新生女子チーム、琉球デイゴス。世界を見てきたサムライ、八木秀一監督に聞く

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南の島沖縄。ゆっくりとした時が流れるこの島に、1人の熱き指導者がいる。

八木 秀一(やぎ ひでかず)、44歳。

沖縄に新たに誕生した女子サッカーチーム、琉球デイゴスの監督を務める男だ。

【新監督 就任のお知らせ】はいたい!このたび、シーズン半ばではございますが、新たに八木秀一氏が琉球デイゴスの監督に就任いたしました!沖縄県勢として初めて臨む皇后杯を勝ち抜いていくために新体制で戦ってまいります。八木監督からひとこと...
Posted by 琉球デイゴス on 2015年10月20日

サッカーの名門帝京高校を卒業後、海外挑戦。

ブラジルのコリンチャンス下部組織にも在籍し、ブラジルやイタリアでプロサッカー選手として活躍してきた。引退後は千葉県でブラジタリアサッカースクールを開校しサッカー監督、コーチとしての道を歩み始める。

その後、ACC四街道サッカースクール開校、ACC四街道ジュニアユースチームを立ち上げ、2006年にFCバルセロナに公認されたチームとして、チーム名をPenya FC Barcelona Japanに改名、と同時にジュニアチームも立ち上げる。

またこれを機に2006年から毎年スペイン遠征へ行き、本家のFCバルセロナと親善試合などの交流を始める。そんな折、INAC神戸レオネッサから育成年代の指導を買われ女子サッカーの道に入る。

日本、ブラジル、イタリア、スペイン、そして沖縄。様々な異なる文化圏のサッカーを吸収し、男女ともに指導した彼の経歴を、筆者は沖縄方言で言う"チャンプルー(混ぜこぜ)"と表現する。

それぞれの文化、指導にはどんな違いがあるのか?

インタビューアーはブラジル、コリンチャンスなどで指導経験を持つ平安山 良太が行った。

平安山 良太(以下、平安山)

「えー、初めまして、なんですけれども、八木秀一監督は87年にはブラジル・コリンチャンスの下部組織にいらっしゃったという事で、去年までコリンチャンスの下部組織で指導者をしていた私としては、勝手ながらとても親近感があったりします。

コリンチャンスに限らず、当時のブラジルでプロ選手をされていて、ブラジルという国の指導にはどう感じていましたか?ブラジル全国1部アヴァイの同僚ブラジル人指導者に聞くと、90年代以前と今ではブラジルという国の指導者も全然変わってきていて、昔はアップしたらすぐゲーム、という繰り返しが多かったと話していました」

八木 秀一監督(以下、八木)

「初めまして。コリンチャンスに日本人指導者がいると聞いた時にはわたしもビックリしました。よろしくお願いします。質問の答えなんですけれども、いえ実はそうでもなくて、僕がいた環境は当時のブラジルでもアップした後には普通のトレーニングがあって、それからゲームもあるという流れでしたね」

平安山「あ、意外とそうなんですね!もしかしたらブラジルは広くて、当時はインターネットや交通手段などの面が今ほど発展してないはずなので、地域やクラブの特徴差が大きかったのかも知れません。アヴァイの本拠地は離島ですし。当時のアヴァイが特殊なのかも(笑)今はアヴァイもコリンチャンスもコーディネーション等のアップから、ポゼッションやシュート、フォーメーションなどのトレーニング、そしてゲームの流れが多かったです」

八木「コリンチャンスの施設とかどうなってます?僕がいた87年当時は土のデコボコグラウンドだった気が…」

平安山「あ、そこは今は天然芝と人工芝を両方持ってますね。あえての砂場グラウンドもあったり施設は充実しています。そこはかなり変化しているかも知れません。今は世界的に国際化が進んでいて、特にブラジル人はサッカーにおいては欧州を中心に、日本なども含め世界中に選手や監督が求められていて、そこから持ち帰ったメソッドをまた自国に還元するサイクルが出来上がっていて、変化の波が大きいとはブラジル人も認めています」

八木「僕がブラジルにいた当時は、ブラジルには才能ある原石がゴロゴロしていて、その原石を磨き上げ、スターにしていくのが上手かった、そんな印象があります。日本人に合う指導かは分からないですけど(笑) 1度練習試合で、相手のチームにまだ無名だった頃のロナウドがいた事があるんですよ。確かロナウドが16歳だったかな。18歳達の試合なのに、年下のロナウドが1人で3点決めて。彼のハットトリックで3-0で負けた試合がありました。なんだあいつは!?なんて話をしていたら、すぐに欧州へ移籍して、スーパースターになっていきました」

平安山「ロナウドと試合したんですか!?あんな一級品の原石と試合出来たなんて羨ましいです。イタリアはどうでしょう?よく言われる事では、細かい戦術が多い事で有名な国です。カルチョですね」

八木「戦術には細かいですね。監督の哲学があって、それが絶対、みたいな部分はありました。守備戦術なんかはとても厳しく指導されます。3人抜いてゴールを決めれるようなスター選手がいたら、それを大事にして、決められるならOK!なのがブラジルで、3人抜いてゴールを決めようが、監督の戦術とは違うプレーをすれば怒られるのがイタリアでしょうか」

