「ちかえもん」は朝ドラ「あまちゃん」へのアンサーだったのか

写真拡大

NHK総合の木曜時代劇「ちかえもん」(木曜よる8時〜)の第6回(2月18日放送分)は、主人公の近松門左衛門(松尾スズキ)がこれまででもっとも長く歌った回だった。歌の1番をフルコーラス、それも今回は替え歌はなし。菅原洋一の「知りたくないの」(1965年。原曲は「I Really Don't Want to Know」というアメリカンポップス)をなかにし礼の歌詞そのままに歌い切ったのである。


先週放送の第6回はこんな話


この前の第5回では、平野屋の忠右衛門(岸部一徳)が過去に不正取引(幕府の許可なしの朝鮮人参の取引)をしていた過去があきらかにされた。あまつさえ、それを咎めた親友で蔵役人の結城格之進を陥れ、死に追いやったというのだ。その格之進の一人娘こそ天満屋のお初(早見あかり)であり、彼女が平野屋の跡取り息子・徳兵衛(小池徹平)に近づいたのも、ひとえに忠右衛門を討つためであった。

この事実を知った近松の相棒・万吉(青木崇高)は、お初に父の仇を討たせるため、天満屋に忠右衛門を呼び出す。第6回の前半、お初と対面した忠右衛門は、いきなり大金を積み、これで店から足抜けして大坂から出てゆけと切り出す。

一方、何も知らない徳兵衛はいつものごとく天満屋へお初に会いにやって来る。何とか彼女と会わせまいと、近松が必死になって引き留めることに。しかしそのうちに徳兵衛はしびれを切らして立ち上がる。ここで近松は「お初は身請けされることになった」ととっさにウソをついてあきらめさせようとするのだが、かえって逆効果に。徳兵衛は一目散にお初のもとへと駆け出し、近松はあわててそれを追う。

徳兵衛が部屋に飛びこむと、ちょうどお初が刃を忠右衛門に突きつけ謝罪を迫っていた。そのうえ大金が積まれているものだから、彼はお初の身請けの相手が忠右衛門だと早合点。徳兵衛が天然のアホでよかった〜、と安堵する近松だったが、ここにもう一人アホがいた。「仇討はまだ終わってまへんで!」と万吉が、忠右衛門・格之進・お初をめぐる相関図を徳兵衛に突きつける。冒頭で紹介した近松の歌が入るのはここだ。「あ〜なたの〜過去など〜知り〜たくな〜いの〜」という歌詞はまさにこのシチュエーションにどんぴしゃだった。

修羅場がひととおり繰り広げられたところで、アホの万吉が一転、覚醒したかのように、忠右衛門にまだ何か隠しているやろと告白をうながす。これに忠右衛門に代わって、平野屋の大番頭の喜助(徳井優)が語り始める。忠右衛門が朝鮮人参の密売に手を染めたのはそもそも、妻つまり徳兵衛の母の病気がきっかけだった。妻を救うため朝鮮人参を入手しようとした忠右衛門だが、あまりの高価に手が出せず、結局彼女を死なせてしまう。ここで意気消沈した忠右衛門を救ったのが何と、竹本義太夫(北村有起哉)の語る近松作の人形浄瑠璃『出世景清』だった。劇中で復讐に燃える悪七兵衛の姿に自分を重ね合わせた忠右衛門、一握りの役人や商売人しか儲けられない世の仕組みに義憤を抱き、以後、ひたすら金儲けにいそしむことになる。

その後豪商にまでのぼりつめた忠右衛門は、蔵役人の格之進と人形浄瑠璃を通じて親しくなった。だが、格之進はやがて忠右衛門の不正を知り、親友の身の上に同情しつつも忠言する。悲劇は忠右衛門がこれを聞き入れなかったために起きた。

ただ、忠右衛門は格之進を陥れたわけではなかった。格之進をありもしない罪をでっちあげて死に追いやったのは、取引にかかわっていた役人であり、忠右衛門をそれを止めることができなかったのだ。以来、彼は格之進を妻とともに弔い続けてきた。先にお初に差し出した大金にも、つぐないの気持ちが込められていたのである。忠右衛門は「これで生き直してくれ」と言うが、しかしお初はこれを受け取らず一言。「私は……父がけっして認めなかったお金を受け取るつもりはございません。これが運命(さだめ)と受け入れ、生きてまいります。それが私のあなたへの仇討、そして父への孝行でございます」――

