CDが売れない…それが何か?『WIRED』音楽の学校特集がすばらしい
<カーライルのいったとおり「何でもよいから深いところへ入れ、深いところにはことごとく音楽がある」。>
(『後世への最大遺物』内村鑑三)

“急がば回れ”とはよく言われますが、実際にはなかなかできないもの。何かにつけてすぐに結果や数字を求められる、世知辛いご時世ではなおさらかもしれません。それは、CD不況が叫ばれて久しい音楽業界でも同じ。

◆『1998年の宇多田ヒカル』CDバカ売れ時代

 そんな中、今年1月に刊行された『1998年の宇多田ヒカル』(新潮新書)。同じ年にデビューした4人の歌姫(宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみ)にクローズアップしながら、日本でCDが最も売れた時代を振り返る一冊。

 そこで印象的だったのが、著者の宇野維正氏が衰退の一途をたどるシーンへのあきらめを隠していないことでした。

<1969年にロンドンやサンフランシスコのロックシーンで起こったことがもう二度と起こらないように、1982年に日本の芸能界で起こったことがもう二度と起こらないように、1998年のJポップのメインストリームで起こったことはもう二度と起こらない。

(中略)このような本の最後には、音楽シーンの未来に向けて明るい提言の一つでもしておくべきなのかもしれないが、日本のメインストリームの音楽に関して言うなら、自分はもうほとんど何も期待していない。>
(P215−217)

<「オヤジの昔話」のような本ではありません。>と、前置きしつつも、やはりマーケットの規模が縮小し、豊かな才能が出にくい現状を嘆かざるを得なかった点は、何とも皮肉です。

 しかし、ここで視点を変えてみたいと思うのです。

 そもそも、CDをはじめとした音楽パッケージが爆発的な売り上げを記録していた時代が、果たして本当に音楽そのものにとって、よかったと言えるのかどうか。

 毎日のようにとんでもない数の新曲がリリースされ、そうした刹那的な消費が生み出した利益は、実のところ相当にもろい地盤の上に積み上がった、砂上の楼閣のようなものだったのではないでしょうか。

 再び市場が1998年のような活況を取り戻したところで、遅かれ早かれ、やはり今日のような停滞感にたどり着くだけなのではないか。

◆アデルらを生んだ音楽の学校

 そんな論点から、特集「音楽の学校」を打ち出したのが雑誌『WIRED』 VOL.21でした。

 http://wired.jp/magazine/vol_21/

 若林恵編集長は、前書きでこう記しています。

<音楽は、その意味で、いま希望の最先端にいる。市場価格の崩壊と産業の没落によって「商品」であることから決定的に離脱しようとしている音楽は、経済システムそのものから解放されようとしているとも言える。>

「音楽の学校」で扱われる音楽とは、<経済のためでも産業のためでもなく、まずは人が人として育まれる場>で活用される、最高の教材との位置づけなのですね。

 そこで紹介された学校のひとつ、THE BRIT SCHOOLの教育方針は、シンプルかつ核心を突いています。以下は、音楽科のディレクター、アリス・ギャムの言葉。

<入学審査の過程においても、生徒たちのパフォーマンス力はほんの小さな比重しか占めていません。どれだけ巧く楽器を演奏できるかではなく、事前調査や面接、筆記試験を通して、生徒たちの『ここで学びたい』という情熱とともに、ほかの生徒たちにリスペクトを払える『やさしさ』をわたしたちは見ているのです。>

⇒【YouTube】JESSIE J VISITING THE BRIT SCHOOL http://youtu.be/3Bj1bNR3WaM

 事実、卒業生のアデルは、音楽の才能ではなく、仲間に対して献身的に接する姿が際立っていたといいます。そうした人間的な器の大きさが、いまの成功につながっているのですね。

⇒【YouTube】Adele Carpool Karaoke http://youtu.be/Nck6BZga7TQ

 当然、カリキュラムはショービジネスの現場で要求されるプロフェッショナルな知識や技術を培うものです。しかし、もっと大切なことは、それらを通じて常識と思いやりを持って振る舞える人間を育てていく、骨太のビジョンなのではないでしょうか。

後編『『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』のはなぜか?』では、世界のトップ校はなぜ芸術を重視するのか?や音楽が導く未来像について考察します。

<TEXT/音楽批評・石黒隆之>