『人気マンガ・アニメのトラウマ最終回100』(鉄人社)

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 最終話といえば、『新世紀エヴァンゲリオン』の「世界の中心でアイを叫んだけもの」が有名だが、週刊マンガ誌などで連載されていたマンガ、テレビで放送されていたアニメや特撮ドラマは、時として、読者や視聴者を置いてきぼりにして終わってしまうことがある。『人気マンガ・アニメのトラウマ最終回100』(鉄人社)によれば、このような微妙な最終回が生まれる背景には3つのパターンが存在するようだ。

 ひとつ目は、大量に張った伏線を回収できなくなってしまったパターン(エヴァはこの事例に該当する)。ふたつ目は、諸般の事情で打ち切られてしまったパターン。そして、制作者のモチベーションが切れてしまうなどトラブルが起きたパターンの3つである。

『男一匹ガキ大将』『俺の空』『サラリーマン金太郎』などのヒット作で知られる本宮ひろ志も、かつて伏線回収不可能なマンガを描いたことがあった。それは、1973年から連載を開始した『大ぼら一代』(集英社)という作品。硬派な主人公・山岡太郎字が、岡山の不良たちとケンカを重ねながら成り上がっていく話だが、話が進むにつれて展開はどんどんエスカレート。終いには、ライバルである島村万次郎が軍隊を操り日本を独裁、主人公がその独裁者に立ち向かっていくという、不良マンガの枠を大きく超えた展開にまで発展する。最終回では、その独裁者が倒されて終わるのだが、話の畳み方が分からなくなったのか、敵が倒されたのちに日本全土を巨大地震が襲い、日本が崩壊したところで「完」となるトンデモ展開を迎えたのであった。

 本宮といえば、ヒット作『男一匹ガキ大将』も、作者は終わらせるつもりで、一度は「完」と書かれた原稿を用意したのにも関わらず、編集者の意向で無理矢理ストーリーを引き延ばされた過去をもつ。人気がある作品は作者の意志だけでは終わらせられないパターンも多いが、往々にしてそういう時には、このような伏線回収不可能なケースが出てきやすいのだろう。

 また、伏線回収不可能ではなく、「伏線を回収する気がない」というパターンの最終回も存在する。2009年にテレビ朝日系で放送されていた『仮面ライダーディケイド』だ。平成仮面ライダーシリーズ10周年を記念してつくられた本作の最終回は、これまでの平成仮面ライダーが全員登場し、彼らと主人公とのバトルシーンが描かれた。絶体絶命の状況に陥った主人公が銃撃を受けてしまうところでラストシーンとなるのだが、その時、画面にはあるテロップが大写しに映し出される。その文字は、「ライダー大戦は劇場へ」。最終回で露骨に「続きは映画館で」をやってしまったのだ。その後、あまりにもあからさまなこの宣伝手法は視聴者から多くの批判を浴び、テレビ朝日はBPOからの審査を受けることになっている。

 次のパターンは、打ち切りだ。打ち切り作品というのは歴史上振り返ってみればそれこそ無数に存在する。ただ、その膨大な打ち切り作品のなかでも、作品中で自ら「打ち切り」であることを明言してしまうパンクな作品が存在する。本稿ではそちらをご紹介したい。

 その作品は、辛辣なギャグやパロディを持ち味とする木多康昭が描いた『泣くようぐいす』(講談社)である。高校野球をテーマに奔放なギャグを展開していた本作。しかし、連載していた「週刊少年マガジン」編集部側から打ち切りを言い渡されると、そこから一気にシリアスな物語へ変化。新たなライバルの登場など伏線を張り巡らせた。しかし、当然その伏線など回収できるわけもない。そして最終話では、それまでの伏線がすべて夢であったことにし、「夢オチ」で物語を終了させたのだ。いきなり伏線をつくったのは、作者からの皮肉だったのである。そして物語はこんな言葉で幕をおろす。

「全部夢だったってことかよ!!」
「しょ しょうがないだろ 打ち切りなんだから」
「「打ち切り」「打ち切り」って何度も言うな!! こっちは気にしてるんだから ぶっとばすぞこのヤロー!!」

