森美穂インタビュー(前編)

待ちに待っていたファンも多いだろう。開幕を目前に控えた日本女子ツアーの2016年シーズンにおいて、森美穂(23歳)がついにツアー本格参戦を果たす。「元祖・美少女ゴルファー」――彼女の紆余曲折あった"真のプロ"デビューまでの道のりを振り返る。

 黒目がちな大きな瞳から、今にも涙があふれそうだった。

「あのときのことを思い出すと、やっぱり今でも泣けちゃいますね」

 森美穂が初めてプロテストを受けたのは、2011年。彼女は1次、2次をトップ通過し、最終プロテストを迎えた。

 傍目には好調。前日の公式練習でもアンダーで回っている。アマチュア時代に数々の大会を制した実績を持ち、中学、高校時代にはナショナルチームのメンバーにも選出されてきた。高校2年生のときに出場した2009年日本女子オープンでは23位タイに入るなど、プロツアーでも何度となく好成績を残し、周囲も、森自身も、合格は間違いないと確信していた。

 しかし、ゴルフの神様は少しだけ意地悪だった。

 初日の6番ホール(パー3)。ティーショットが大きく右へ曲がっていった。その一打を境に調子を崩すと、彼女は初日を「83」の11オーバーで終え、2日目も「77」の5オーバー。トータル16オーバーというスコアで、予選ラウンド通過ラインの12オーバーに及ばず、プロテスト合格どころか、決勝ラウンドとなる最終日に進出することすらできなかった。

 傷心の"美少女ゴルファー"を多数の報道陣が囲んだ。当時18歳の彼女は、「ショットがよくないので、リズムを作ることができませんでした......」と気丈に語ったが、最後は堪え切れずに大粒の涙をこぼした。

 突然の乱調。しかし本人は、「予兆はあったんです」と当時を振り返る。

「高校3年の後半から、ショットがイップス気味になっていて。あの日の6ホール目のボールの弾道、今でも覚えています。イップスの際に出る球筋が出たんです。ボールがありえないくらい右に飛んでいって......。その一打のあとは、もうボロボロ。何もできなくなりました。完全なイップスになってしまって......」

 5年前の自分を彼女は「甘かった」と顧みる。

「状態は決してよくなかったですけど、それなりの結果は出ていたので、『万全ではない。でもプロにはなれるんだろう』って考えていたんです。プロを舐めていましたよね。そんな気持ちを見透かされ、ゴルフの神様に『そんな気持ちじゃプロでやっていけないぞ』って言われたというか......。ただ、そう思えたのも、だいぶあとになってからなんですけどね......」

 プロテスト不合格のあと、森はQT(※)に出場してTPD単年登録選手としてツアー参戦を目指したが、プロテストのショックを引きずって、ファーストQTで敗退。そのまま翌2012年のプロテストも、最終テスト最終日まで進出するも、通算9オーバー、55位タイで不合格となった。
※クォリファイングトーナメント。ファースト、セカンド、サード、ファイナルという順に行なわれる、ツアーの出場資格を得るためのトーナメント。ファイナルQTで40位前後の成績を収めれば、翌年ツアーの大半は出場できる。

 高校卒業後、愛知県の三好カントリー倶楽部に所属し、キャディーをしていた彼女は、アマチュア資格を放棄していたため、その資格を失っていた。結果、国内で実戦の場を踏む機会はほとんど得られず、アジアンツアー参戦や中国のQTを受けるなど、もがき続けた。だが、もがき続けるも、その2年間、ショットの不調は回復の兆しすら見せなかった。

 そんな中、2012年のQTも当然結果は出なかった。サードQTまで進んだものの、そこで通算24オーバー、102位の最下位に終わった。

「そのとき、初めて将来について、どうしようかなって考えました」

 3歳からクラブを握り、将来はプロになることを疑わなかった彼女。初めてゴルファー以外の人生を歩む可能性が頭を過(よぎ)る。1カ月間、競技から完全に離れ、心は引退に傾きかけた――。

 迷える森を救ったのは、福井工業大学附属福井高時代の恩師だった。恩師は彼女にこう言った。

「帰ってこい。帰ってきて、こっちで立て直せ」

 森は、2013年2月に愛知から福井に拠点を移し、母校の現役ゴルフ部員とともに練習する日々を過ごす。そのとき、恩師に言われた言葉を、今も覚えている。

「2年かけてダメになったんだ、戻すのに少なくとも2年はかかって当然。どうしたらよくなるか、何をしたらいいか、考えても出てくる結論はひとつ。練習すること。練習する以外に、おまえがよくなる道はない」