平安山「それは面白い話ですね。両国のサッカー文化の違いがハッキリしていて興味深いです。八木監督はどちらのサッカーを琉球デイゴスの選手に伝えていこうと考えていますか?」

八木「ミックスですね。個人的にはスペインのサッカーも好きで、指導者になってから毎年スペインへ遠征に行ったりもしてました。戦術的ピリオダイゼーション理論の講習にも参加したり。色んな国のやり方の良い部分をミックスして、自分の指導法を作り上げていきたいです」

平安山「具体的にはデイゴスではどんなサッカーがしたいですか?」

八木「超攻撃的なサッカーがしたいですね。かと言って守備を疎かにして良いという事ではなく。クライフの名言で、"1-0で勝つぐらいなら、6失点しようとも5点取りにいく美しいサッカーがしたい"というのがあって、ある程度共感もしてるんですけど、5点取れるなら取った上で、出来るなら失点も0が良いですよね」

平安山「そのためには今、何が琉球デイゴスに必要だと感じていますか?」

八木「やっぱり個々のレベルアップですよね。それは技術や戦術、インテリジェンスの部分だったり、意識の部分だったり。ある程度補強も必要です」

平安山「選手のプレー面では、どの様な部分を鍛えたいと考えていますか?」

八木「インテリジェンスな選手を育てたいと思っています。頭の良さ、判断力の部分ですね。沖縄の子には身体能力が高い子も多くて、足の速さとか、ジャンプ力だけならなでしこリーグの選手にも劣らない選手もいます。でも判断が遅かったり、周りが見えてなくてプレーの選択肢が少なかったりしてボールを奪われてしまうパターンが多い。そこを改善していきたいと思っています」

平安山「それはデイゴスだけでなく、沖縄県全体で取り組んでいきたい課題だと思っています。意識の部分、メンタル面ではいかがですか?」

八木「もっと自信を持って、高みを目指していきたいですね。離島なので、他県への遠征がし難く、どうにか外を見る経験を増やしていきたいです。単純にテレビで試合を見る機会も足りていないと思います。目標を掲げても、すぐにそんなの無理、と諦めてしまう事があります」

平安山「もともと沖縄出身の僕もそんな部分はありました。僕が小学生の時には沖縄にFC琉球はなく、キャンプに来るJクラブもまだ少なかった。なのでJリーグとか日本代表とか言われても、そこと自分との距離が掴めなかったんですよね。

ナメててけっこう簡単にイケるんじゃないかと調子乗ってたり、逆に必要以上に差があると思ってビビったりしてたのは僕や周りの友達にもありました。どうしてもなんとなく、ぼんやりしたイメージでしか捉えられていなかったので。高校生の僕は実力の距離が実際の距離よりも近いと勘違いしていたので、大学時代に内地へ行った時にはボコボコにやられました(笑)」

平安山「話は変わりますが、男女の指導で何か変えている部分というのもありますか?」

八木「いえ、そこはあえて変えてないという感じですね。例え性別が違っても戦術や指導法は変えていません。身体的な違いはあるので、練習の負荷だけ考慮はしています」

平安山「沖縄の指導者についてはどう感じていますか?」

八木「非常に熱心な指導者の方がいて、僕も刺激を受けています。沖縄県外にいる時間が長かった僕が、外とのパイプ役になるなどして、外から学ぶ環境を持ってくるなど、どうにか沖縄に貢献出来ないか、と考えています」

平安山「最後に、八木さんはドリブラーの育成理論にブラジル的な、面白い考えがあると聞きました。教えて下さい」

八木「ドリブルに関しては、教えた時点でドリブラーではないと思っています。あまりに教えてしまうと、個性を潰してしまうと言いますか。ドリブルは自分で考えたり、他人のプレーを盗んでアレンジを加えていきながら、自分で完成させるものだと思っています」

平安山「今回はありがとうございました。また、直近ではナビィータと共に1月16日・17日の九州リーグチャレンジカップに勝っての九州リーグ昇格、おめでとうございました。沖縄中が盛り上がりましたね。今季の新加入選手の発表も続き、非常に楽しみにしています。今年中のチャレンジリーグ昇格、将来のなでしこリーグ昇格へ向けて頑張って下さい。応援しています!」

琉球デイゴス

▼公式ホームページ
http://deigos.com/

▼公式Facebook
https://www.facebook.com/ryukyudeigos/

筆者名:平安山 良太

小学生よりサッカーを始めるが、ケガにより早期挫折。高校時代より指導者の道へ。日本で中京大学や名古屋グランパスU12でのアシスタントコーチなどを含め、幼稚園〜大学生まで幅広く指導者として関わった後、更なる成長を志し海外へ。

東南アジアのトライアジアプノンペンFC(現カンボジアンタイガーFC)やラオス代表で研修の後、ブラジルへ渡る。ブラジル一部リーグのアトレチコ・パラナエンセ→SCコリンチャンス→Avai FCの下部組織にてアシスタントコーチを歴任。

ライター、代理人、Jクラブでの通訳等も広く行っている。アルゼンチンのリーベルプレートやペルーのアリアンサ・リマで研修生の経験も。

ツイッター: @HenzanRyota