真実があきらかにされて、めでたしめでたし。と言いたいところだが、これを気に入らない者がいた。平野屋乗っ取りをたくらむ油問屋の黒田屋九平次(山崎銀之丞)である。奇しくも近松も、新作の構想をあらためて練り直すなか、ふと先の相関図に九平次の名前を加えてみて、「これでまた話動くんとちゃうの」と気づく。まさにそのころ、天満屋では九平次がお初に身請け話を強引に持ちかけていたところであった。物語は不穏な空気を醸し出しながら、今夜放送の第7回へと続く! 最終回まで残すところあと2回だっせ。

こんなに似ている「ちかえもん」と「あまちゃん」


それにしても、お初と忠右衛門と、双方の記憶の食い違いをあきらかにしながら両者の確執を解いていく展開には息を呑んだ。思えば、脚本の藤本有紀は朝ドラ「ちりとてちん」(2007〜08年)でも、落語家親子、またヒロインの父と祖父の確執を同じ手法で描いていた。

この手法をさらに多用し、発展させたのが、近年の朝ドラ最大の話題作「あまちゃん」(2013年)だろう。脚本の宮藤勘九郎は、ヒロインの母と祖母の確執、また母のアイドルデビューをめぐるプロデューサーとの因縁を、回想シーンをうまく用いながら描き出し、最後の最後ですべて解いてみせた。これは私のかねてよりの持論なのだが、ひょっとすると宮藤は、朝ドラの脚本を手がけるにあたり、過去作品のなかでも「ちりとてちん」を一番のお手本としたのではないか。いや、そうに違いない。

そんなふうに考えてみると、今回の「ちかえもん」には逆に、「ちりとてちん」フォロワーたる「あまちゃん」に対する、藤本なりのアンサーという趣向が込められているような気もしてくる。いや、それはさすがに過分な深読みだろうが、そう考えたほうが楽しいので、ここは両作品の共通点をいくつかあげてみたい。

まず物語の構造上の共通点として、両者ともある“確固たる事実”を終盤に用意し、それを視聴者に薄々予感させながら話が進んでいくことがあげられる。ここでいう確固たる事実が、「あまちゃん」では震災、そして「ちかえもん」では、お初と徳兵衛の心中およびそれを題材にした近松の『曾根崎心中』の完成であることはいうまでもない。

演じ手にも共通点が見られる。「あまちゃん」で県会議員のダメ息子を演じた小池徹平は、「ちかえもん」でもほぼそのままのキャラクターで豪商のあほぼんを好演している。そして松尾スズキは、「あまちゃん」では喫茶店のマスターとして、「ちかえもん」では浄瑠璃作者として、いずれも店のなか(「ちかえもん」の場合は遊郭)でたびたび物語の重要な場面に立ち会う。ただし、「ちかえもん」では松尾扮する近松が重要な場面に遭遇するばかりでなく、物語の進行に深く介入していく点が大きく異なる。まあ、主演なのだからそれは当然だが。

さらに「あまちゃん」と「ちかえもん」の共通点として忘れてはいけないのは、“歌”の存在だ。「あまちゃん」では架空の映画主題歌「潮騒のメモリー」を含め80年代のアイドルソングが続々と登場したが、「ちかえもん」はそれに60〜70年代の歌謡曲・フォークソングで対抗している。両作品とも歌を物語にうまくリンクさせているが、これも元はといえば、「ちりとてちん」でことあるごとに五木ひろしの歌う「ふるさと」が登場したのが発端といえる。

余談ながら、先週あるラジオ番組で、リスナー投票による「最高の大河ドラマ」ランキングが発表されていた。そこで堂々の1位に選ばれたのは藤本有紀脚本の「平清盛」(2012年)だった。視聴率でこそ大河ドラマ史上最低を記録した「平清盛」だが、この結果からは一部に熱烈なファンが存在することがうかがえる。これというのもやはり随所に遊びを散りばめた藤本脚本ゆえではないか。私が「ちかえもん」からついつい深読みしてしまうのも、そんな脚本の魔力に取り憑かれたからに違いない。
(近藤正高)