 森は、その言葉を信じ、学生時代と同じように基礎練習を反復し続けた。何も考えず、ただ毎日、ひたすらボールを打ち続けた。

 その間、2013年のプロテストは2次予選で敗退。2014年は最終プロテスト最終日まで進むが、通算10オーバー、73位タイで再び不合格。恩師の言葉どおり、すぐに結果は出なかった。が、森は諦めなかった。

 ある日、先輩プロ・原江里菜に言われた言葉も、折れそうになる森の心を支えた。

「『人は諦めるのが早い生き物だから』って言われたんです。『結果が出なくてやめてしまう人は多い。でも、それはできなかったんじゃなくて、できるようになる前に諦めてしまったんだよ』って。諦めないことの大切さを教わりました。私はまだやり切ってないって」

 そして2015年1月、新たな出会いが訪れる。

「(同学年のプロ)葭葉(よしば)ルミなどを指導するコーチに出会ったんです。そのコーチの言葉は胸にスッと入ってきて。一番言われたのは、『何があってもリズムよく振る』ということでした。それを徹底して。技術面をそのコーチに、精神面は高校時代の監督に指導していただき、それが合わさって、すごくいい練習ができました。それが昨年、結果につながったのかなって」

 確信を持った日々は、少しずつ雑念をそぎ落としていく。

「去年までは、同級生とか、ナショナルチームの元メンバーとか、近い存在だった選手が活躍しているのを見て、悔しい気持ちがすごくあったんです。でも去年は、なりたい自分になるためだけに集中できた。私は、何回も何回も失敗しているんで、人のことがどうでもよくなっちゃっただけかもしれないですけど(笑)」

「美少女ゴルファー」と呼ばれることに対しても、彼女の中で変化があった。

「そう呼ばれるのは、今でもちょっと重いんですけどね(苦笑)。でも、アイドルゴルファーみたいに書かれるのは正直イヤではあるんですけど、開き直れるようになって。記事に取り上げていただけるのはありがたいことですし、私の成績次第で、きっと記事の内容も変わるはずなんで。結局、私次第なんだって、プラスに捉えられるようになりました」

 迎えた昨年のプロテスト。森は最終テストまで駒を進め、最終日を3位でスタートする。待望のプロテスト合格まで、あと少し。しかし、最後の試練が彼女を襲った。

「あがり4ホールでボギーをふたつ打ったんです。一瞬、過去(の悪夢)が過ぎりました。残り4ホールは、本当にしびれましたね。最後のパット入れた瞬間は、とにかくホッとして」

 5度目の挑戦で、森はついにプロテストに合格した。

 すぐに高校時代の恩師に電話で合格を告げた。すると恩師は、「ほら、言ったとおりになっただろ」と陽気に笑った。

 プロテストを終え、森は福井に戻り恩師のところへ挨拶に出向いた。そのときが、彼女が言う「思い出すと、今でも泣ける」シーンだ。電話では終始陽気だった恩師が、森の顔を見るなり泣き出した。

「もうずっと泣いていました。監督のあの姿を思い出すと、私も泣けてくるんです。プロテストに受かったタイミングでも泣けなかったんですけど、あの瞬間を思い出すと泣けちゃいますね。『戻ってこい』と言った以上、もしも結果が出なかったら......。不安だったのは、私だけじゃなかったんだって」

 気が早いのは承知で聞いた。初優勝したとき、恩師に何と言葉をかけますか?

「なんですかねえ......。涙で言葉にならないかもですね。でも、『今日まで育ててくれてありがとう』って言うと思います。なんか、結婚式の花嫁が父親に言う言葉みたいですね(笑)」

 そう言うと彼女は笑った。

 プロゴルファー、森美穂。容姿のせいだけじゃない。絶望を知り、それを乗り越えた彼女には、涙よりも笑顔がよく似合う。

【プロフィール】
森美穂(もり・みほ)/1992年12月19日生まれ。三重県出身。2015年、5度目の挑戦でプロテストに合格。同年、QTでも44位という成績を収めて今季、ツアー本格参戦を果たす。身長157cm。血液型A


水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro