時代や社会の変化は、往々にしてその土地の文化を変えていく。現代の日本における最たる例の1つが、自動車文化の変化だろう。消費者が身の丈に合った実用的な自動車を好むようになったのは、文化の成熟によって自動車がより「普段着」的なものになったことを表しているのではないだろうか。(イメージ写真提供:123RF) 

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 時代や社会の変化は、往々にしてその土地の文化を変えていく。現代の日本における最たる例の1つが、自動車文化の変化だろう。消費者が身の丈に合った実用的な自動車を好むようになったのは、文化の成熟によって自動車がより「普段着」的なものになったという側面もあるのではなかろうか。

 急速に自動車文化が発展してきた中国においては、まだ自動車が「普段着」という感覚はなさそうだ。日本国内の華字メディア・亜州通信社の徐静波社長は21日、新浪に開設している自身のブログにおいて、中国の現状とは大きく異なるという対比的な視点から、今の日本の「クルマ事情」について紹介する文章を掲載した。

 文章の中で徐氏は、日本の若者が自動車を買おうとしない背景には「大中都市では公共交通が十分発達している。駐車場を探す必要があり、お金もかかるクルマは面倒な代物だ」という認識があることを紹介。また、日本人は自動車を買ったとしても大きな高級車ではなく、低価格で燃費がよく、小回りが利くうえ、装備やインテリアでも登録車と遜色のない軽自動車、あるいは小型の登録車を購入する傾向にあると伝えている。

 文章は、日本人にとって自動車はすでに家電製品同様、富や身分のシンボルにならないため他人との張り合うこともないうえ、大都市では「自動車がないゆえに見下されることはない」と解説。そして、中国も将来「このような理性的で落ち着いた時代を迎えることだろう」との考えを示した。

 自動車が「普段着」になったからと言って、クルマを愛してやまない人びとが世の中から消え去ることはない。生活スタイルや趣味の多様化、さらには経済的な変化によって「本当に好きな人はとことんこだわる。そうでない人は実用的なツールと割り切る」という、自動車に対する価値観に広がりが出たと考えるべきなのだろう。

 趣味のクルマと、実用のクルマ。この棲み分けがはっきりするようになると、中国の自動車社会にも「理性的で落ち着いた時代」が到来したと言えるのではないだろうか。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)