武士の父親は皆教育パパだった 「幼童遊戯早学問手紙用文はんじ物」(歌川芳員、文久2年)。父が幼い子どもたちに、読み書きの大切さを教えている場面。江戸時代、読み書き算盤を教えるのは、家長たる父親の役目だった。男子は武士の競争社会を生き抜き、女子は良家に嫁がせる(あるいは婿取り)ためにも、教養が必要だった。(公文教育研究会所蔵)

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■職住接近が可能にした江戸の父親の育児

──江戸時代は封建制。男に育児のイメージはないだろう。しかし父親が育児を担う合理的な背景があった。

近世の人々にとって、家を豊かにし後代に伝えることが自分や家族の命運を握る鍵でした。それはとりもなおさず、子どもに学を与え、賢く育てて家督を譲ることを意味しました。家だけが自分を守る盾であった時代、教育に熱心であることは美徳であり、差し迫った課題だったのです。

武士の場合、父親はまず、子に学問を教える「教育パパ」でした。上級武士と下級武士の垣根はあったものの、それを乗り越えて勘定方の地位を得るなど、能力次第でエリートへの道も拓けたからです。

林子平の『父兄訓』が象徴するように、育児の監督責任は父親にあり、父親向けの心得を説くことが、育児書でも一般的でした。

そればかりでなく、陣屋という見張り小屋での宿直に、父親が日常的に子どもを連れて泊まったとの記録があります。また、公事という裁判を覗きに行った子どもが、公事方である父親の姿を誇らしく見ていたという日記もあります。

花見などの行事や子どもの遊びに父親が関わるのもしごく普通のことでした。職住接近だからこそ、可能であったことでもあります。

■子育てしない父親は無能者のそしり

──「児孫のために美田を買わず」と言うが、美田を遺し、それを守る子どもを育てることが父親の役目だった。

農家でも父親の子育ては重要でした。作物を工夫し、土地を富ませ、それを次代に譲ることが人生の一大事。村で出来高の少ない家が出れば、一蓮托生で村全体の責任になるため、落ちこぼれを出してはならなかったのです。

18世紀初頭、会津の篤農家は、子どもをよく教え育てることが大切で、うまく育てられないのは親の恥であるという和歌を残しています。

農村では、父親が農作業で培った知恵や技術を、子育てを通じて子に教え伝える構造が確立していました。賢い子どもを育てることのできる父親が、すなわち仕事ができる、能力のある人間である、という価値観がゆきわたっていたのです。

しかし、明治以降、日本が西欧に追いつこうと邁進する中で、職場と家庭は分離し、子育てにおける父親の役割も次第に消失していきました。

──今、父親がもっと育児に関わるべきとする「イクメン」がブームだ。北欧など福祉国家をお手本とするのもいいが、我々には江戸の風習からも学ぶべきところがあるかもしれない。

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太田素子(おおた・もとこ)
1948年生まれ。和光大学教授。東京学芸大学卒。お茶の水女子大学大学院教育学修士課程修了。専門は教育学、教育思想史。主著に『江戸の親子 父親が子どもを育てた時代』『子宝と子返し 近世農村の家族生活と子育て』など。

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■家事育児分業は大正時代「サラリーマン」誕生から

──「イクメン」という語は定着したが、男性が育児をする意識や環境は、なかなか浸透しない。

女性だけが家事育児を担う専業主婦は、男性がサラリーマンとして月給を貰うようになった大正時代に生まれ、高度成長期に広がりました。

1975年以降は共働きが増えていますが、現在、共働き家庭でも女性の家事従事時間は男性の約8倍です。

男性の家事育児が増えない理由は主に、(1)男性の労働時間が長すぎる。(2)男性の時給が高く、女性が家事を担うほうが合理的である。(3)男は仕事、女は家事という役割分担意識に縛られている──の3つです。

しかし、最近では男性も女性に働いてほしいと思っています。男性が結婚相手に望むライフコースでは、87年には約38%が「専業主婦」と答えていますが、2010年は約11%に減少し、仕事と家庭の両立を望む人の割合が増えました(グラフ参照)。

例えば男性だけが働いて年収400万円の場合、男性が残業をやめ育児や家事を分担し、その分女性が働いて300万円ずつ稼いだらどうでしょう。

家計収入は600万円に増え、女性は働く機会、男性は育児の機会を得、人生はより充実します。

──専業主婦優遇政策を変えれば、イクメンはもっと増えるか。

ところがわが国には「配偶者控除」と「第3号被保険者制度」という専業主婦優遇政策があるため、女性は育児休業制度があっても第1子の出産で退職し、復職しても優遇政策の範囲に収まる非正規で働くケースが多い。これらの制度を撤廃すれば、主婦たちが雪崩を打って働き始め、イクメンが増えるはずです。

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瀬地山 角(せちやま・かく)
1963年生まれ。東京大学教授。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、学術博士。専門はジェンダー論。自身も主体的に家事育児を担う。主著に『お笑いジェンダー論』『東アジアの家父長制』など。

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■子育てをめぐる社会の動き

【1867年】福沢諭吉が米国から日本に最初の乳母車を持ち帰る。

【1876年】東京女子師範学校付属幼稚園(現お茶の水女子大学付属幼稚園)開園。日本最古の幼稚園。

【1917年】和光堂がわが国初の育児用粉ミルク「キノミール」発売。乳幼児の栄養不足解消に役立つ。

【1947年】「ベビーブーム」始まる。1949年に最多出生数(269万6638人)。

【1963年】梓みちよ「こんにちは赤ちゃん」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)が空前の大ヒット。

【1971年】第2次ベビーブーム始まる。1973年の209万1983人がピーク。

【1972年】児童手当支給開始。支給額は5歳未満の第3子以降に月額3000円だった。

【1980年】ダスティン・ホフマン主演『クレイマー、クレイマー』公開。離婚、親権、女性の自立、夫婦の家事育児分担などがテーマ。

【1988年】タレントのアグネス・チャンが撮影現場に乳児を連れてきたことが発端で「アグネス論争」に。

【1993年】出産・育児雑誌「たまごクラブ」「ひよこクラブ」(ベネッセ)創刊。

【2010年】「イクメン」が流行語大賞トップ10に選出される。

【2012年】保育所の待機児童解消を目指す「子ども・子育て支援法」制定。

(太田素子 瀬地山角 編集=渡辺一朗 構成=奥田由意)