのが、日本政府にとっては一番お得なんじゃないですかね。その意味で、今回のSEALDsのデモには意味があったんだろうなって思います」

「デモを理由に派兵を断れるから、お得」って、「自衛隊も血を流すべき」と明言したことある安倍政権がデモを理由に集団的自衛権の発動を拒否するはずがないのは、少し考えればわかりそうなものだが、しかし、これもまた、古市氏のいつものパターンだ。相手の主張に同意しているふりをしながら、本質とはかけ離れた論点を持ち出して議論をまぜかえす。現実的な政策判断の知識なんて何も持っていないくせに、やたら"損得"という判断基準を強調し、自分が"頭のいい現実主義者"であることをアピールする。しかも、メディアの世界の住人たちはこんなレトリックになぜかコロリとやられ、そういう見方もあったのか、などと納得してしまうのだ。

 だが、奥田氏はちがっていた。逆に、この損得論についても、「『ワイドナショー』でも同じようなことを言っていましたよね。『安倍政権もSEALDsも、どっちも頑張れ。どっちも頑張ったほうがお得じゃないですか』って。『お得かあ......』って思いましたけど」と違和感を表明。

 古市氏が「今の国際関係を考えると安倍政権の立場もわかるというか、両方、頑張れば結果的にお得な状況になるんじゃないかっていうことですね」と、ぬるい主張を繰り返すと、間髪入れず、こんなカウンターを見舞ったのだった。

「それって、いわゆる世間一般の若者像っていうか、ちょっと斜に構えて『いやぁ、どっちの言っていることもわかるんですけど』みたいな、メディアが取り扱いやすい意見なんじゃないですかね。ただ、そういう人たちばっかりになってしまうと、結局、古市さんが言う拮抗した状況にすらならない。僕は今、どっちもどっちのスタンスを取る人ばかりで、プレイヤーが少なすぎると思っていて。思ってるだけじゃだめだから、まず自分がやってるって感じですね」

 ようするに、奥田氏は古市氏の「分析」が、実際には政府への白紙委任を意味する"どっちもどっち論"であること、そして、それがメディアに露出するための処世術にしかなっていないことを完全に見抜いたということだろう。古市氏の"芸風"について、本人に面と向かってここまで的確な指摘をするとは、奥田氏は社会運動のオーガナイザーとしてだけでなく、論客としてもかなりの能力の持ち主だといっていいだろう。

 しかし、議論じたいは残念ながら、これ以上広がることはなかった。なぜかここで司会者が割って入ってきて、「ただ古市さんがなにもやっていないというわけではなくて、自分はデモとはまた別の方法で社会に働きかけるというようなこともおっしゃっていますよね」と助け舟を出したからだ。

 ただ、この司会者の言葉を受けて、古市氏が語ったセリフは、ある意味、"古市的なふるまい"の結末はどういうものか、を示唆しているともいえる。

「そうですね。僕自身は今はこういう仕事をしているので、政治家や官僚の知り合いもたくさんいる。だから、もしも本当にやりたいこと、変えたいことがあったら彼らに直接言いますし、ロビイングのほうが効果があると思っています」

 古市氏はこう胸を張ったのだが、冒頭でも触れたように、最近、古市氏は安倍政権=自民党と急接近している。2014年4月に「第2期クールジャパン推進会議」の委員に選ばれたことを機に、担当大臣の稲田朋美と急接近し、昨年秋には、その稲田政調会長が仕切る自民党の勉強会「歴史を学び未来を考える本部」にもオブザーバーとして起用された。

 しかし、その結果、古市氏が何かを変えたという話は寡聞にして知らない。たとえば、同氏が参加した自民党の「歴史を学び未来を考える本部」の初会合では日本の侵略や植民地支配について「西欧諸国の帝国主義に基づいた政策とは違う」「国民の誤解がある」などという歴史修正主義丸出し発言も飛び出したが、会合の後テレビの取材を受けた古市氏はまともに批判することもなく、「まっ、精神性とか文明どうこうという、なんか会の趣旨からズレたようなことを期待されてる議員の方は、多いのかなと思いました」とちらりと皮肉を言っただけだった。

 いや、それどころか、安倍政権と接近して以降、古市氏は著作『だから日本はズレている』で、初出時にあった稲田氏を皮肉った記述を褒め言葉に改ざんしたり、『誰も戦争を教えてくれなかった』という著作の文庫化に際して、タイトルを変更した上、歴史修正主義に寛容な言葉を付け加えたり、と明らかに政権に気を使って自分の言論を後退させている。

 まさに、「どっちもどっち」を気取っていた古市憲寿というひとりの学者自身が、奥田氏の指摘通り、「拮抗状態にすらもちこめず」、政権の補完者になってしまっているのだ。

 しかも、これはけっして古市氏だけの問題ではない。SEALDsのような政権を真っ向から批判する動きを「偏向」ととらえ、「どっちもどっち」と冷ややかに眺める態度を「頭がいい」「わかっている」と評価する空気は、いまや日本の言論全体に広がっている。そして、マスメディアでは「どっちの言い分もわかる」という「中立」的な意見を述べるコメンテーターがどんどん増えている。

 しかし、そうした「どっちもどっち」こそが正しいと信じている連中に決定的に欠けているのは、公権力が国民に対して力関係で圧倒的に優位に立ち、発信できる情報の量や、それを拡散できる手段においても圧倒的に優っているという事実認識だ。

 たとえば、政権を握っていれば、自分たちの政策遂行や政局運営のタイミングに合わせて情報を恣意的に選び、出し入れできるし、同じ事実を全く違う印象をもつように操作することもできる。

 その圧倒的な力の格差がある状況で、公平をきどって冷ややかに「どっちもどっち」などとうそぶいていても、公平な状態は絶対に実現しない。むしろ、権力への批判を封じ込め、政権の問題点を隠蔽する役割を演じることになってしまうだろう。

 本当に公平な状態があるとしたら、それは、国民やメディアが権力批判の目で徹底的に監視して、ようやく実現されるものなのだ。

 SEALDsを支持するかどうかとは関係なく、メディアや言論にかかわる人間は、今回の奥田氏の「"どっちもどっち"論じゃ拮抗状態にすらならない」という言葉の意味をきちんと考えてみるべきではないか。
(小杉みすず)