新華社によると、中国共産党の習近平総書記(国家主席)が最近になり、党の各層に渡って、故・毛沢東主席が1949年3月30日付で通達した、「党委員会の工作方法」を学習するよう指示していたことが分かった。中国共産党中央組織部が改めて、習総書記の重要な指示を学習するよう求める通知を出した。(イメージ写真提供:(C)呂九一/123RF.COM)

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 新華社によると、中国共産党の習近平総書記(国家主席)が最近になり、党の各層に渡って、故・毛沢東主席が1949年3月30日付で通達した、「党委員会の工作方法」を学習するよう指示していたことが分かった。中国共産党中央組織部が改めて、習総書記の重要な指示を学習するよう求める通知を出した。

 中国共産党は、ピラミッド型に重ねられた各層の委員会が存在し、上から下に指示を出す方式で運営されている。1949年の「党委員会の工作方法」は、各層の委員会の人数を10-20年程度として、それぞれの委員会が「軍の小隊」のように機能するように求めた。各委員会のトップは「書記」だが、「書記」には「小隊長」の役割を求めた。

 ただし、物事の決定に際しては「少数意見が多数意見に従う」ことを求め、書記の意見が通らない場合もあることは、軍隊との違いとした。

 さらに、委員会としての会議以外に「背後で議論してはならない」と強調した。分派活動の禁止と理解できるないようだ。その一方で、各委員には状況を知らせ合い、交流することを求めた。

 さらに、会議や文章は簡潔にするなどの効率化を求め、功績を上げた者も傲慢になってはならないと戒めた。

 毛沢東主席による「党委員会の工作方法」の内容は、現在でもそのまま適用できる部分が多く、習近平総書記のこれまでの要求とも重なる面も多い。しかし文化大革命後の中国の指導者として、「毛沢東主席」の名を出した上で回帰を訴えるのは異例だ。

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◆解説◆
 毛沢東が1966年に文化大革命を発動したことで、中国は大混乱に陥った。1976年9月9日に毛沢東が死去したことで文革は終息に向かうが、その後、問題になったのは、中国共産党としての「毛沢東評価」だ。

 中国共産党は1981年、「建国以来の党の若干の歴史問題についての決議」を採択。トウ小平の意向を受け、毛沢東は新中国建設を成し遂げた偉大な功績があり、晩年に過ちがあったとはいえ「功績第一、過ち第二」との評価されることになった。以後、共産党にとって同決議に疑問や異論を提出することは「タブー」になった。

 「党委員会の工作方法」は中華人民共和国の成立前の1949年3月30日付なので、時期としては「偉大な建設」を推進している最中であり、習近平総書記が「改めて学習せよ」と指示することに問題はない。

 ただし、中華人民共和国は成立直後から、性格を著しく変貌させた歴史がある。当初は、共産党の「特別な地位」は確保するものの、政治的各勢力の「連合政府方式」の色彩が強かったが、すぐに「共産党独裁」の体質に変化した。経済面では、当初は「愛国資本家」との協力で国力の充実を目指したが、急速に「社会主義経済一辺倒」の政策に転換した。

 習近平総書記は同職就任直後の2012年12月に、綱紀粛正のための「八項規定」を発表した。同規定の名に触れれば、中国人はだれしも、毛沢東が共産軍将兵の規則として定めた「三大紀律八項注意」を想起するはずだ。

 習総書記はかなり早い時期から、毛沢東時代への回帰を求め、当初は「毛沢東」の名を出すことによる懐疑や抵抗も想定していたが、現在になって「毛沢東の名を出しても問題なし」と判断した可能性が高い。

 習近平総書記は「強権政治」と「鉄の規律の共産党」を求めていると読み解くことができる。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:(C)呂九一/123RF.COM)