 これはこれで壮大なギャグとして成立しているような気がするあっぱれなラストである。

 そして最後に取り上げたいのが、作者のモチベーションが下がってしまい、投げやりなラストを迎えてしまったパターンだ。まずは、あの『ルパン三世』である。1977年、テレビアニメ放送に合わせて新たに連載が始まった『新ルパン三世』(双葉社)の最終話は、ルパンらしからぬ最後であった。

 タイムマシンがあるという島へ向かったルパン一行。しかし、それは銭形警部による罠であった。島には島ごと吹き飛ばせるほどの爆薬が仕掛けられており、島に閉じ込められたルパンたちは崖っぷちに立たされる。本来であれば、天才的な機転を利かせてそのピンチを脱するのだが、ここでのルパンはなぜかあっさりと諦めてしまう。結果、島ごと爆破されてしまい、ルパン一行の死で物語は幕をおろす。

 ルパンらしくない、どこか投げやりな印象すら感じるラストだが、この時期のモンキー・パンチはルパンを描き続けることに飽きていたという逸話もあり、そのあたりがこの結末につながっているのかもしれない。実際、この最終話のなかでも「タイムマシンが手に入ったら何がしたいか?」という話をするなかで、石川五ェ門は「自分の生まれる前に行って母親に会い、俺を生まないでくれと頼む」といった答えを返している。このセリフには、当時のモンキー・パンチの隠された本音が出ているようにどうしても読めてしまう。

 ただ、これはあからさまに「もうこんな漫画描きたくない!」と言っているわけではない。実は、露骨に作品を描き続けることに飽きてしまったことを告白している作品も存在する。それが、1992年から「別冊少女コミック」(小学館)で9年にわたり連載されていた、新井理恵による『×--ペケ--』という4コママンガ作品だ。

 少女マンガタッチの画風に、下ネタや暴力にからんだブラッグなギャグがからむ作風で人気を博し長期連載となるが、ネタ切れもあり、だんだんと作者のモチベーションが下がっていく。そして、単行本の最終巻になると、背景の描き込みは最小限、キャラ造型も適当という状況に。そして、遂には、4コママンガを描くことすら放棄し、西原理恵子タッチな画風でひたすら仕事のグチを書き連ねる謎のエッセイマンガすら登場するようになった。そこにはこんな言葉が書き連ねられている。

「ふう...「×--ペケ--」ももう連載7年以上経っちまったか...そんじゃあーこれからもノリにノって仕事を...やーめた」
「だいたいなー4コマよりもはるかにラクなストーリーモノでも7年もやりゃーネタにつまるっつーのによー」
「スキでこんな仕事やってるワケじゃねえけどよ カネいいからヤメらんねえわ」
「ネタなんざとっくの昔にねえっての ダマシダマシよくやってたよなオレさまも」

 それからは、オンラインゲームに夢中になる日常を描いたエッセイマンガを描いたり、突如絵日記を載せて現役高校生と同棲している事実を告白したり、打ち切りにならないのが不思議なぐらいの状況にまで悪化。そしてついに迎えた連載終了の時には、マンガのなかでこんな言葉を綴っている。

「やっと「×--ペケ--」が最終回を迎えるよ どんなにこの日を待ち望んだコトか いや 生活かかってる面では そりゃヤバいが 最早そんなモンどうでもイイやっていうかさ とにかく こんなメデたい出来事生まれて初めてっていうか なんちゅーか 本中華なんて言ったトコロで 現代の若者には通じないって 何はともあれ めでたしめでたし」

 連載が打ち切りになってしまうのも悲しいが、完全にネタ切れ状態になってしまってもなおマンガを続けなければならないというのも苦しいというのがよく分かる。

 マンガもアニメも、作家や制作者の純粋な表現意図だけでコントロールできるわけではない。その間に入る出版社や制作局の都合に大きく左右される。そのなかでキレイなラストを迎えられる作品というのも、実は少ないのかもしれない。
(新田 樹)